ビンク・ラブラックの旅
ぺらしま
第1話 レイネン領
アーイスト王国、西方レイネン領。
西方辺境伯として代々レイネン家が治める地。
大森林、山々に囲まれた自然豊かな地。
大王国アーイストの中でも特に広大な領地を治めていた。
「今日の昼は何を食べようか」
レイネン領内の道、口髭を撫でながら男は呟いた。
歩きながら道の脇に生えている草に近づき、ふんふんと香りを嗅ぎ、その草をむしる。
樹に生っている実を見て、うんうんと頷きながら、これもむしる。
そうこうしている内に腰に下げていた袋が満杯になっていく。
「これだけ材料があれば、うんうん」
男は今日の昼ごはんの献立を考えると笑顔になった。
家のキッチンに立つのは久しぶりだが野営で料理もしているし、問題はないだろう。
そんなことを考えていると、屋敷の方角から男が大声を出しながら走ってくる。
「ビンク殿~!」
「おぉ、これはイエーン殿、そんなに走ってどうなされた」
ビンクと呼ばれた口髭の男の元に駆け寄ってきた男は、荒れた息を鎮めることもせず、大粒の汗と共に一息で言葉を発した。
「ポールド様がお亡くなりになった」
ビンクはその台詞を聞くと、城がある方角に目を向け、目を閉じた。
「そうか、ポールド様が」
「は、早く城に戻りましょう」
イエーンが急かし、ビンクが走り出そうとしたその時、一陣の風が2人の間を通り抜け、包み込むようにして去っていった。
「い、今のは?」
イエーンが独り言のように呟く。
風の吹き方としてはおかしいだろうが、ビンクには伝わるものがあった。
今の風はポールド様だ、ビンクはそう判断して、イエールに向き直る。
「イエール殿、どうやら見送られたのはわしらのようだ、ポールド様が達者にと言っておられる」
ビンクはそう呟くと空を見上げ、霊樹シアースと大地の神ナーラに祈りを捧げる。
隣にいたイエールもビンクを見て、併せるように祈りを捧げた。
ポールド・リワン・レイネン、前レイネン領辺境伯として、領内の発展と守備に尽力した。
魔獣への対処、他国との外交、密入国者への対応など、王国への貢献は多大なものだ。
魔獣自体がどうやって生まれるのかはわかっていないが、このレイネン領では半年に1~2匹が現れては各地に損害を出していた。
その都度、辺境伯直下の騎士隊が魔獣討伐の任を受ける。
ビンクが騎士になってから35年、生き残っている同期は3人。
そして騎士隊に所属し続けているのはビンクのみとなっていた。
数日後、ポールド前辺境伯の葬式が盛大に行われた。
アーイスト王を含む大貴族も参列し、街中は悲しみに包まれた。
その葬儀の中で現レイネン領辺境伯が変わりない平穏、並びに更なる発展を王に誓約をすることで領民たちからの支持を集める為の儀式がある。
領地領民への貢献度が高い領主は、家督を譲ったとは言え、存命であれば領民からの想いが強いからだ。
その葬儀を、その光景を、辺境伯直下の騎士隊隊長として、ビンクは静かに見つめていた。
葬儀が終わり、顔見知りの貴族へ挨拶を済ませるとビンクは屋敷に戻る。
この屋敷にも使用人はいる、と言ってもビンクよりも年が上の使用人が2人。
「ご主人様、大丈夫ですか?」
ハウスキーパーを担当しているミラがヨロヨロと歩み寄る。
「ビンク様、おかえりなさいませ。ビンク様は傷心されておるからそっとしておけと言うたろう」
ミラを支えるように横に立ち、それでいて姿勢を崩さない料理長兼使用人のジョゼフ。
そのやり取りを見て、ビンクはほほ笑む。
「心配してくれてありがとう、ミラ。ジョゼフもありがとう、ミラを横にしてあげなさい」
そういうと2人は礼をした後、部屋に戻る。
ビンクが当主になってから今までで屋敷に残っているのは2人だけだ。
新しい人員を雇わなかったのも、ふわりとしたものだが理由はある。
それは年を経る毎に固まりつつあった。
ビンクは自室で横になると息を一つ吐き出す。
「メイク様、遺言を実行する時が来たようです」
数日後、ビンクはレイネン辺境伯に謁見を願い出る。
執務室ではなく、サロンに通されたビンクは淡々と伝えた。
騎士隊からの除名について。
「ビンク、一体どういうことだ」
「先代から35年、もう身体も言うことを聞かなくなってきました」
「そんなことはないだろう、なんだ、父が亡くなったからか」
ビンクは出された茶器に指をかけ、一啜りする。
花の香りが強く、それでいてすっきりとした後味だ、こういう場でなければゆっくりと味わいたいと思った。
ただ、それ以上に歓待用の紅茶を一介の騎士に出させてしまったという申し訳なさがある。
「それもありますが元々考えてはいたのです。世代は変わるもの、いつまでも古きに縛られることもありますまい」
「だ、だがな、ビンクにはいてもらわねば」
先代が亡くなり、古参の騎士から謁見の依頼があった。
サロンに通したのも現辺境伯の気持ちの表れだろう。
幼い頃から父とその側近として触れ合っていたのだから。
だからこそ、想定外の話の内容に声が震えてしまったのだろう。
ビンクはその気持ちを理解しながら、手の中にある茶器を一気に煽る。
「後継も育っております、副騎士長のケインを筆頭に優秀なものばかりで、もう儂では練習相手も厳しい」
そう言うとビンクは快活に笑い、では、と声を掛け、席を立った。
サロンを出ると先ほど名前が出たケインが静かにこちらを見ている。
ケインは現辺境伯の身辺警護も行っているから当然と言えば当然だ。
ビンクもケインへ視線を返す。
辺境伯直下の騎士隊副隊長、と言う肩書以外に辺境伯の親戚、伯爵の子と言う別の肩書を持つケイン。
ただ、その血筋を活用せず、努力した姿をビンクは見ている。
自身も影で色々言われているのを知っているだろう、だがそれを見返すだけの修練を積み、自らの力で今の地位を掴んだのだ。
「ビンク様、まだご指導いただきたいことがたくさんあります」
「あとは経験、儂が教えられることはもうないと思うがのぉ」
「いえ、その背に焦がれたのは私だけじゃない。どうか、ご指導のほど」
ケインはそう言うと顔を伏せながら自身の剣の柄をビンクに向ける。
レイネン領特有、いや、この騎士隊特有の風習であろうこのやり取り。
教えを乞う相手に恭順した証として騎士の命と言っても過言ではない、自身の剣の柄を向ける。
「やめよ、ケイン」
ビンクはその姿を見て、強めの言葉を発した。
ピクリとケインの肩が揺れる。
「言い方は悪いが、其方だから儂は去れる。このあとご当主様の剣となり、盾となり、支えられるのは其方だけだ」
ケインの肩が震えると足元に水滴が落ちる。
「あ、ありがとうございます。心に誓います」
「儂がいなくなって、ご当主様も寂しかろう、行きなさい」
ケインは俯いたまま、眼をこすると顔を上げる。
その眼には悔恨や自責の念は感じられない。
ビンクに一礼をすると、声をかけサロンに入る。
普通は一騎士がサロンに入り、当主の相手をすることなどないだろう。
この2人だからこそ、このレイネン領は安泰だとビンクは思った。
幼い頃から見ているこの2人だからこそ、去れるのだと。
ビンクは微笑みながら歩き出す。
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