第38話


「よし。次は六年生のフロアに行くぞ」

「え、女子トイレの観察はもういいの?」

「誤解を招く表現はやめろ。夜しか出ないんだ。待っていても時間の無駄だし、やれることからどんどん進めていくぞ」


 期限まで残された時間は一週間と少しばかり。本日は大学を休んで朝一に乗り込んだのだ。このまま手ぶらで帰っては情けない。

 ならばこそ、隙間時間を有効活用だ。

 階段を昇って一つ上、六年生のフロアへ。授業中のためか、他学年と比較すると静寂そのもの。多くの生徒が真面目に勉強中である。

 だが、異様な気配が漂っている。

 試験前の下見以上に嫌なかんじだ。特殊な立地故の空気とは別種の違和感。並大抵の霊や妖では出せぬ悪意の臭気。ななもそれを感じ取っているらしく、眉間の皺が深く刻まれていた。


「六年生の階に出る、ぼろ布の霊について聞きたいんだが」


 授業を終えた生徒達に片っ端から聞き込んでいく。

 名前にたがわずぼろ布を被った姿で現れる霊。漂う残り香からして悪霊だろうが、その正体は依然として不明。果たしてどんな奴なのか。

 すると、興味深い話が幾つも出てくる。

 ぼろ布の霊は神出鬼没で時と場所を選ばない。気が付けば教室の隅や天井にいたり、特に意味もなく廊下を横切っていったり。子どもに怖がられてもすぐには消えず、しばらくその場に居座る傾向もあったそうだ。

 しかし、ここ数日――駆郎が訪れるようなってから、ぱったり目撃されなくなったらしい。誰もがただならぬ気配を感じるものの、その原因だろうぼろ布の霊はどこにもおらず。逆に「どこかに潜んでいる」という恐怖が伝播でんぱしているそうだ。

 また、ぼろ布の霊が出現し始める少し前、とある事件があった。屋上へ続く階段に設置されていたほこらが何者かによって壊された。犯人は未だ見つかっていない。子ども達の間では「霊はそこから抜け出したのでは」ともっぱらの噂だ。


「そんな物あったか?」


 屋上の祠なんて記憶にない。

 そこで職員一同に聞いてみたところ、どうやらここ一、二年で設置されたものらしい。その出自はこれまた一切不明。校長が骨董こっとう市にて購入したようで、思い付きで勝手に飾ったとのこと。言い分は「ご利益がありそうだったから」。この学校に勤めて長いのに、解神秘学的危機管理能力に問題ありだ。頭痛がしてくる。





 うっすら腐臭漂う六年生のフロアを後に。駆郎は昇降口――待機中の大地の元へと向かう。彼の方から会いに行くとは珍しい。それほど早急に報告したいことがあるのだろう。


 ――だよね。明らかにおかしいもん。


 六年生の悪しき気配は他の比ではない。漂う気配は強烈な悪意に満ちていた。一つの欲望を極限まで煮詰めたような醜悪さ。少量でコレなら原液はどれほど濃厚なのか。


「なるほどそうですか。確かに気掛かりですね」


 いつもは憎たらしい大地が神妙な顔つきで頷いている。真摯しんしな態度にほっとしたいが、それはそれで不安になってしまう。性格の悪さが鳴りを潜めるほどの何かが起きているのか。リトマス試験紙のような男である。


「これがその祠だった物らしいんだが、どう思う?」

残滓ざんしだけでも十分な悪意が漂ってきますね。中々の逸品ですよ」


 駆郎は段ボール箱ごと木片の山を手渡す。かつて祠だった残骸だ。受け取った大地は覗き見るよりも早く顔を背けていた。眼鏡越しに顔をしかめている。


「私も嫌な予感がしてきましたよ」

「だろ?」

「祠に関しては、こちらで調査するよう掛け合ってみます。商品開発に役立ちますし、諸手もろてを挙げて受け入れると思いますよ」

「助かる。恩に着るよ」

「勘違いしないでください。あくまでも私は、母校の行く末を心配しているだけです。それに、試験は変わらず続行中なので、甘めの採点など期待しないように」

「いや、大地は評価する側じゃないだろ」


 段ボール箱を挟み、駆郎と大地がまたも角突き合わせている。

 せっかく良い雰囲気だったのにぶち壊しだ。根っこの部分は似た者同士なのかもしれない。


 自分にもそんな間柄の相手が――友達がいたのだろうか。

 朧気おぼろげな記憶の海に潜り込む。

 しかし、はっきりとした記憶はどこにもない。試しに個人を思い浮かべてみるも、その顔にはモザイクがかかっている。本当に友達がいたのかすら怪しくなってしまう。

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