第21話


「悪かったな、怖い思いをさせて」

「じょ、じょじょじょ冗談はやめてよ。ななは別にビビッてなんかないし、平気だし。慰めなんていらないからっ」

「別に無理しなくていいぞ」

「む、無理じゃありませんー。ちょっとびっくりしただけなんですー」


 ななが強がり食い下がってくる。舐められるのが嫌で必死なのだ。その幼稚さが微笑ましい。“キューティア”にご執心なことといい、どこまでいっても永遠の子どもなのだ。それでも、恐怖に立ち向かおうとしたガッツは認める。助手として、今後の成長に期待だ。


 ――なんて、いつかは浄霊するんだけどな。


 ななを相手にすると心がかき乱される。面倒な奴に絡まれたと辟易へきえきしていたはずなのに。何故か不思議と気分は悪くない。


「嫌、ダ。ヤメ……テ」


 声に振り返ると、うめいているのは悪霊だ。強制浄霊で崩れる体を引きずり後ずさっている。四つの目尻からは黒々とした涙がどろり。粘液のように滴り落ちている。

 生徒や教師を恐怖に陥れた者と本当に同一霊なのか。一抹の疑問が湧くほど弱々しい姿だった。


「モウ、痛イコト……シナ、イデ」


 この男の子が何故霊になり、そして悪意に飲まれ悪霊と化したのか。怨念の過程に思いをせると暗澹あんたんたる気持ちになる。

 絶望にまみれた人生だったのだろう。浄霊が最後の救いなのかもしれない。


「ねぇ、駆郎」


 ななも涙を流している。血涙だ。しかし、溢れるそれは鮮血で、一筋の赤い流星を描いては消えていく。


「この子は、どうして悪霊になっちゃったんだろう」

「……さぁな」


 悪霊に至る道程は霊それぞれだ。

 しかし、そのどれもが順風満帆とは真逆中の真逆。未練が悪意に変質するほどの何かがあった。現世を恨むほどの何かが……。


 ベランダの悪霊と化した男の子の場合、原因は恐らく虐待だろう。彼の怯え方や隠れ続けていたことを加味かみすると、保護者が振るう暴力の嵐に晒されていたのではないか。おおよそ愛と呼べるものを受けてこなかったのだ。暴行の末か衰弱してか、男の子は現世を恨みながら死に、その魂は悪霊になってしまった。そして、この土地の影響で引き寄せられ、二年三組のベランダに留まるようになった。

 力尽くの浄霊は果たして正しかったのか。議論が必要かもしれないが、それがあの子にとって救いになるかは別問題だ。また、躊躇ためらったせいで生者に被害があれば本末転倒。これは霊能力者にとって永遠の課題だろう。


 ――悩んだところでどうしようもない。俺はただ浄霊するだけだ。


 男の子の悪霊は完全に霧散し、ベランダには何も残らなかった。

 天国も地獄もない。だがせめて、永劫えいごうの安らぎを得てほしい。そう願わずにはいられなかった。

 ななは両手で血涙を拭っている。

 訳もなく悲しみを覚えたのだろう、悪霊の背景には想像が至っていないはずだ。

 まっさらな彼女を悪意に触れさせたくない。

 この世の理不尽を煮詰めたような事実には蓋をする。もし気付いてしまえば、彼女は醜く歪み、新たな悪霊になりかねない。

 雄弁は銀、沈黙は金。

 ななが心穏やかなまま浄霊できるよう、悪霊の色に染まらせてはいけないのだ。

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