第7話 タージレットへの道
その鳥は驚いた。
獲物として監視していたものが、魔獣と相対している。
獲物を取られる、そう思った時には条件反射のように飛んでいた。
どちらにしても相手は魔獣、この爪で、あの憎らしい目をえぐり取り、そして殺す。
ビンクは自身の身体を目線で確認する。
魔獣の爪が皮鎧のパーツを綺麗に裂いている、下に着ている服にうっすらと血が滲むのを見て、あとほんの少し深ければ重傷だったと思い知る。
次に硬直した足に力を入れる。
骨は折れていないが筋を痛めたか、それもそうだ、あの勢いを一人で受け止めたのだ。
むしろ、筋を痛めた程度で済んだのは幸運だった。
魔獣は身体に力がなく、ぐったりとしている。
咥え込まれた右手と剣は深々と刺さったままなので、右手にゆっくりと力を入れ、抜いた。
右腕の半分ほどが牙により裂傷が出来ていた。
「くっ、こいつはひどいな」
痛みはそれほど感じないが、戦闘時の高揚感のせいだろう。
早めに対処しないと感染症になるかもしれない。
改めて魔獣の死体を見る、そしてその時に気付いた。
目がないのだ。
目を瞑っているのかと思ったが、赤黒く光っているはずの両目、そして真っ赤に光る第三の目がぽっかりと無くなっている。
あの一瞬で魔獣の3つの目を奪い去ったのか。
この場には既にいない相手を見る為に、ビンクは夜空に視線を向ける。
その後、ビンクは自身の怪我の応急処置をしたあと、魔獣の皮を剥ぐことにした。
通常の獣よりも硬い魔獣の皮は重宝される。
喉から一突きだった為、状態は良いだろう。
皮を剥ぎ取り、荷物をまとめたあとは疲れからか、睡魔がすぐに訪れたので寝ることにした。
だが、翌朝、激痛と発熱により目が覚める。
「右腕か、ただの疲れか、これはちとまずいの」
ふらりふらりとニアリサスに向かう。
荷物はまとめていたが、その重さに足がよろける。
ニアリサスはそっとビンクに近寄る。
「ニアリサスよ、この道を進むんだぞ」
ビンクはそう言うと自身は鞍に倒れ込み、落ちないようにする。
ニアリサスの歩調が早まるのを感じながら意識を手放した。
どれぐらい進んだのか、時々痛みと共に意識が戻る。
ニアリサスの歩調は一定だが地面は一定ではないからだ。
その時、声が聞こえた。
「おい、この馬、野生かと思ったら人が乗ってるぜ」
「馬だけ見たって荷物が積んであるんだよ、野生な訳ないだろう。ほら、連れて行きな」
ビンクは野盗だろうが誰だろうが、拾われたことに安堵し、再び意識を失った。
「う、うぅ」
明るい陽射しが瞼を刺激し、目を開ける。
ベッドに寝かされているのはわかるが全身が痛む。
扉が開く音がしたので目線を動かすと子供が入ってきたのが見えた。
その子供と目が合う、すると扉から外に身を乗り出した。
「お客人が目を開けましたー」
そう子供が声をかけると、バタバタと走る音が聞こえてきた。
「ビンク様、お怪我は、体調は大丈夫ですか!?」
そう叫びながら入ってきたのは一人の男、見覚えがある。
「ゴホッ」
声を出そうとしたが喉が詰まる。
するとものすごいスピードでその男が水差しを口に入れてくる。
「ご無理をせず、いくらでも待ちます故」
そうだ、この男はこういう男だった。
水を少量、口に含み、喉を潤すとビンクは声をかける。
「ラーフェルト殿、御礼申し上げる」
そう言うとラーフェルトと呼ばれた男の目から涙が流れる。
「覚えておいででしたか、いや、本当にご無事でよかった」
服の袖で涙を拭いながら笑顔を見せる。
ビンクはその屈託のない笑顔を見て、生きながらえたことを改めて実感した。
その後、半日ほど養生したあと、ラーフェルトから目覚めるまでの顛末を聞くことになった。
ニアリサスの馬上でビンクが薄っすらと意識を取り戻した時の2人組はタージレット領の街で道具屋を営んでいる夫婦とのこと。
野草の採取中に見つけたと門兵に報告に来ていたところに、城外の視察から戻ったラーフェルトと鉢合わせ、そのまま家に連れてきたとのことだった。
「ビンク様の容体を医者に診てもらったところ、全身の筋を痛めているのと外傷は腕の裂傷のみ、ただ毒の症状が出ているとのことなので調べてもらい、薬を処方してもらいました」
そこまで聞いて、ビンクは改めて言葉を発した。
「医者の手配までしていただき、本当に感謝しかない、改めて御礼を申し上げる」
大きな街でも医者という職業につく者は一握りしかいない。
自身の家で依頼をしている医者だろうが、私用で呼ぶということはそれなりの金を支払ったということだ。
「気になさらないでください。ビンク様にはたくさんのモノをいただきましたので、この程度はお返しにもなりませぬ」
そう言うとラーフェルトは真剣な顔でビンクに向き直る。
「それにしてもあのビンク様に手傷を負わせた相手ですが、あの馬に載せていた物が?」
ビンクは頷くと、魔獣との経緯を説明する。
勇者の物語を聞く子供のように目を輝かせて聞くラーフェルト。
魔獣と遭遇し、一対一で戦い、生き永らえることなど滅多にないからだ。
しかも毒に侵されたとは言え、五体満足で討伐して帰還することなど不可能と言える所業だった。
ニアリサスやワーダーに助けられ、魔獣を一撃で絶命させるくだりは酸欠になるのではないかと思うほど、鼻息を荒くして聞いていた。
ラーフェルトはビンクの話の一言一句を聞き逃さず、自身の中でかみ砕き、飲み込み、一挙手一投足を想像しているのがその顔から容易に伺い知れた。
ビンクが一通り話し終えるとラーフェルトは大きく息を吐きだす。
「想像以上のお話でした」
「全て偶然が織り成した奇跡、儂も良く生きているなと自分でも驚いております」
「そんな、ビンク様なら当然、と思いたいですが確かに話をお聞きする限り、奇跡に近いものを感じますな」
「今こうしてベッドに寝て、ラーフェルト殿と話していること自体、夢の中にいるように感じます」
「ビ、ビンク様、先ほどから違和感を感じているのですが、いささか他人行儀すぎませんか。昔のようにフェルトとお呼びください」
ラーフェルトは悲しそうな目でビンクを見る。
「む、むぅ、そうは言われてものぉ」
「ビンク様との時間があったからこそ、私はタージレット領の騎士団長と言う職を任されているのです」
そう言うとラーフェルトは立ち上がり、上を向き、涙を流す。
誰よりも熱く、よく泣くところは昔から変わらないな、とビンクは思い出すと笑顔になる。
ラーフェルト・タージレットは、タージレット領シエルスト・タージレット侯爵家の三男にして病弱な男だった。
ただ、誰よりも領のことを想い、民を守りたいと考えていた。
長兄が領を継ぎ、顔となる。
次兄が長兄の腕となり、領の政治経済を守る。
それであれば、自分は足となり、領のどこにでも向かい民を守ると考えていた。
ただ、自身の身体が病弱なのも理解していた。
それが武芸に陶酔する原因にもなった。
ラーフェルトが15歳になった年に事件は起こる。
領内に熊型の魔獣が現れたのだ。
それまでも魔獣が出ることはあったが、大型ではない魔獣に対しては自領の騎士団、並びに配下の従士を含めた物量で討伐していた。
今までと同じように騎士団で応戦したが、大型の魔獣との戦いに慣れていない騎士団では手に負えず、死傷者が増えるのみだった。
魔獣は領内の動物を襲い、村を襲う。
父であるタージレット侯爵は主領であるレイネン領に応援を要請する。
そしてレイネン伯直下の騎士隊が派遣された。
少数精鋭とは聞いていたが20人もいない騎士隊で何が出来るのかと思い、ラーフェルトは父に頼み、追従する許可を得た。
魔獣を追い込み、傷を与えていく騎士隊。
騎士たちの練度の高さは目を見張るものがあったが、何より少数精鋭でなければ出来ない連携、そして傷を負った騎士へのサポート、それは騎士隊という個々の集合体以上のものを感じさせた。
そして討伐できるだろうと誰しもが思ったとき、魔獣は決死の反撃を行おうと力を溜める。
その緊張感はその場にいる全員が理解した。
そしてその場にいる全員を守るかのように一人、魔獣の前に歩を進める男がいた。
魔獣の意識を自身に向ける男、前に立ったタイミングで魔獣は今までとは比べ物にならない速度で爪を振りかざす。
男はその速度がわかっているかのようにしなやかに避けると、魔獣の脳天に剣を突き刺し、両手で押し込み、動かなくなった魔獣の上で勝鬨をあげた。
その姿は15歳のラーフェルトの目に焼き付いた。
「あのビンク様の姿は目を閉じると未だに鮮明に思い出されます故」
どの姿のことを言っているのかビンクもわかっているが、自身のことである上に任務を遂行しただけなので何とも言えない表情でそのセリフを聞き流すと話題を変えた。
「そう言えば、お兄様方はご健勝かな」
その言葉で恍惚としていたラーフェルトは顔を少し苦くするのだった。
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