第33話
※
油断してしまった。
もはや反撃はないと
だが、状況は楽観視できない。
「やだ、近寄らないで」
ななが消え入りそうな悲鳴を上げている。迫るのはヌリカベの触手だ。極太のそれは先程駆郎を打ち据えた新品。ぬらぬら粘液を滴らせている。
何故、そんなことを。
恐らく、ななの霊体を取り込むためだ。
霊とは純粋な魂そのものであり、すなわちそれはエネルギーの塊。同じ魂を源流とする妖にとっては
肉塊自体は半壊しているも、完全体に変わりはない。
人も霊もお構いなしに食い荒らす怪物の誕生だ。
「ひぃっ、気持ち悪いっ」
触手の先端がななの頬を撫で回す。悪意の滴が
汚されてたまるか。
痛む脇腹を省みず、ななを救うためにと駆け出す。
触手はとぐろを巻いてななを捕縛する――寸前、駆郎が割り込み魔の手を遮る。ぬめぬめした
「指――いや、触手一本触れさせない」
お札を握りしめた両拳、霊能力者の
ななは相棒である以前に大切な依頼主だ。こんなところで無念の
廊下に転がる釘打ち機とスプレー缶を拾い上げる。これが現状の最大戦力だ。二丁拳銃よろしく銃口を突きつける。
時刻は午前六時半を回ろうとしている。あと三十分で登校時間だ。もはや一刻の猶予もない。
ここから先は、問答無用の力押しで行く。
「ななは下がっていろ」
「でも」
「お前が食われたら困るんだよ」
前線よりななを退避させ、反対に駆郎はヌリカベへと肉薄する。
スプレー缶の
ヌリカベは悪あがきに大口を開ける。接地面の肉塊を引きちぎり自立行動を開始。あちらも力押しを選択したらしい。このまま食らいつくつもりだ。
目と鼻の先には生臭い悪意振り撒く巨大な口。ウバザメを彷彿とさせる捕食器官には、人間の歯が乱雑に生えている。
だが、それを使う機会は永遠に訪れない。未使用のまま血も飲めずに終わるのだ。
飲み込まんとする妖を前に、駆郎は一歩も退かない。
上方より覆い被さる捕食器官へ、スプレー缶の中身を全てぶちまける。局地的大寒波が訪れて口腔内は氷河期に。乱杭歯は肉を切り裂く直前で機能を停止させる。
勢いを失った捕食器官の中で釘打ち機を乱射する。ぐにゃりと柔らかい
粘液を幾ら被ろうともお構いなしだ。片っ端から釘を打ち込んでいく。
ばしっ、ばしっ、ばしっ――かちんっ。
釘打ち機が玉切れを知らせるのと、ヌリカベの核が露わになるのはほぼ同時だった。
「これで最後だ」
足元の釘を拾う。狙う先は核。脳味噌に似た瘤目掛けて先端を振り下ろす。
凍結から回復して捕食器官が
びくん、と肉塊の表面が大きく波打った。ヌリカベの動きが止まる。歯が抜け落ちた口内を晒したまま、
核より溢れ出る悪意の体液は、床の水溜まりに
ヌリカベは完全に沈黙した。
これにて、妖退治完了だ。
※
ドキドキが止まらない。
心臓はとうの昔に止まったはずなのに。
霊体の奥でズキズキムズムズ。思い切り掻き
――なんで、どうして。
駆郎から目が離せない。
妖から身を挺し庇ってくれたからか。不本意ながらキュンときた。ときめいてしまった。
――いやいやいやいや。絶対ない、そんなはずないって!
古の少女漫画じゃあるまいし。自分はそんなに軽い女の子ではない。これはそう、吊り橋効果ではないか。恐怖や不安を恋心と誤認してしまう現象。それの派生だろう。以前一目惚れという大失態をしたが、あちらも同様に血迷い彷徨い気の迷い。全部勘違いなのだ。絶対そうに違いない。
「終わったぞ。何ぼーっとしてるんだ?」
「ふぇ……うわわっ!?」
駆郎がいきなり覗き込むので、驚き思い切りのけぞってしまう。
近すぎる。いや、普段からこれくらいの距離感だが、急に意識してしまい胸のドキドキがアンストッパブル。思考がぐるぐる大回転で纏まらない。
まさか、本当に恋してしまったのか。
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