第26話


 ここは、いわゆる異界なのか。

 電車に乗っていたら存在しない駅に到着した。曰く付きの森に踏み入って神隠しに遭った。など、怪異が引き起こす特殊な空間――異界に纏わる事件が報告されている。解神秘学に馴染なじみがなくとも概要を知る者は多いだろう。

 だが、これは全くの別物だ。

 極彩色の空からも、気色悪い岩山からも、魂特有の気配は一切感じられない。

 つまり、この異常な風景に怪異は関わっていない。もしくは、未知の――魂とは全く別の理論に基づく怪異が原因で発生している。


「最悪だ。まさか俺が第一発見者になるとはな」


 新種の生物、未発見の惑星。

 研究者なら誰もが一度は憧れるイベントだろう。しかし、駆郎にそんな願望はない。それに、現状喜ぶ余裕は皆無だ。

 正体不明の超常現象故に有効な対策が存在しない。霊能力者の駆郎でも対処不可能な空間に巻き込まれたのだ。生きて抜け出せる保障はどこにもない。


「やっぱり通信は不可能か」


 スマートフォンは圏外だ。自力で脱出方法を探す他ない。

 念のためお札を握りしめる。この異空間が魂と無関係な以上、気休めにもならないだろう。だが、丸腰よりはマシかもしれない。

 駆郎はじりじりと慎重に探索を開始する。

 暗緑色の地面は泥濘でいねいのようにズルズルとした感触だ。しかも、一歩踏み出す度ネチョネチョと不愉快な音が鳴る。知る限り一番近いのは、陸上に発生する藍藻らんそうの一種である石水母いしくらげだろうか。もっとも、その表現も正確とは程遠い。

 お札越しに岩へ触れてみるも、想定通り怪異らしき反応がない。こちらも表面がズルズルしており、全体的な感触は硬めの蒟蒻こんにゃくだ。また、岩の割れ目より黒い影のような草が生えているが、本当に植物なのか断言できない。

 前代未聞の常識外れ。意味不明そのものの景色。文字通りの異次元だ。酸素があるだけ御の字だろう。


「一体ここはどこなんだよ」


 誰に言うでもなくひとちてしまう。

 無意識に不安を紛らわそうとしたらしい。孤独になった途端、やかましいななが恋しくなる。

 なんとしても、元の世界に戻らなくては。





 異空間で遭難し、おおよそ一時間が経過した。

 探索を切り上げた駆郎は元の場所に戻ってきた。本当はより広範囲を調べたかったが、未開の地で迷子は致命的だ。スタート地点を見失えば帰還は絶望的になる。そのため、周囲五十メートル前後だけに留めた。


「ここは人間のいるべき場所じゃない……ってのは確実だな」


 あるいは、全ての生き物にとってかもしれない。

 この一時間、小動物はおろか昆虫の一匹すら見ていない。草らしき影も本当に植物なのか、そもそも生命体なのか怪しいところだ。

 無事呼吸できているので少なくとも酸素はある。つまり、動植物が生息しているはずなのだ。それなのに、生き物が一匹もいないとはこれ如何いかに。この異空間の生態系及び食物連鎖はどうなっているのか。


■■ザビャ■■■■ジヅニラヴァ■■ポネシビィ■■■■■ザレショヅンカ


 


■■■■エプヂグヅニ■■■■■ビェビョデポネゾネビャネ■■■ゼビャネ■■カア

■■エンロンビュ■■■■フサショシィ■■■ネデズウ■■コガ■■アネ■■■■カシュニザ


 声のようだ。しかも複数。何者かが会話をしている。

 しかし、それを言葉と呼んでいいのか。便宜べんぎ上会話と表現したが、聞こえてくるのは異音だ。耳障りで気分を害する怪音波。言語云々うんぬん以前の問題だろう。

 まずもって聞き取れない。真似まねしようにも発音できない。無理矢理カタカナ表記に落とし込んでいるだけで、本当にそう言っているかは別だ。ただ、そうとしか聞こえない。頭がおかしくなりそうだ。

 一体、誰が何を話しているのだ。

 遭難者を助けようとしているのか、それとも外敵として排除するつもりなのか。

 分からない。

 だが、何もしなければ俎板まないたこいになる。


 敵か味方か。

 反撃か逃走か。

 果たして、どちらが正解なのか。

 駆郎が選んだのは第三の選択肢、身を隠すことだった。

 暗緑色の岩陰で縮こまり、迫る危機をやり過ごすのが最善だろう。まずは声の主を特定する。最低限見た目で友好的か否かの判断をしたい。意思疎通不可能ならすぐに離脱。一刻も早く出口を見つけ、この異常極まる空間から抜け出すのだ。

 そっと周囲を見渡すが、何者かの姿形はどこにもない。しかし、声は着実に近づきつつある。


■■■■ビィダザノビャシャ■■■■クニピシィ

■■ザビャ■■メードン■■ピシィ■■ウラ■■フネ■■■カシュニ

■■ネデ■■フネビュ■■■■ビョザクシィ■■ヌニノン■■■フンカグニ■■ネネ


 しかも、声の主は数を増やしている。姿なき存在は何人――否、何匹も周囲を徘徊しているらしい。

 異空間に迷い込んだ駆郎を狙っている。

 確証はない。ただ、生物としての勘が働いたのだ。

 ここはあちら側のホームだ。隠れ続けてもいずれジリ貧に陥るだろう。捕まればどんな末路が待ち構えているのか。捕食、人体実験、あるいは……考えたくもない。

 息を殺し、じっと離脱の時を待つ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る