第5話


「ところで、いつになったら帰るんだ?」


 用件は終わった。依頼と報酬の契約も済んだ。

 早いところ学校に戻ってほしい。


「え、ななもここに住むんじゃないの?」

「そんな訳ないだろ」


 手狭なアパートでちびっ子霊と一つ屋根の下。誰が好き好んでするだろう。悠々自適な一人暮らしに騒がしい同居人は不要だ。


「学校に帰れ」

「やだよ。なな、ここにいたい」

「オイオイ。霊のくせに、夜の学校が怖いのか?」

「そ、そそそんなはずないじゃんっ」


 図星だったらしい。

 少女改め、ななは誤魔化ごまかすように空中を泳ぎ回る。


「あ、わかった。なながいるとエッチなことできないから、急いで追い出したくなったんでしょ?」

「は? 違うが」


 かと思えば、生意気にも八重歯やえばを覗かせ反論してくる。

 ななは推定小学三年生。女子は早熟と言う通り、その類いの話で責めてくるのも頷ける。だが、許容するつもりは微塵みじんもない。徹底抗戦だ。


「またまたぁ。そんなこと言って、ベッドの下にはいやらしい本がいっぱいなんでしょ~?」

「無駄な知識はあるらしいな」

「それくらい知ってるもーん」


 まったくもって都合の良い脳味噌をしている。実際のところ、エネルギーの塊なので臓器は備えてないのだが。ついでに言えば、今時ベッドの下に隠す人間はいないだろう。時代遅れの情報に呆れてしまう。

 などと、冷静に分析している場合ではない。一反木綿いったんもめんよろしく平面になり、ななはベッドの下へと侵入開始。やりたい放題だ。幼い好奇心が暴走している。


「やめろ」


 ばたつく足首をがっちり掴み、抜刀もかくやの勢いで引きずり出す。一般人では霊体に触れられないが、霊能力者であれば実体なき相手でもお構いなし。お転婆てんば娘はベッドの上に放り出される。


「同居は許す。だが、勝手なことをするなら容赦しないぞ」


 我儘わがままな子どもには毅然きぜんとした態度で臨むもの。

 文机の引き出しより紙片を一枚取り出すと、その角をななの目と鼻の先に突きつける。ぱっと見それは何の変哲もない短冊型の和紙。だが、それは浄霊用のお札だ。霊能力者の魂――浄霊の念を増幅する作用があり、主に悪霊と対峙する際に使用される。霊体が触れたらたちどころに消滅だ。ななにとって天敵と言える一枚である。


「場合によっては強制浄霊も辞さないからな」


 もちろん、ただの脅しである。

 こんな些末事さまつごとでExOUに背くつもりはない。あくまでも霊のしつけとして、厳しい言葉をかけただけだ。


「うぅ、ごべんだざい。ぎょうぜいじょれえはやだぁ……」


 しかし、想像以上に効いてしまったらしい。

 ななはぐずぐずと嗚咽おえつを漏らし、布団の上で団子虫だんごむしのように丸まってしまう。

 さすがにお札を出すのは失敗だったか。信頼関係を築く前に強く出過ぎたかもしれない。


「わ、悪かったよ。だから泣くな」


 念のため謝罪して、震える背中にそっと触れる。小さな霊体だ。いきなり夜の学校に放り出され、何も覚えておらず、不安でいっぱいだっただろう。もっと彼女の気持ちをおもんぱかってやるべきだった。霊能力者としてまだまだ未熟と言わざるを得ない。


「ほら。俺はもう怒ってないからさ」


 涙を拭ってあげようと、霊体を抱き起こして――息を呑んだ。

 ななの両眼は黒一色、滂沱ぼうだ血涙けつるいを流していた。ぼたぼたぼたぼた。滴り落ちたくれない飛沫しぶきは、ベッドのシーツに季節外れの桜吹雪を描く。殺人現場さながらの様相だ。


「ごべ、ごべんだ……ずびびっ」

「……あぁ、うん」


 血液混じりの鼻水をすするななを前に、もはや溜息も出なかった。

 シーツは洗濯不可避、クリーニングしても落ちなさそうだ。霊障の一種とはいえ、血を撒き散らすのはやめてもらいたい。


 ――先が思いやられるな。


 欲を出して引き受けなければよかった、と今更後悔しても時既に遅し。

 こうして、ななとの同居、そして七不思議との闘いが始まるのだった。

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