第四章:渡り廊下の見えない壁

第29話


 駆郎が行方不明になって心底不安でたまらなかった。

 ミツデ様をやらかした女子達を見送り戻ってくれば、そこに相棒の姿はどこにもなく。人形霊について聞き込みしているはずなのに。何の前触れもなく蒸発してしまった。

 結局、丸一日帰ってこず、ななは夜の学校でお泊りする羽目になった。おっかなびっくり半べそかきながらの睡眠だ。おかげで熟睡できず睡眠不足のイライラマックス。再会時は勢い余ってグーパンチで殴り飛ばしてしまった。


 だが、それよりも。

 駆郎が突然いなくなった方が恐ろしかった。

 彼はいつか自分を浄霊する一介の霊能力者に過ぎないのに。

 いくら理屈をこねても、胸の奥のムズムズはままならない。いっそ心臓を摘出して患部を思い切り引っ掻きたくなる。

 何にせよ、駆郎が無事戻ってきてよかった。だが、面と向かって「嬉しい」なんて言うつもりはない。心の中に留めておくだけだ。


「人形霊は一旦保留にして、四年生の噂を先に解決するんだよね?」

「前代未聞の超常現象が関わっているからな。駆け出しの霊能力者が手を出してどうにかなる問題じゃない。とりあえずExOU任せだよ」

「じゃあ仕方ないか」


 気を取り直して、本日より挑むのは四つ目の七不思議。渡り廊下に潜む怪異だ。

 噂によると、四年生側の曲がり角に不可視の壁が発生するらしい。感触はぶよぶよぬるぬるで脂身そっくり。そのため、肉の壁とも呼ばれている。また時折、細長い何かが絡みつくらしく、烏賊いかたこなどの頭足類を連想する者も多いそうだ。といった具合で、詳細な見た目は不明なのに、生理的悪寒を誘う証言がてんこ盛り。鳥肌が立ってしまう。

 その他、壁の出現とほぼ同時期より、四年生を中心に不幸な出来事が連続しているらしい。教材の紛失や破損は日常茶飯事、階段から転げ落ちる生徒や教師も続出だ。最も顕著なのが、四年生が世話するうさぎの大量不審死だろう。二十匹近くいたのに一ヶ月の間に次々と衰弱死。残ったのはたった二匹である。

 これは中々手強い相手らしい。


「それにしても、な~んか嫌なかんじがするよね」


 早速現場の渡り廊下を訪れてみるも、じっとりジメジメした気持ち悪さが否めない。悪霊が発する気配とは別種の雰囲気だ。

 しかし、その発生源がどこなのか判然としない。見回してもごく普通の一本道だ。子ども達の絵画が掲示されているだけの白い廊下。それが余計に不気味だった。


「お前でも感じるのか」

「失礼ねっ。凄く嫌なのがいるってくらい分かるもん」

「それについてなんだが……まずは見てもらった方が早いな」


 百聞は一見にかずとでも言いたげに、駆郎は紙片を一枚取り出した。浄霊用のお札だ。ななが触れれば一発昇天、強力無比の仕事道具である。

 駆郎は曲がり角へとお札を放り投げる。怪異がいるらしい区画だ。しかし、そこはただの空白でしかない。

 ひらりはらり、お札は舞い落ちる。まるで花びらのようにはかなく踊り――ばちんっ。火花を散らして弾け飛んだ。

 何かに当たった。

 弾かれたお札は瞬く間に燃え尽き、廊下の片隅で灰燼かいじんと化す。

 そのおかげで見えた。


 不可視の存在とされた壁の正体が、ななの瞳にばっちり映り込む。

 それは肉塊だった。

 毒々しい紫の表面はぬめりを帯びており、泡立つようにボコボコとこぶひしめいている。その上に浮かび上がるのは、赤と青の血管に似た筋が作る網目模様だ。全体には眼球が複数つ不規則に埋め込まれており、せわしなく動いては透明の粘液を垂らしている。また、体のあちこちから薄桃色の触手が生えており、獲物を探すようにうごめいていた。

 その出で立ちに、海岸に漂着する巨大生物の死骸グロテスク・ブロブ・モンスターが真っ先に思い浮かぶ。しかし、ここは校舎二階の渡り廊下だ。流れ着くのは物理的に不可能。それに、何故霊能力者が対処する必要がある。ExOUに所属する未確認生物専門家の出番だろう。


「おぇっ」


 反射的に嘔吐えずいてしまう。悪霊と相対した時とは別物の恐怖と悍ましさだ。たとえるのなら、自分の部屋に突如害虫が侵入した気分だろうか。もしくは、不意打ちで猟奇的な画像を見せつけられた感覚だ。とにかく、印象最悪の見た目と言える。

 肉塊は次第に透き通っていく。長時間の維持は難しいのか、再び不可視の存在になってしまう。


「何、今のキモいやつ」

あやかしだよ。かつて世界中で化け物と呼ばれていた連中の正体さ」

「悪い冗談かな」

「残念ながら大真面目だ。こいつにえて名前を付けるとしたら――ヌリカベがお似合いだろうな」

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