第30話


 どうやらあの肉塊は、専門用語で妖と言うらしい。

 その正体は不特定多数の人間が垂れ流した悪意の集合体。ちりも積もれば山となるの要領で、魂のけがれが寄せ集まり生まれた怪物だ。個人の感情が基となる霊と違い、その姿は様々な悪意が混ざり合った結果グロテスクに。さながら合成獣キメラじみた見た目になる。

 伝承に残る妖怪の内、怪物然とした層がこれに当て嵌まる。複数の生物の特徴を併せ持つぬえ牛鬼ぎゅうきなどが良い例だろう。また同様に、複数の生物の特徴を持つ怪物――悪魔の伝承も、元を辿れば妖誕生のメカニズムに行き着く。そのため、解神秘学における英語名は悪魔devilらしい。幻獣のキマイラに至っては名前そのままだ。同様の事例は世界各地で確認されている。


「妖は人間がいる限り自然発生し続ける。特に生まれやすい場所は、忌地いみちとか禁足地きんそくちとか呼ばれて避けられがちだな」

「廊下の角でまさに汚れやすい場所だね。こんなのが普通にいるって事実が凄く嫌だけど」

「これでもまだマシな不完全状態だけどな」


 妖は徐々に悪意を溜めていく。その間は一般人をはじめ霊能力者でも視認できない。姿を隠して周囲一帯に不幸を振り撒くのだ。多くの場合は小さな事故や事件を誘発させる。また、妖の悪意を受けた小動物は衰弱し、草花は枯れてしまう。その不幸を更なる悪意の呼び水にして、完全体へと成長するのだ。


「完全体になると、今度は人間を食べようとする」

「言葉は通じないの?」

「悪霊とは別ベクトルで無理だな。退治するしかない」


 悪意が十分に溜まると捕食器官が発生して自立行動を開始。誰でも視認可能な完全体となり、周辺の人間を無差別に襲う。人体ごと食し、手っ取り早く魂を取り込むのだ。変死体や行方不明者の何割かは、妖の仕業と言われているらしい。

 また、意思疎通は百パーセント不可能。人間の魂由来とはいえ悪意の塊。不幸と捕食だけが目的の害悪だ。明確な意志を持たぬエネルギーの集合体のため討伐するしかない。


「まぁ、浄霊の方法だと倒せないんだけどな」

「駄目じゃん」


 不特定多数の悪意が入り混じる相手なので、対個人に特化した浄霊では効果が薄い。要するに管轄外である。

 その代わり、妖退治を専門にする霊能力者がいる。特殊な加工を施した刀剣類や銃火器を振り回し、全国津々浦々で縦横無尽の大活躍。里に下りてきた猛獣を仕留める狩猟者にも似ている。


「じゃあ、その人達にお願いするの?」

「いいや、自力でやり遂げるつもりさ」





 さかのぼること三週間前。

 試験前の下見中、渡り廊下にいるのが妖だと気付いた。

 浄霊技術や手持ちの道具では明らかに対処不可能。だからといってさじを投げれば霊能力者の名折れ。一流とうたわれる母を超えるため、無理難題に挑まずしてどうする。

 無駄にプライドが高いだけ、と言われたら反論できない。それでも、駆郎は自力で妖退治を成し遂げようと決意した。

 すぐさま大学側に報告。試験に妖が混じっている旨を伝え、対妖専用の道具を取り寄せるのだった。

 そして現在。ようやく妖退治の準備が整った。


「本気でやるつもりなんですね」

「俺に課せられた試験だからな。途中で放り出すなんてあり得ないだろ」


 注文品を届けてくれたのは大地だった。どうやら彼が務める商社の試作品が支給されるらしい。テスター役を兼ねているようだ。


「貸し出すからにはそれなりの成果を出してくださいよ。間違っても乱暴に扱って壊さないように」

「簡単に壊れるなら商品にならないだろ。そこは企業努力でなんとかしてくれ」

「賠償金請求しますよ?」


 渡された試作品の数々は、今後一般販売を視野に入れているらしい。霊能力者でなくとも妖退治ができるように、不完全体なら大掃除の感覚で撃退、というのがコンセプトだ。退治を生業なりわいとする業者から恨まれぬギリギリを攻めている。


「ヌリカベとの対決は明日の早朝だ」

「それなりに健闘を祈りますよ」


 道具一式をその場に置くと、大地は役目を終えたとばかりに立ち去る。

 こちらも本日の営業は終了だ。そして、明日の大学は欠席だ。講義に出ている暇はない。


「えー、早起きとか嫌なんですけど」

「仕方ないだろ。妖は夕方から夜にかけて強くなるんだ」


 妖特有の能力を総称して妖力と呼ぶ。文字通り霊力の妖版だ。

 逢魔おうまが時から丑三うしみつ時の夜更けまでが力のピークで、逆に日が出ている間は弱体化する。また薄暗い場所を好む傾向にあり、地下や洞窟どうくつに出現した場合、日中でも活発に行動しがちだ。伝承上の妖怪や悪魔の目撃談が大抵夜間なのもそれが理由である。

 それに、もう一つ問題がある。

 妖退治は基本大がかりになる。刀や銃を振り回す案件もあるのだ。不完全体相手でも相応の規模になる。そのため、登校時間前に片付けないとパニック必至。巻き込まれたら大惨事だ。

 よって、早急に帰宅し光の速さで入眠。夜明け前に行動開始だ。

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