第41話


「うぅ、気持ち悪い」


 よろよろと、千鳥足ならぬ千鳥浮きでななが階段を昇ってくる。こちらも不健康で憔悴しょうすいしきった面持ちである。

 侵入者こと細身の男の後を追い、旧校舎時代の排水溝跡を通ってきた。道中は汚ればかりだろうし、不快害虫の類いとも遭遇しただろう。非実体化状態で接触せずに済むとはいえ、げっそりするのも無理はない。


「体調が悪くなったか」

「嫌なもの見ちゃって、それで吐き気が……うっぷ」

「排水溝を逆走したせいだな」

「そんなのまだマシな方だよぉ」

「虫やゴミより酷い何かがあったのか」

「お、おいお前。だだだ、誰と話してるんだよ!?」


 男は声を裏返らせてお怒りだ。気が動転しているのだろうが、あまりつばを飛ばさないでほしい。

 彼は純粋な一般人であり、ななをはじめとした霊体が見えないのだ。そもそもの話、見える体質なら夜間にこの地を訪問する愚行は犯さない。好き好んで霊や妖に会おうなんて酔狂、霊能力者だけで十分だ。


「あの男、一体何をしていたんだ?」

「……舐めてた」

「ん?」

「便器を舐めてた。女子トイレでずっと」

「おぇっ。気持ち悪っ」

「なんだよ、その軽蔑するような目はっ。オレは年上だぞ、もっと敬え!」


 ななが吐き気を覚えるのもよく分かる。話を聞いただけで胃液が逆流してきた。じかに現場を見てしまった彼女の気持ちは如何いかほどか。辛い役目を押し付けてしまったかもしれない。

 それにしてもこの男、想像以上に気持ち悪い。

 見た目と行動もさることながら、この期に及んで「年上を敬え」とは。年齢と敬意は必ずしも比例するものではないし、無条件で褒め称えろと強制されたくない。不法侵入した上変態行為を重ねてどの口が言うのか。盗人猛々しいとはこのことかもしれない。


「確認したいんだが。あんたは学校外の排水溝跡から侵入して、その後図書室に辿り着き、校舎を巡りここまでやって来た。で、合っているんだよな?」

「ふ、全てバレてしまったようだな。そう、その通りさ。オレが小学生だった頃、この学校で見つけた隠し通路を使ったんだよ。有り難いことに、これまで誰も見つけられなかったみたいでな。封鎖されずにあの頃のまま残っていたよ。だから利用させてもらった。何か文句あるのかコラ」


 誇らしげに豪語されても困る。誰がどう見てもただの犯罪行為だ。自慢できることではない。過去の悪事を武勇伝とのたまう輩と大差ないだろう。

 そして、噂の卒業生がこんな男だったとは。まさかの事実に愕然がくぜんとしてしまう。信じたくない。幻滅もいいところだ。当時憧れた元小学生達に全力で謝罪してほしい。


「そんな思い出の抜け道を使ってまで、どうして変態行為に及んでいたんだ?」

「へ、変態行為とは失礼な。オレにとって至高にして最強無敵の栄養補給なんだぞ」

「新手の健康法かよ」

「少女の尿――いや、この世で最も尊いとされる乙女の聖水は、空前絶後に滋養豊富で滋味深き味わい。未来への夢と希望がたっぷりみっちり含まれているんだ。残さず飲み干すのが礼儀というものだろう。それを変態行為と安易に断ずるとは。お前のようなひよっこなんかに何が分かるというんだ!?」

「分かりたくもない」


 他人の性的嗜好をとやかく言いたくないのだが、さすがにコレを理解するのは難しい。強要されても絶対に無理だ。己の欲望を満たすために犯罪すらいとわぬ熱意を抱くとは。悪霊や妖とは別の方向性で恐ろしくなる。

 こんな男が母校の大先輩という事実に絶望しそうだ。聖水に変な意味を持たせてほしくない。

 げんなりするこちらの都合はお構いなしに、男は朗々とこれまでの経緯いきさつを語り始める。


「オレは人生という名のゲームに負けた。惨めな敗北者として日々を無味乾燥に過ごしていた。会社はリストラされ友人も家族も皆離れていき、一人家に籠もって鬱々と自分の不運を恨むばかり。どいつもこいつも自己責任だとオレが全部悪いと押し付けやがって。誰も助けてくれないんだ。もう周回遅れで取り戻すチャンスすらない崖っぷち。いっそ異世界転生を願って自殺してみるか、なんて不意に考えてしまう。それでもまだ生きたい、人並みに幸せになりたいと踏みとどまり。湧き上がる世間への憎悪はどうしようもなく、ネットの掲示板を荒らし腹いせに終始する。生き恥晒す駄目人間になっちまったんだ」

「あぁ、分かった分かった。あんたが負の感情に支配されてるのはよーく分かったから」

「いいやまだ終わりじゃない。オレの物語はここからが重要なんだ。九回裏のツーアウトで逆転満塁ホームランをぶっ放す展開があったんだからな」


 饒舌じょうぜつに語っているところ申し訳ないが、長い上に暗澹あんたんたる内容で聞きたくない。刑事物のドラマなら犯行の動機を聞く場面かもしれないが、こちらとしては一切興味ないのでスキップしたくなる。

 そんな駆郎の願いとは裏腹に、男の自分語りは第二章へ突入し更に熱を帯びていく。

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