第34話


「早くしないと登校時間になるだろ」

「そ、そうね」

「おい、どうした。まさか妖のせいで霊体に異常をきたしたか。主に頭とか」

「なっ、失礼ね!」


 前言撤回。

 やっぱりただの吊り橋効果だ。

 自分と駆郎は、あくまでもビジネスの関係に過ぎない。

 そう、何度でも自分に言い聞かせる。


 ざわざわ、ざわざわ。

 階下より子ども達の声が反響してくる。登校班が続々到着し始めているらしい。まだ七時前なのに元気で何よりだ。一方、駆郎は想定外の速さに大焦り。


「まずいぞ。今すぐ撤退だ」

「でもリアカーとか、水浸しの床とかどうするつもり?」

「ああ、しまった。ヌリカベに手こずって後ろ倒しになったんだ」

「段取り下手っぴじゃん」

「寝坊した奴に言われたくないな」


 結局、片付けが間に合うはずもなく。

 出勤してきた校長からお叱りを受け、早急に原状復帰するよう言いつけられていた。


「いやー、お掃除お疲れ様ー」

「お前が手伝ってくれたら、もっと楽だったのにな」

「無理無理。だって、なながやったら怪奇現象じゃん。子ども達みんな大パニックだよ」

「仕事しない言い訳じゃねーか」


 悪態を付き合いどつき合い、二人揃って早めの下校だ。

 時刻は午前九時を回り、生徒達はそれぞれ授業に取り組んでいる。座学で板書に必死だったり、体育でプールに浮いていたり。誰も彼もが目の前のことに一生懸命。生命力バイタリティに満ち溢れている。

 ひるがえって自分はどうなのだろう。

 既に死人であり、この体は魂の残滓ざんしに過ぎない。姿形も意識も感情も同じ子どものはずなのに。彼ら彼女らには未来があり、自分には浄霊されるという結末しかない。似て非なる存在だろう。


 ――だから駄目だってば。考えたって仕方ないのに。


 最近は余計なことばかりが頭の中を占めている。

 これも記憶喪失のせいなのか。空き容量分だけ詰め込もうとして、逆にパンクしそうになる。自分がどうしたいのか分からなくなる。

 はたと気付けばもう昇降口だ。考え事をしながらだと注意散漫、まるで空間跳躍でもした気になってしまう。

 そういえば、駆郎が行方不明になった時もこんなかんじだったのかな。と、ぼんやり想像したのと同時に、下駄箱の陰よりいつものスーツ姿が現れる。足音を殺して霊のようにスライド移動だ。滑らかな手つきで瞬間技、駆郎の胸ポケットより折り鶴だけを引き抜いていく。


「お疲れ様です。今回もたっぷり時間をかけた丁寧な仕事ぶりのようで」

、不得意な分野が相手だったからな」


 気に入らない。

 正直に言えば、ななは大地が苦手だった。事あるごとに神経を逆なでする言動、反撃されても飄々ひょうひょうとした仕草で何処どこ吹く風。なな自身は嫌がらせされていないが、どうにもムッとしてしまう。


 ――別に、駆郎といがみ合っているから……って訳じゃないと思うけど。


 二人は因縁浅からぬ仲らしい。過去に決定的な何かがあったようだが、お互いそれを明かさずやぶの中。以前それとなく聞いてみたが、結局回答は得られなかった。


「恵まれた血筋なのにこの体たらくとは。やはり現場経験が足りないようですね」

「まだ学生の身だ。バイトの経験は数あれど、社会人と比べて劣っているのは認めるよ。そこは是非、大目に見てもらいたい」

「謙虚な姿勢痛み入りますよ。未熟とはいえ、さすが一流の出は違いますね」

「さっきから何が言いたいのよ」


 重箱の隅を楊枝ようじでほじくる大地に我慢ならない。

 ねちっこい責めに思わず口を挟んでしまう。


「妖はちゃんと倒したんだからいいじゃない。それを長々だらだらと嫌味ったらしく」

「今を生きない霊には関係ない話ですよ」

「そんなの承知の上だもん。あんたがしつこいから怒っているだけなんだから」

「霊だけあって感情優先ですね。後先考えず霊能力者の味方をするだけあります」

「ちょっと、ななのこと馬鹿にしてるの!?」

「よせ」


 だが、駆郎に遮られてしまう。


「どうしてよ。一言ガツンと言わないと気が済まないんだから」

「いいんだ。俺は気にしないから」

「ななは気にするもん」


 どうして平気でいられるのか。分からない。

 どうして駆郎のために憤っているのか。それも分からない。


「自己犠牲の精神ですか。美しくて結構ですね」


 大地は態度を正さぬまま。言い返さない駆郎を余所よそにレンタル品を回収していく。


「試作品のレビューは必ず提出してくださいね」


 大地はきびすを返し、リアカーを引いて下校する。

 慇懃無礼いんぎんぶれいな姿勢が最後まで腹立たしい。

 だが、その背中はどこか悲し気で。ななも口をつぐんでしまった。

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