第2話 家の後始末

「また例の内容のお手紙が届きましたよ」


執務室に入ってきたミラがそう告げる。


「そうか、そこにまとめておいてくれ」


ビンクはそう言って指示した場所をチラリと見ると既に束となっている手紙を確認して、ため息を一つ吐く。


「この儂に何を期待しているのか、酔狂な人たちが多いのぉ」

「ビンク様は有名ですからね」


ミラはニコニコしながらそう告げるとお茶を置いて部屋を出た。

執務室から出るミラを見送り、ビンクはイスに深く座り直すと天井を見上げ、目を瞑る。


自身から何かをした記憶はない、ただ仕事をこなした、それだけだ。

魔獣を倒し、反乱分子を制圧し、戦で誰がしかと剣を交えた。

全ての戦いに勝利した勇者でもなく、神託を賜った聖騎士でもない。

ただ、騎士としての仕事をして、そして生き残った。

そう、それだけだ。

それが凄いことなのかどうかはわからんが、偉業と呼ばれるほどのことでもない。

運が良かったのだ。


目を開け、手紙のある机に向かい、手に取る。

内容はどれも士官の誘いだ。


辺境伯直下の騎士隊、その隊長、それにどれほどの価値があるのか。

ラブラック家、男爵の当主と言うものにどれほどの価値があるのか。

では、ビンク・ラブラック単体で見た時はどうだ。

確かに腕っぷしにはそこそこの自信がある、それ以外は美味い飯が食べられればそれで満足できるだけの老人ではないだろうか。

遠征に向かう際、雄大に見下ろす山河や駆け抜けるように去っていく街でゆっくりと過ごしてみたいと思う、ただの男ではないだろうか。

そうだな、きっとそうだ。


ゆっくり、大きく頷くと、ビンクは手紙の返事を書き始めた。


数日後、士官の断りについての手紙を粗方書き終え、置かれていた手紙の束がなくなる頃、ジョゼフとミラを執務室に呼び出した。


「ビンク様、どうされました」


ジョゼフが不安そうにビンクを見る。

執務室に2人揃って呼んだのはメイクが亡くなった後、今後の方針を伝える時だけだった。


「そう硬くならなくてよい」


ビンクが笑顔で声を掛けると2人の緊張が少しは解れたように見えた。

ジョゼフが相変わらず、ミラを支えるように傍に立つ。

ビンクの眼から見てもこの2人が好き合っているのはわかる。

そしてなぜ婚姻関係にならないのかもわかっていた。


「2人とも、この館は好きか?」

「え、えぇ、私たちも務めて長いです、思い出がたくさん詰まっております」

「そうですね、メイク様、ビンク様との思い出がいっぱいあります」


ジョゼフとミラは交互に顔を見ながらそう答えた。


「そうか、長年仕えてくれて感謝する。その褒美としてこの館を2人に譲ろうとおもう」


その場でミラが倒れそうになるのをジョゼフが支えていた。

ビンクも慌てて、ソファに誘導するのだった。


ミラの無事を確認して、詳しい話は夕食後に、とビンクは2人に告げた。

その日の夜は3人で席に座り、夕食を取る。

普段は給仕をミラ、キッチンをジョゼフが担当しているので3人で食べる機会はまずない。

3人で食事をする光景を俯瞰して考えた時、ふと思い出した。

この10人掛けの食卓を一斉に囲んだことがある人数は最大で3人だ。

生前のメイク、メイクの妻、そしてビンクの3人。

その次はメイク、ビンク、ビンクの妻の3人。

そして今、ビンクとジョゼフとミラの3人。

メイクもビンクも館は家という認識が強く、人を呼んで歓待するという他の貴族のような習わしがなかったからだ。


「ビンク様、急に何を言い出すんですか」


食事が終わり、ミラがお茶を持ってきたので3人で飲んでいると、ふくれっ面のミラから一言。


「そうですよ、料理しながらも色々考えたもんだから」


ジョゼフはそう言うとビンクは、いつも通り美味しかったから大丈夫と伝える。


「儂の中でな、色々考えた結果だったんだよ」


ビンクは持っていたカップを置き、ゆっくりと2人を見る。


「騎士としての任を下り、このあと何をしようかと考えていたんだがな」


2人もカップを置き、ビンクに視線を向ける。


「旅に出ることに決めた、だから館を渡そうと決めたのだ」

「帰って、くる、家としては残されないのですか」


ミラが涙目で伝えてくる。


「そうなるな」

「でも、だからって」


ビンクが肯定するとジョゼフが理解できないと声を振り絞る。

仕えている主人が帰らない旅に出ると言うのだ。

ビンクも先代のメイク様が同じことを言い出したら、と考えたが、答えは一つだった。

そしてこの2人もそこに行きつくだろう、と。

ジョゼフがミラを見る。

するとミラがビンクに視線を向ける。


「わかりました、ただ、譲るのではなく、お預かりします。いつでも帰ってこられるよう今までと同じように綺麗にしておきますからね」


ミラが笑顔で答える。

その凛とした姿と声を聞いて、ビンクも笑顔になる。


「そうか、ありがとう」


2人と別れ、自室に戻ったあと、ビンクは窓際のイスに腰かける。

部屋から見える景色、街並みを見ながらこれからのことに思いを馳せる。


ジョゼフとミラはこの家を大切にするだろう。

何より幸せになってもらいたい。

あの2人が孤児院に毎月寄付しているのを知った時は驚いた、と同時に申し訳なく思った。

メイク様、そして儂と、共に妻に先立たれ、爵位を継ぐ子もいないのだ。

使用人として配慮させてしまっているのが心苦しい。

2人の年齢から考えると産むのは難しくとも子供を育てる時間はあるはずだ。

何より使用人として職がなくなるのだ、新しい生活、新しい人生、生き甲斐として長生きしてもらおう。

この家と共に少なくない金員も渡す予定だ。

今までの苦労を金で解消する訳ではないが、あの2人にもやりたいことをやってもらいたい。


そんなことを考えているとウトウトして来たので横になる。

騎士を退職してからいつも通り、とは違う日常だからなのか、最近はすぐに睡魔が訪れる。

ビンクは寝息をたてた。


ポールドの葬儀からひと月が経った。

ビンクはその間に旅の準備と挨拶廻り、家の譲渡について処理をしていた。

執務室で仕事をしていると窓から見える青々とした樹々が目に入る。

そのまま誘われるように庭に出ると気持ちのいい陽射しとよく手入れのされたふかふかの芝、横になるなと言うのが難しい。

横になり、そのまま目を瞑ると自然と昔のことが思い出された。

数年だが育ての親である庭師に連れられ、初めてラブラック家に来た時のこと。

メイク様の奥方様とご子息の不幸があり、そのあと養子として引き取られた時のこと。

自身の妻となる女性をメイク様に初めて紹介した時のこと。

この家で色々なことを経験した、させてもらった、それは素晴らしいことだ。

男爵家としての家ではなく、この家にはもっと色鮮やかな思い出をこれからもたくさん作りだしてほしい。


「ビンク様―、どちらですかー」


ミラの声が聞こえたので、上半身を起こし、手を振るとジョゼフとミラが庭に出てきた。

そうだ、今日の昼ごはんはここで食べよう。

ビンクは近づいてきた2人に声を掛けるのだった。

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