第31話




 空が白む夜明けの刻。

 無人の母校を訪れた駆郎は職員用出入り口へ。拝借した鍵で開錠し、誰よりも早く校舎の中へと滑り込む。こんなに朝早く登校した経験はない。校舎にこもった木の香りを胸いっぱいに吸い込んだ。


「うー、眠いんですけどー」


 寝ぼけ眼のななが宙に浮いている。爆音目覚まし時計でも起きなかった強豪だ。未だ夢うつつ状態らしく、前方不注意で扉を無視し壁をすり抜けている。


「ぐずぐずしている時間はないぞ。子ども達が登校するまであと一時間ちょっとだ。さっさと終わらせないとな」


 作業は迅速且つ正確に。

 無辜むこの生徒諸君を巻き込まぬよう早急に決着をつけなくては。


「でも、大丈夫なの。妖退治は専門外なんでしょ?」

「不完全体相手だからどうにかなるはずだ。それに、誰でも妖を楽々お掃除……ってのが、試作品の謳い文句みたいだしな」


 一般人が掃除感覚で妖を倒す時代がやってくる……かどうかは、本日の結果次第だろう。駆郎の双肩そうけんに商品化がかかっている。

 校舎北側の二階、四年生のフロアからくだんの渡り廊下へ。

 朝の清々しい空気に混じり、腐臭にも似た不愉快な気配が漂っている。不幸を誘発する悪意を元気いっぱい吐き出し中らしい。妖対策用のガスマスクを持参すればよかった。

 渡り廊下と四年生のフロアを繋ぐ曲がり角には何もない。

 だが、そこには不可視の肉塊――ヌリカベがへばりついている。しつこい油汚れを落とすためにも、まずは文字通りする必要があるだろう。


「早速使わせてもらうか」


 通路脇に停車しているのはリアカーだ。給食配膳用エレベーターに乗せてここまで運搬した。積載されているのは妖退治のアイテム達。駆郎はその内の一つを手に取る。

 掌サイズながらもずっしりとした重みだ。試作品故か塗装はされておらず、ボディは男心くすぐる無骨な銀色。持ち手グリップ銃身バレルを繋ぐように、厚切りハム型の弾倉マガジンが装填されている。

 釘打ち機。遠目からは拳銃に見えるだろうが、これでも立派な工具だ。銃刀法違反にならず普及させやすい。良い目の付け所だろう。


 安全装置を外し、不可視のヌリカベが潜む地点に照準を合わせる。

 日本製の釘打ち機は先端を対象に当てないと打ち出せない構造だ。銃口越しに不愉快な感触を覚えた瞬間、引き金トリガーを引き絞り細長い弾丸を放つ。

 ばしっ、ばしっ、ばしっ、ばしっ。

 金属質な銃撃音が鳴り響く。打ち出されし銀色は、曲がり角の空中で静止する。ぶるりと震える釘。途端、虚空にヌリカベの悍ましき姿が顕現した。

 ブヨブヨした瘤まみれの肉塊に、眼球と触手が幾つも生えている化け物だ。何度見ても妖の醜悪さには慣れない。本業の方々には頭が下がる思いである。


「うぇっ、気持ち悪い」

「諦めろ。釘をぶち込んだおかげで、しばらくはご対面状態だぞ」


 装填された釘は、対妖用の特殊な加工がされた金属製。企業秘密らしく素材の詳細は不明だが、専門家の刃や弾丸と同じ材質だろう。化け物相手に銀色の弾丸とは中々洒落しゃれが効いている。

 釘がめり込んだヌリカベは、不完全体のまま姿を晒し続けている。岩に貼り付く海鞘ほや富士壺ふじつぼ同様、逃げる足もなく狩られる瞬間を待つしかない。


「よし、次の道具を用意してくれ」

「もう、霊使いが荒いなぁ」


 ななは膨れっ面で次の秘密兵器を用意する。第二弾は組み立てに手間取るため、下準備は助手任せだ。霊動力ポルターガイストを活用して重たい箱をリアカーより下ろしていく。


「さすがにコレは大きいな」

「まさに武器ってかんじだね。掃除用具だけど」


 手渡されたのは黒々とした大振りの放水銃。プラグは廊下の壁のコンセントへ。ホースの先では貯水タンクが座している。

 その正体は高圧洗浄機。洗車や外壁の汚れを落とす際に使用される家電の一種である。この試作品は強力な水圧を妖退治に応用している。

 無論、洗浄用の水にも秘密がある。

 タンクの中に満ちているのは、妖に効果抜群の聖水だ。しかも、清めの塩も混合しており、ダブルで効果を発揮する食塩水である。これを超高圧で発射し、悪意のこびりつきを一気に取り除いていく。

 腰だめで構えて引き金トリガーを引くと、洗浄機本体がけたたましく唸る。瞬間、強烈な反動と共に食塩水が噴き出した。あまりの衝撃で後方に吹っ飛びかけて蹈鞴たたらを踏んでしまう。


 ――おいおい。これじゃあ一般人には扱えないぞ。


 改善の余地大ありだ。

 じゃじゃ馬の放水銃をがっちり抑え、未成熟なヌリカベに激流を浴びせていく。聖水と清めの塩の相乗効果で、醜悪な肉塊がドロドロ溶け始める。どこか蛞蝓なめくじを彷彿とさせる反応だ。朝日浴びる飛沫は煌めいて、汚れを細切れに削ぎ落していく。威力は申し分ない。ヌリカベの肉片はみるみるうちに萎み、水たまりの中に消えるばかり。悪意が分解されて無に帰したのだ。ひょこひょこ蠢く触手も、切り離された途端に力を失う。

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