第3話


 腰まで伸ばした黒髪が、月明かりを反射し淡く青みがかっている。真紅の輝きをたたえる瞳はまん丸でこぼれんばかり。華奢きゃしゃでこぢんまりとした体躯から推測するに、年頃は一桁から二桁になるくらいか。靴は履いておらず青白い裸足を晒しており、ワンピース以外の服飾品は見当たらない。

 さて、彼女は何者なのか。

 答えは一つ、霊である。

 実体のない眼差しが、じっとこちらに注がれている。


「……――ぁ」


 何か伝えたいことがあるのだろう。だが、少女の声はさっぱり聞き取れない。パクパクと薄桃色の唇が開閉するばかりである。

 この霊は、一体誰なのか。

 七不思議に数えられる怪異ではないだろう。容姿と挙動、いずれも噂のどれにも当て嵌まらない。となると、野良のらの霊か。土地の特性も相まり、周辺より迷い込む怪異が後を絶たないのだ。


 ――試験と無関係なら放っておこう。


 駆郎はきびすを返し、少女の霊から距離を取る。

 七不思議の相手だけで手一杯だ。副業をする余裕はない。よって、完全スルーを決め込んだ。

 校長に一言お礼を伝えると、足早に母校を後にする。

 次に来るのは試験初日だ。全力を尽くして七不思議を解決しよう。

 だが、その前に。

 後をつけてくる少女の霊にどう対応するか。それが問題だ。





 麗しい青年との出会い。

 ときめいた少女の恋心は疾風迅雷の勢いで鎮火した。百年の恋どころか、一秒の恋も絶対零度の乱高下である。


 ――酷い。酷すぎる。


 青年に対する印象を一言で表すのなら、冷血漢。

 熱く火照ほてった胸の内は極寒で凍り付き、食感爽やかなハート型シャーベットと化していた。


 ――完全無視なんてホント信じられない!


 霊が見えないのなら仕方ない。近づいたこちらに非があるだろう。

 だが青年は、ばっちり視線が合ってから、しれっと明後日あさっての方へと目を逸らしたのだ。面倒事を避けようと、さっさと立ち去ってしまったのである。

 見て見ぬ振りなんてあり得ない。うら若き乙女の自尊心が激しく傷ついた。許すまじ。こんなのに一目惚れした自分のチョロさも腹立たしい。

 なので、嫌がらせに青年を尾行した。そちらが無視するなら、どこまでも追いかけてやる。否が応でも関わってもらうのだ。


「まったくもうっ。顔と中身は一致しないのね」


 青年に聞こえぬよう小声で悪態をつく。

 もやもや、むかむか。

 目を三角にしながら尾行を続けていると、青年は寂れた田舎の住宅地へ。行き先は築うん十年のオンボロアパートだ。どうやら彼の自宅らしい。二階一番端の部屋に入っていく。


「よーし、一言……ううん、三言くらい文句言ってやるんだからっ」


 扉横のポストには居住者の名前が記されている。

 天宮駆郎、というらしい。

 名前は格好良いが、中身は冷え冷えドライ系男子だ。それとも、自分以外の女子は、そういう男子が好みなのだろうか。恋人は中身を重視だ。外見だけに惚れると、いつか手痛い失敗をするだろう。と、数十分前の自分を棚に上げてしまう。

 鼻息をふんすと鳴らして扉へ突撃。霊体なので、すり抜けられるのは先刻通り。

 押しかけ居座り猛抗議の時間だ。


「不法侵入のつもりか」

「うひゃあ!?」


 扉をくぐり顔を上げると、そこには少女をとがめる鋭利な眼光。三和土たたきで仁王立ちの青年が見下ろしている。

 当初の意気込みは遙か彼方へ吹き飛んだ。悲鳴を上げて尻餅しりもち一つ、浮遊する体はバウンドし、へなへな扉にへたり込む。


「もしかして、尾行バレてた?」

「むしろ何故気付かれないと思った」


 凍てつく憤怒の影を前に、霊の身でありながら怖気おぞけの種が萌芽ほうがする。

 彼の逆鱗に触れれば命はないだろう。既に死んでいるのだが。


「どういうつもりなのか、洗いざらい話してもらおうか」





 まさか自宅までいてくるとは。

 子どもらしく早々に飽きるとたかをくくっていたが、意外にもしつこい性質たちだったらしい。

 親元から離れたい一心で一人暮らしを始めて三ヶ月ほど。初めて家に上げたのが友人でも恋人でも、ましてや身内でもなく、見ず知らずの霊になるとは。しかも圧倒的に年下だ。霊相手でなければ警察沙汰ざたである。

 溜息しか出てこない。

 狭いリビングでちょこんと正座する少女の霊。母校の廊下にて遭遇したばかりの赤の他人だ。そのため絶賛取り調べ中。どこの誰で、どうして尾行したのか問いただす。


「……つまり、お前は記憶喪失の霊なんだな」

「そうなるかな。えへへ」

「笑っている場合か。大問題なんだよ」


 話を聞く限り、どうやら彼女は記憶がないらしい。言語能力や一般常識は残っているが、自身の情報に繋がる要素はてんで駄目。かすみがかかっているように判然としないそうだ。


「まったく、面倒だな」

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