第三章:正体不明の人形霊

第22話


 昨日の体験は胸に大きなくさびを打ち込んでいた。

 掴みかかる悪霊の男の子。ギョロつく四つの瞳とギザギザの歯。そして、紙やすりみたいな灰色の肌。奮い立ったはずの心は瞬く間にしぼみ、青菜に塩もかくやのへたり具合。おかげで悪夢にうなされてしまった。夜中に三回も目を覚まし、その度駆郎に助けを求めたくなった。無論、己の矜持きょうじがそれを許さなかったのだが。


 ――凄く眠い。霊も睡眠不足になるんだ。


 目の下にくまを刻むななは、ふらふら浮きつつ駆郎の後を追う。

 彼は躊躇ちゅうちょなく強制浄霊を実行した。悪霊の末路を引きずる様子もない。さすがは霊能力者、と称賛するべきなのか。それとも、冷血漢と非難するべきなのか。記憶喪失の霊という立場では何とも言えない。

 男の子の悪霊は確かにおぞましい見た目をしていた。それでも、生まれながらの悪人ではなかったはずだ。話し合えるかもしれない。そんな甘い考えで接触を図ったのが運の尽き。あちらには害意しかなく、危うく悪霊側に引き込まれるところだった。

 結局、あの子は強制浄霊で無に帰してしまった。


 ――なんで悪霊なんかになっちゃったんだろう。


 きっと、自分でも制御できない怨念があったのだろう。無垢むくな子どもが闇に染まる他ない事情とは。思いを馳せるだけで胸がチクチク痛んでしまう。


 ――ななもいつか、になっちゃうのかな。


 今はまだ記憶喪失の白紙状態。まっさらで透明感溢れる霊に過ぎない。だが、全てを思い出した時、自分は変わらずにいられるだろうか。

 もし、忘れていた方が良い記憶だったとしたら。悪意の激情が奥底に封じられているとしたら。身も心もどす黒く染まり、悪霊になってしまうかもしれない。

 その時に引導を渡すのは、きっと駆郎なのだろう。

 考えたくもない、最悪の結末だった。


「今日から三年生編に突入だね」


 嫌な想像を振り払い、明朗快活な少女を装う。

 階段を上がった先に広がるのは四階――三年生の教室が並ぶフロアだ。ここの廊下では度々人形の霊が目撃されているらしい。その謎を解き明かすことこそ、次なる課題であった。


「もしかすると、想定より早くお前の浄霊ができるかもな」

「それって、ななが三年生だったかもって話?」


 自身が何者なのか記憶も記録もない。しかし、体格や性格からして、ななは小学三年生の可能性が高い。というのが、駆郎の見立てだった。故に、三年生に纏わる怪異を調べれば、おのずと浄霊のヒントが転がり込んでくるのではないか。


「いいかんじのヒントが見つかるといいね」

「なんで他人事ひとごとなんだよ」


 未練の正体が判明して、後腐れなく浄霊される。

 それこそが待ち望む結末だ。そのため駆郎に依頼して、見返りに試験の助手を務めている。手間賃を払い終えるより早く目的が達成されたら儲けもの。嬉しいことこの上ない。

 はずなのに。

 何故か、ほのかな寂寥感せきりょうかんが吹き抜けていく。

 せめて、七不思議を全て解決するまでは一緒にいたい。

 訳もなく、そう願っている自分が不思議でたまらない。





 放課後。

 三年生達がせわしなく廊下を行き来している。ランドセルを背負い足早に下校する者、未だ教室に残り雑談に興じる者。過ごし方は様々だ。

 駆郎は子ども達の流れに逆らい、校舎の奥深くへと入り込む。行き先は人気ひとけが皆無の空き教室だ。少子化による生徒数減少で使われなくなった部屋。現在は物置として活用されている区画だ。そこに今回の調査対象が鎮座している。

 三年生の廊下を遊び歩く人形の霊。

 その正体は、空き教室の主と化した市松人形である。と、まことしやかにささやかれているのだ。


「じゃあ、その人形をどうにかすればいいの?」

「呪物の類なら適切な手順を踏んで処分するだろうな」


 しかし、その人形は呪物ではない。それ以前に解神秘学とは微塵みじんも関係ない。純然たる普通の市松人形なのだ。

 そもそも、人形は駆郎が小学生の頃から存在し、怪談も当時から付随ふずいしていた。だが、霊の気配は一切感じられない。呪いの痕跡も見られない。要するに単なる噂だったのだ。

 解神秘学の進歩により、様々な超常現象と怪異の存在が認められた現代。とはいえ、見間違いや勘違い、嘘と噂の一人歩きは往々にしてある。そのため、早とちりで浄霊の依頼が舞い込むのも日常茶飯事。怪事件が頻発する学校となれば尚更だ。不安が不安を呼び、ありもしない怪異が噂になる。

 つまり、三つ目の七不思議は中身のない噂だった。というのが真実かもしれない。嘘か誠か、その確証を得るためにも、改めて人形の調査は欠かせないだろう。


「うん、やっぱりただの人形だな」


 もっとも、無実シロなのは一目瞭然だったが。

 当時と変わらぬ、ちょっと怖いだけで何の変哲もない市松人形。相違点を挙げるなら、劣化が進み顔面がひび割れているとか、アクリルケースに保管されているとか。霊とは無関係なことばかりだ。

 予想通り空振り三振。

 やはり、虚構の存在が七不思議入りしただけのようだ。

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