第2話




 弱々しい明かりの下、天宮あまみや駆郎くろうは一人廊下を歩いていた。

 懐かしい景色だ。つい六年前まで通っていたはずなのに。母校は思いのほか狭かったのだと感傷に浸ってしまう。

 古びた四階建ての校舎が南北平行に二棟、渡り廊下で繋がりちょうどアルファベットのH字になっている。現在地はその連絡通路の一階、昇降口と一体化した区画である。左手には当時と変わらぬ下駄箱が屹立きつりつしており、夜の闇に負けぬ漆黒の影を伸ばしていた。


「気合を入れないとな」


 駆郎が母校を散策する目的。

 それは一週間後に開始される試験、そのための下見である。

 かつて自然科学と相反するが故ないがしろにされてきた分野――神秘学改め解神秘学かいしんぴがく。おばけや妖怪、呪術や占星術せんせいじゅつといった非科学的な存在や理論。それらが公に認められて久しい昨今、駆郎は大学生として学業に邁進まいしんしている。専攻は対霊たいれい学であり、その名の通り霊に対抗する知識と技術を習得すべく、数々の講義と実技をこなす日々。その一環として試験が課され、舞台が母校になった訳である。

 世間一般で言うところの教育実習に近いかもしれない。違いを挙げるとするならば、小学校側から依頼された点だ。怪異絡みの諸問題に関する問い合わせは全国各地で数多ある。その内、経験の浅い者でも対応可能と判断された案件が、実習の名目で学生の元に回ってくるのだ。


「しかし、母校が課題になるなんて。これが運命か」


 ある程度予想していたがドンピシャリだ。

 立地に問題があるらしく、この学校は怪異を寄せ集める性質を持つ。毎年のように怪事件が起こっては大騒動だ。駆郎の小学生時代以前から変わらぬ伏魔殿ふくまでん。霊と対峙する生業なりわいからすれば上客だが、一般人にとっては悩みの種だろう。


「さて、どうしたものか」


 シャツの胸ポケットより一枚のメモ用紙を取り出す。先ほど挨拶あいさつした際、校長から渡された物だ。現在、母校でささやかれる怪異の噂について記されている。

 メモは以下の通りだ。


・一年生:夕方、一年二組に出現する女の子の霊

・二年生:二年三組のベランダにうずくまる男の子の霊

・三年生:三年生の廊下を遊び歩く人形の霊

・四年生:二階渡り廊下の角に潜む見えない何か

・五年生:真夜中、勝手に開く五年生女子トイレの窓

・六年生:神出鬼没、四階に現れるぼろ布を被った女の霊

・職員室:午前四時四十四分四十四秒、職員室前モニターに映る怪現象


 端的に表せば七不思議。七つの怪異全てを解決するのが試験の概要である。

 といっても、いにしえより語り継がれる類いの噂ではない。ここ数ヶ月で急速に広まった、比較的新しい七不思議である。怪異を目撃した、あるいは襲われたという情報も多数報告されている。

 課された七不思議はぱっと見、よくある怪談の寄せ集めだ。


 奇妙なのはその配置である。七不思議といえば、どこの学校でも発生する現象だ。しかし多くの場合、怪異の舞台は理科室や音楽室などの特別教室である。ひるがえって今回の依頼はというと、それぞれの学年と職員室に一つずつ、合わせて七つの怪談。怪異を集める土地柄を加味しても、綺麗な揃い方に違和感を拭えない。


 実際、校長も困り顔で汗まみれになっていた。整然としているが故の不気味さを感じたのだろう。小心者なのは六年前から据え置きらしい。もっとも、怪異リテラシーが足らず、時折とんでもないことをする人なのだが。

 人間早々変わるものではない――否、そうでもないだろう。

 自分は当時と似ても似つかぬ変わりようではないか。と、一抹いちまつの後ろめたさを覚えてしまう。小学校にいるせいだろうか。今昔こんじゃくの差にあてられ胸中に重たいものが落ちていく。


 ――気に病む暇はないのにな。


 優先すべきは試験の突破だ。後悔している余裕はない。

 一週間後の七月初日から夏休み開始までの約一ヶ月が試験期間だ。効率よく各階をクリアしないと、途端しりに火がつきてんてこ舞いになる。


 ――恐らく、一年生と二年生の霊は以前からいる奴だろうな。


 噂と証言が真実なら、記憶にある二体の霊が正体だろう。知っている相手ならばスムーズに浄霊できるはずだ。締め切りに追われる重圧も幾分軽減される。

 問題なのはそれ以降の怪異である。

 駆郎はメモ用紙を折り畳むと、腕組み目を閉じ思考の海に飛び込む。

 期間はたったの一ヶ月。しかも土曜日曜祝日は学校に入れないため、活動可能なのは二十日にも満たない。

 それならば、よく知る霊から順番にクリアするのが定石だ。後に控える難題のため、時間に余裕を持たせたい。一番下の学年から順番に済ませていこう。

 順調に進むか否か、五分五分だろう――と、脳内で予定を組み立てていると、冷たい気配が足元に滑り込んできた。

 人ではない、と肌感覚で理解する。

 ぱちりと開眼すると、そこには少女が一人。簡素な白いワンピースをはためかせ、ふわりと宙に浮いていた。

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