第25話


「お前は」


 人形霊。

 真っ先に浮かんだのはその名前だ。

 切り揃えられた前髪と、真っ赤な花柄で彩られし黒地の着物姿。肌は透き通るように真っ白でもはや病的。長い睫毛まつげを誇る双眸そうぼうは、黒々と深い闇をたたえている。

 彼女の特徴は空き教室の主たる市松人形そのものだ。

 しかし、それはおかしい。絶対にあり得ない。

 あの人形に霊は宿っておらず、ましてや呪物の類でもない。

 つまるところ、眼前の少女は見た目がそっくりなだけの単なる霊だ。人間離れした美白肌から察するに、霊体の変化はごく軽微。悪霊化一歩手前だろうか。


 ――こいつが三番目の七不思議なのか。


 噂だけの虚構ではなく、まさか実在していたとは。

 何故人形と同じ姿なのか不明だが、霊相手ならばやることは一つだ。


「自ら浄霊されに来たんだな?」


 お札を人形霊へと差し向ける。

 昨日の男児同様、問答無用で強制浄霊するべきか。否、発する悪意は比較的薄弱。霊体の具合も加味すると、正常な霊に戻せるかもしれない。真っ当な方法で浄霊させる選択肢もあり得るのだ。

 さて、どうするべきか。

 手をこまねいている間に、人形霊は廊下の奥へ遠ざかっていく。


「逃げるつもりか」


 わざわざ死角から出てきたくせに。霊能力者をおちょくっているのか。

 一足遅れて追いかけるも、人形霊は雲を掴むように手応えなし。のらりくらりとやり過ごし、とある一室の扉をすり抜けていく。教材倉庫だった。


「誘っている……んだろうな」


 魂を奪うため己の陣地に誘い込む。一般人が巻き込まれがちな戦術で、教科書通りの基本的手口だ。つまり、教材倉庫は人形霊が張った罠の可能性大。踏み入れれば一体どんな目に遭うだろうか。


「よし、受けて立ってやる」


 だが、ここで退いては試験クリアは夢のまた夢。

 わずかな手がかりでも逃さず、確実に解決へと繋げてみせる。何より、悪霊に舐められたままでは気が済まない。汚名返上だ。

 意を決し、教材倉庫の引き戸を開錠。さびかけの錠前がへし折れたような音を立てる。長年使用されていないのだろう。開けるとかびほこりの臭いが溢れ出してきた。掃除くらいはしてほしい。


 人形霊の姿は見当たらない。

 倉庫の中は金属製の棚がずらりと並んでいる。敷き詰められた段ボール箱を覗くと、中身はどれも年代物だ。何十年も前の教科書がぱんぱんに詰まっている。不用品の行き着く先なのか。一時保管場所として押し込み続けて幾星霜いくせいそう。片付け不可能な魔窟まくつになってしまい、誰も手を付けず長年放置されてきた。大方、そんなところだろう。

 倉庫の奥へと進むと雑然さはより酷くなる。隅では用途不明のオブジェが乱立し、その上には汚れたマットや三角コーンが積み重なっている。日頃の業務で忙しく手つかずなのだ、という擁護にも限度がある。年末の大掃除で決着をつけてほしい。


 埃を吸ってき込みながら、ガラクタを掻き分け人形霊を捜索する。

 劣悪な環境で体を悪くしそうだ。マスクを持ってくればよかった。


 ――でも、こういうのも懐かしいよな。


 狭い場所に潜り込んでいると、小学生時代に流行した探検ごっこを思い出す。

 学校の隅々まで探検するという、ただそれだけの遊びなのだが、これが存外楽しかった。

 事の発端は、卒業生が発見したらしい隠し通路の噂だったか。一説によると、旧校舎時代の名残を利用するとかなんとか。外部から学校への侵入ルートがあるらしい。結局、誰も発見できず真相は闇の中。しかし探検ブームは冷めやらず、その後は学校中の設備を奥深くまで探ろう、という一大ムーブメントに発展した。図工室と音楽室を繋ぐ謎のパイプとか、体育館の用具入れにある秘密の隠れ場所とか、その他諸々以下省略。

 思い返してみると、相当危険な行為に及んでいた。ただでさえ怪異が頻発するのに、子ども自ら死亡事故に片足突っ込んでは始末に負えない。当時の教師陣も気が気ではなかっただろう。叱られた生徒もかなりいたはずだ。もちろん、駆郎と大地も御多分に漏れずである。


「さて、と」


 懐かしさに浸るのもここまでだ。

 中腰姿勢から体を起こして周囲を見渡す。


「ここはどこだ?」


 景色は一変していた。

 教材倉庫にいたはずが、気が付けば見覚えのない場所にいる。

 校舎内のどこかならまだ良かった。街角に出てしまったのならおまけで許せた。

 だが、これは理解不能だ。

 眼前に広がるのは学校でも市街地でも、ましてや自然豊かな山林ですらない。

 暗緑色あんりょくしょくの岩石転がる、荒野らしき土地が延々と広がっている。空には極彩色ごくさいしきのマーブル模様が渦巻いており、前衛的な絵画を創作中だ。昼なのか夜なのか、太陽とも月とも判別がつかぬ天体が仄かな光を放っている。

 まるで高熱を出した時に見る夢のような情景。統一感の欠片もない混沌カオス。控えめに見積もっても、地球上のどこでもない場所だった。

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