第二章:ベランダに潜む悪霊

第15話


「今日から二年生の悪霊に挑むらしいですね」


 昼過ぎ。母校を訪れると、間髪置かず胸ポケットに折り紙をねじ込まれた。無論犯人は試験の監視役、巴大地だ。にやつく瞳は刀身めいた光沢を放っている。


「それがどうした?」

「当時のリベンジで武者震いしているかと思いましてね。なにせ、当時は指をくわえるばかりでしたから」

「それはお互い様だろ」


 七不思議の二つ目。二年三組のベランダに出現する悪霊。

 漏れ出す気配からして、その悪霊は古くより棲みつく者だ。土倉友子同様、駆郎の時代以前からの古参霊である。

 当時は霊能力者として力を行使できなかった。無論、大地も同類だ。無力感にさいなまれた日々は今も胸に刻まれている。

 用は済んだとばかりに、大地はさっさと立ち去っていく。

 試験中、彼はどこにいるのだろう。職場に戻っているのか、それとも街で暇潰しをしているのか。否、生真面目な大地のことだ。恐らく近場、校内のどこかで待機しているに違いない。

 そう、根は真面目でいい奴なのだ。

 それなのに。

 大地との関係はとうの昔に崩壊した。それなのに、取り戻したいという願いがにじみ出てしまうのだ。


「ちょっと気になったんだけど」


 二年生のフロアへ向かう道中。

 ななは不思議そうに覗き込んできた。


「悪霊なのにずっと放置って危なくない?」

御尤ごもっともな意見だな」


 霊といえどななは元一般人。疑問を抱くのは当然だ。


「基本的に依頼がない限り、浄霊せずに放置するのが業界の基本方針なんだよ」


 親族の霊を安らかにしてほしい。襲い来る悪霊を退治してほしい。そういった声がない限り、霊能力者は動かない。というよりも動けない。霊の所在地に無許可で踏み込めば不法侵入だ。また、霊は財産としても扱われるため、勝手に浄霊すれば窃盗や器物損壊を問われかねないのだ。


「だからこそ、今回七不思議の一つとして依頼されるまで、悪霊はそのまま放置されてきた」

「ふーん。でも、悪霊なら悪さするんだし。早く退治してってなるよね?」

「そいつは何もしなかったんだよ、な」


 ベランダに居座る悪霊は、いつもそこにいるだけだった。時折生徒を見つめるも明確な被害は報告されず。悪霊ながら無害という珍しい存在だった。

 それがここ数ヶ月で活発化、襲われたという報告が相次ぐようになった。土倉友子の件といい何かきっかけがあったのか。

 現状、悪霊がもたらした被害は以下の通りだ。

 換気のために窓を開けた瞬間、手形が残るほど首を絞められた。

 ベランダの鉢植えを観察しようとしたら、足を掴まれ脱臼だっきゅうするほど引っ張られた。

 近づかぬよう閉め切りにしたところ、力尽くでこじ開けられ、窓と引き戸を破壊された。

 その他、人的被害及び物的被害多数。いずれ教室にも乗り込んでくるだろう。

 悪霊は野放図に害意を振り撒きたいのか。生前の怨念分溜飲を下げようと危害を加える案件は多い。ベランダの悪霊も同様だろう。だがやはり、急激な害悪化には疑問が残る。

 腕組み唸りながら歩いていると、現場――二年三組に辿り着いた。


「……妙だな」


 教室に入ってみるも、悪霊の気配は感じられない。ベランダから漂ってくるはずが、まるで霊気清浄機を使ったように清々しいのだ。霊能力者でも感知不可能な非活性化状態かもしれない。子ども達が下校したため、害意もしぼんで休憩時間に入ったのだろうか。


 ――ひとまず、ベランダの状態を確認するか。


 ある程度の間取りは知っているが、当時とは違う配置のはずだ。被害報告の通り、二年生では植物観察の授業がある。そのため、世話をしやすいよう、鉢植えがベランダに並んでいるのだ。悪霊の発生に影響があるかは別として、あらかじめ調査するに越したことはないだろう。

 ベランダへと続く引き戸を開ける。


「待ってよー」


 振り返ると、置き去りが不服だったらしく、膨れっ面のななが騒がしく飛んでくる。

 寂しがるとはやはり子どもだ。それとも、除け者扱いにご立腹なのか――と思ったその時、足首を何者かに掴まれた。

 パンツスーツ越しに伝わってくる感覚。

 幼児の手らしきそれの表面は、紙やすりに似た粗いざらつきを押し付けてくる。到底、生きている人間の触れ心地ではない。

 すぐさま視線を足元へ下ろすと、果たしてそこにはくだんの悪霊がいた。

 体格は幼稚園児程度の男の子だが、見た目はすこぶるおぞましい。全身は灰色に染まっており、肌は鱗状にガサガサと逆立っている。見上げてくる瞳の数は四。X字を描くように配置されており、眼球は闇色に濁りきっている。

 間違いない。古くより棲みつく悪霊だ。

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