文湿録

柑橘

文湿録

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 文章に冬の時代が訪れた。いや別に名だたる文筆家が皆世を去り有望な新人も現れず文壇が寂しくなったとか、あるいは政府の厳しい言論統制で数多の言葉が制限され幾多もの書が焼かれたとか、そういうのではなく、文章そのものに冬が来たのだ。この世に四季があるのと同じく、文章にも四季は巡り来る。

 今回の冬はやけに長かった。雨も雪も降らず晴天が続き、しかし風は吹きに吹いて一向に止む気配がない。そんな日がずっと続いた。雪に埋もれるはずだったページは乾いてひび割れ、文字もまた極度の乾燥により萎んで硬くなっていった。文字がささくれ立ち始めたのはいつ頃であっただろうか。どこもかしこもささくれ立っているものだから、書を撫ぜると当然指に引っかかる。さりとて、そのささくれを引っこ抜くと文字の方が痛がって、終いには怒って暴れ出して文章が滅茶苦茶になってしまう。皆でどうしようどうしようと頭を抱えているうちに、文字のささくれ同士が干渉しあって、こちらがちょっかいを掛けずとも文字同士で勝手に喧嘩したり暴れ出したり泣き出したりしてしまい、もうありとあらゆる文章が可読性を失ってしまった。

 春を待とうと言う者がいる。無論この「春」とは文章の中の春のことである。積雪が一切なく雪解け水が期待できない状況で春を待っても仕方が無いのではとの反駁がある。冬がこの有様なら春雨が降るかも怪しいですしとの反駁もある。このままでは書面でのやりとりも記録も、あるいは古書の閲読も、全てが能わなくなってしまうわけで、待つなんて気長なことを言っているわけにはいかないとの反駁もある。一斉に反論を食らった者はいじけてしまい、それならいっそのこと水でも書き足せば良かろうと吐き捨てた。一瞬場が静まり、皆顔を見合わせた。

 それで、その案が採用された。とは言っても書き足すのが「水」では文章の文字数が倍になってしまう。さんずいを付けてはどうかということになった。こうすれば少し漢字の横幅が広くなるだけで済む。そうして徐々に頁に潤いが戻り、ささくれだった文字の表面も徐々につややかになって墨色も以前と変わらぬほど良くなった。万事が概ね好転していた。

 問題は文字に水と結合しやすいものがあること、即ち親水性の文字の存在だった。疎水性の文字はさんずいと結合しても別の漢字を形成しない。例えば「置」は疎水性の文字だが、実際これがさんずいと結合しても「氵置」となり、このような漢字は存在しない。存在しないからこそ、なるほどこの漢字は置にさんずいを結合させたものなのだなと了解し得るわけだ。一方、親水性の文字では事情が違ってくる。例えば「青」は親水性の文字だが、これがさんずいと結合すると「清」になって丸っきり別の漢字になってしまう。もっとも「青」の場合は「清」になっても印象は大体同じだから問題はない。「はん」が「はん」になっても意味は同一だし、「永」が「泳」になると途端にすいすいとどこかへと泳ぎ去ってしまうが、よくよく考えたら永遠とはかくの如きものであって、別に差し障りはないだろう。「争」に至っては「浄」になるのだから、むしろ変わって良かったのかもしれない。

 しかし、大部分の親水性の文字はさんずいと結合して己の意味を変転させ、文脈に大混乱を引き起こした。一、十、百と帳簿を付けていると「十」の位だけ「汁」になって他の文字を滲ませてしまう。「先立」つものは「洗泣」になって綺麗になってるのだか泣いているのだか分からない。「干」していた衣類は「汗」にまみれて再び洗い直す羽目になる。「魚」を捕ろうと漁をしたら「魚」そのものが「漁」になってしまって、鶏が先か卵が先か、順序がこんがらがってしまった。「朝」が来たと思ったら「潮」が満ちて部屋が水没しかけるし、「胡」麻を白米に振り掛けようとしたら急に足元に「湖」が広がってちゃぶ台ごと水面に放り出される。弁当を布で「包」もうとしたらぱっと「泡」のように消えてしまうし、子供の背丈が何「尺」か測ろうとしたら今度は「沢」に放り出される始末。「肖」像は「消」えて、「貴」金属製品は皆「潰」れてしまった。「とり」年生まれは皆酔っぱらってしまったし、「西」の方からも「酒」の匂いがほんのりと漂ってくる。文章を書く時も一苦労で、文末を「なり」で〆ると「池」になって今まで書いた文章が全部溶け出してしまうし、理「由」を述べようと思うと「油」になって手がべとつく。「」で否定した文章は「沸」騰してしまって、熱くて持てたものじゃない。挙句、文を出す「ごと」に「海」を渡らねばならぬ。

 国の政務にもいささか問題が生じた。一年を占う「えきしゃはみな「湯」当たりしてしまって使い物にならない。国の象徴である「竜」は「滝」になってしまい、まぁ荘厳な滝に虹が架かる様子はこれはこれでめでたく見えるが、それにしたって竜が跡形もなく消えてしまったのは不味いにも程がある。慌てて漢字を「龍」にするも、これまた「たき」になってしまって意味がない。

 結局さんずいの代わりに片仮名の「シ」(※)を挟むということに相成り、保湿効果は減ったものの可読性を大きく損なうことはなく、そうこうしているうちに文章に春が訪れて春雨が降って、万事が解決したそうだ。

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 上記の文字列は、発見された石碑に記されていた文字列から偶数番目に挿入されていた記号「シ」を取り除いて表示したものである。この記号「シ」は頻度分析によりその頻度が50%前後であると判明し、また(※)の部分にあるものを除いた全てが文頭から偶数番目に挿入されていた。一方他の石碑文では記号「ネ」や「イ」などが代わりに挿入されており、これらの記号の差異が何と相関しているのか、これらの石碑文は何を伝えているのか、現在も研究が進められている。

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文湿録 柑橘 @sudachi_1106

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