第43話


 そうこうしているうちに男は窓に足を掛ける。枝に飛び移り敷地外へ逃走するつもりだ。

 捕まえなくては。

 あんな変態を野に放つ訳にはいかない。

 吐き気催す体に鞭を打ち、生まれたての子鹿な足で立ち上がる。しかし時既に遅し。男はスタントアクションもかくやな身軽さでジャンプ。枝が弓なりにしなり木の葉が舞い散る。飛び移りは見事に成功だ。男は勢いに乗り、そのまま幹へ移動しようと――したところで、硬い物がへし折れる鈍い音がした。


「あっ」


 間抜けな声を上げながら、男の姿は深き闇の底へと墜落していく。

 衝撃に幾度も耐えた枝が遂に限界を迎えたらしい。疲労骨折だ。何度もこの場所から脱出し続けたツケ、自業自得だろう。

 男は校舎脇――無人の駐車場へと転落した。これは死んだかもしれない。恐る恐る窓から覗き込むと、意外にも五体満足で無事らしい。落下地点がちょうど灌木かんぼく生い茂る区画だったのだ。細い枝や木の葉がクッション代わりになった。気絶しているらしく、男は完全に伸びきっている。

 悪運の強い変態だ。幸運の女神に目を掛けられているのか。


「いや、悪霊に狙われていたようだな」


 視線を感じ振り返ると、トイレの入り口にぼんやりと人影。病的な美白と黒い着物。三年生の怪異である人形霊がこちらを見据えていた。

 何故ここにいる。

 男が落ちたのは偶然もとい当然の結果。霊力は一切介在していない。人形霊はただこちらの様子を窺っているだけだ。その原因は恐らく変質者にある。学校中で異常行動を晒したのだ。憤りの一つくらい覚えてもおかしくない。それこそ、三年生のフロアから出張するほどに。

 否、そうではない可能性もある。

 彼女は七不思議、五年生の怪異を監視していたのではないか。実際のところ偽物ではあったが、その顛末てんまつを見届けるためにわざわざ訪れた。そんな推測もできる。ここ数ヶ月で急に活発化したり、各学年に一つずつ配置されていたり。その全てが人形霊の仕業……つまり、一連の黒幕なのかもしれない。

 睨み返した途端、人形霊は霧散し闇に溶け込んでしまう。非実体化状態だ。用が済んだので定位置――空き教室に戻ったのだろうか。現状、敵対する気はないらしい。ひとまずは安心だ。


「って落ち着いている場合じゃない。通報しないとな」


 百十番と百十九番、どちらを先にするべきか。わずかに悩むも人命優先、転落した男のために救急車を依頼する。

 監視役の大地にも報告だ。さすがの彼も深夜は自宅でぐっすり就寝中。着信で叩き起こされてご機嫌斜めだ。電話越しでねちねちと嫌味を言われてしまう。だが、警察沙汰になったのだから仕方ない。怪異の正体が人為的なものであった件も踏まえ、試験の評価に響くため報告連絡相談は必須である。

 ともあれ、一件落着だ。

 げっそり頬のこけたななを引き連れ手近な教室に向かう。


「おうちに帰ろうよー。なな、もう無理ー。しんどいー」

「悪いが仮眠をとって続行だ。時間が惜しいんだよ」


 正直に言えば家で眠りたいが、安心して床につけば爆睡必至。明日の夜まで起きられないだろう。保健室のベッドを借りたかったが、施錠されているので利用不可。よってその辺の教室で眠るしかない。

 まったく、あの男のせいで時間を無駄にした。言い分を聞かずに力尽くで制圧した方が良かったか。百害あって一利なしの答弁だった。二度と聞きたくない。

 仮眠をとったらすぐに六年生の怪異だ。残滓だけでも凶悪な悪霊、手こずるのは想像に難くない。休日を挟む以上、本日以内に解決方法の骨子を決めなくては。


 と、脳内で予定を組んだのだが、事はそううまく運ばない。

 事情聴取のためにやってきた警察と、事件の報道をしようと集まったマスコミ一同。矢継ぎ早の質問攻めを受けてろくに寝られず。同じことを何度も聞かれて辟易する羽目になった。

 因みに犯人の男――名はかなめ明仁あきひとというのだが、彼は小学校のすぐ隣のアパートに住んでいたらしい。毎日登下校の様子を観察していたようで、後の捜査で自宅より大量の盗撮写真が押収された。どれも望遠で撮られていたのが救いだ。魔の手が子ども達に向いていたら、今頃どんな大事件になっていただろう。狂気に囚われた者が隣人とは恐ろしい話である。


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