第5話 アルナルナプと酒

ビンクが村に入ってから3日が経った。

3日も滞在する気はなかったが、滞在しなければならない理由が出来たからだ。


「いよいよ、今日か」


ビンクは宿屋代わりに宿泊を許された村長宅の敷地内にある納屋から出ると一軒の家へ向かう。

扉を開けると既に数人がテーブルについていた。

看板を掲げている訳ではないが、この村唯一の食堂だ。


「おー、ビンクさん、ちょうど出来上がったところだよ」


奥から鍋を持った女主人とその娘が現れるとにわかに場が騒がしくなる。


「それは良かった」


女主人に案内され、ビンクは席に座ると持参したシルバー類を出す。

意匠に拘りを感じるその美しいカトラリーに女主人も笑顔になる。


「そんな綺麗なもので私の料理を食べてくれるなんて嬉しいじゃないか」


そう言うと機嫌よく、そのまま鍋に向かう。

勿論どの食堂にもそれぞれ食器類はあるが、基本的に木製で傷みやすい。

傷んだ食器類は廃棄するか、手直しが出来るものであれば手直しをするがそれにも金がかかる。

この村であれば物々交換になるので、食堂であれば食器の手直しに掛かる対価は料理となるだろう。

店側の直接の持ち出しはないだろうが、手直しはなければないに越したことはない。

それと女主人の様子だと、自分の料理を綺麗な食器で食べると言うこと自体が嬉しいのだろう。


「はいよ、まずはアルナルナプのモモ肉の煮物だよ、召し上がれ」


そんなことを考えているとビンクの前に皿が届いた。

これは3日前にビンクが狩ってきたアルナルナプだ、これを調理するというので滞在することになったのだ。

ビンクはまず自前のナイフでゆっくりと肉に触れる、するとナイフの自重だけで肉が切れた。


「おぉ」


いつの間にか先に座っていたはずの村人がビンクの周りに立ち、小声ながら驚きの声を出していた。

ビンクは村人たちへの意識を断ち、目の前の煮物に集中する。

ナイフで切った肉を二股のフォークで刺し、口元に運ぶ。

一体何で煮たのか見当もつかないが、食欲をそそる香りが鼻に届く。


「ごくん」


誰かの喉が鳴る音が聞こえる。

ビンクはその音が聞こえるや否や、口の中に入れる。

ナイフで切った時と同じく、いやそれ以上に柔らかいのがわかる。

歯があたると肉が崩れる、舌で切れる。

生臭さが全くなく、ピリッとした辛みと共に奥深い味わいが喉を通る。


「うまい」

「綺麗に血抜きも出来てたからね、3日ぐらい寝かせないと臭みが取れないのが難点だけど」


ビンクと女主人のその会話を聞くと、俺にもくれ、私もほしいと声が出る。


「順番、それに交換できるものが何かも伝えるんだよ」


女主人と娘は村人たちをそれぞれ座らせ、交換する品を聞きながら煮物を提供していく。

ビンクはそれを見ながらゆっくりと咀嚼し、煮物を食べ進める。

辛みが身体を芯から温める、じんわりと汗をかく、だが心地よい。

食べ終わる頃に女主人が皿を持ってくる。


「よし、綺麗に食べたね。次はこいつだ、どこの部位か当たられたらおまけを出すよ」

「ふふ、これだけ美味しい料理だ、おまけも含めて全て味をみなければな」


女主人とのやり取りのあと、出された皿に乗っている料理を見る。

肉と山菜を一緒に炒めているのはわかる。

確かに見た目で部位はわからない、が食べればわかるだろう。

ビンクはそう考えると肉を口に運ぶ。

先ほどの煮物と違い、筋張った食感が歯に届く。

コリコリとした歯応えが響き、先ほどとはまた違った甘みのある味わい。


「わかるかい?」


女主人が笑顔で問いかける。

それをビンクは少し待てと手で制する。

二口、三口と食べ、ビンクは口を開いた。


「これもうまい、そしてアルナルナプの肩回り、かの」


女主人はすぐに大きく笑いながら正解と言って奥の部屋に入っていった。

それを見る村人は、娘にこちらにもくれと騒ぎだす。

ビンクはその喧噪の中、胸を撫でおろしていた。

あの食感は臓物類かと思ったが、今日で狩ってから3日、このタイミングに出すもので臓物類はないと思い出し、軟骨だとわかったのだ。

モモ肉は先ほどの煮物となれば、あとは身の肉か、腕。

アルナルナプの肩回りの肉は初めての経験だが、推測だけで正解した。


「食べる部位がそれほど多くない獲物でよかった」


ビンクはぼそっと独り言を吐く。

炒め物を食べ進めていると奥から女主人が出てきた。

片手に瓶、片手にゴブレットが二つ。


「ビンクさん、おまけだよ」


そういって机に置いた二つのゴブレットに液体を注ぐ。

綺麗な透明の液体だ。


「こいつはね、行商に来る人間とたまたま交換した酒なんだけどさ、飲みやすくて私の秘蔵っ子って訳さ」

「ほぅ、それはさぞうまいのだろう」


ビンクはそう言うと一口飲んでみる。

さらりとした喉越し、芳醇な香りが鼻腔を包む、味わう前に飲んでしまった。


「こ、これは」


ビンクは驚きを隠さず、二口目を口に入れる。

一口目より、ゆっくりと口内に滞在させると確かにアルコールだとわかる。

これほど癖のない酒があるのか、それにこの香りは何なのか。

今までに飲んだことのない種類の酒だった。


「どうだい?うまいかい?」


グビグビと飲みながら女主人が尋ねる。


「間違いなくうまい、だがこの酒は今まで飲んだことがないが、どこの酒かわかるかの」

「西の海を越えた先にある国って言ってたよ」

「海を越えてきた酒か。そして秘蔵っ子と言うのも頷けるうまさだ」

「だろう?出来たらこの酒を仕入れたいんだ」


そうか、とビンクは頷き、考えた。

その行商人が自ら買い出しに行ったものではないのだろう、流通が出来ている商人であれば商談まで持っていくのが普通だがそうしなかった理由としては掘り出し物としてどこかで手に入れたと考えるのが一番だろう。


「またどこかでこの酒に出会えるといいんだがの」

「そうさね、その時はこの食堂を思い出して飲むといい」


そのやり取りの最中に奥から娘が皿を持って現れた。

机に置かれた皿には焼かれた肉と香草が乗っている。


「これが最後の品だよ、この酒と合うはずだ。もう一杯、入れていくから試しておくれ」

「これはうまそうだ、酒と合うか試してみよう」


その皿から立ち込める肉の香りは食堂内に充満していた。

肉を焼く、ただそれだけで爆発的な香りを発していた。

こちらにも、とお決まりの台詞が聞こえ、女主人と娘が注文を取っていく様を見ながら、ビンクは肉をつまむ。

片面はパリパリとした焼き加減で片面は肉汁が出てきている。

見た目だけで食欲が沸く、視覚、嗅覚を含む感覚というのはすごいものだ。


「うむ、これもうまい」


味覚としても勿論うまく、酒とも合った。

そして料理を食べ終わり、この村での滞在が終わりを告げたのだ。

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