おそれをなくしたモノクロオカルト―学校の七不思議―

黒糖はるる

序章:ななふしぎ

第1話


 覚醒一番、舞い散るほこりにむせてしまう。

 周囲は墨を流したような闇だけが拡がり、一寸先すら判別がつかない。


 ――どこなの、ここは。


 ぬるい空気をき分けて、少女は手探りで状況を探る。

 指先にひんやりとした感触が伝わる。金属製の無骨な棚だ。等間隔でいくつも並んでいるらしい。積まれているのは段ボール箱のようだ。埃が層を作っており、汗ばむ肌にべっとりへばりつく。恐らくどこかの倉庫なのだろう。汚らしくて居心地最悪。早く外に出たい。お風呂に入りたい。


 ――出口はどこ?


 闇をまさぐっていると、引き戸とおぼしき木製の板を発見した。ここを開ければ新鮮な空気が吸えるはず、と手をかけてみるも、鍵がかかっておりびくともしない。何度力を込めても頑として開かないのだ。外側から施錠されては手も足も出ない。


 ――もう、閉じ込めるなんて酷いじゃない。


 一体誰の悪戯いたずらだろうか。女の子をいじめて楽しむなんて実行犯の品性を疑ってしまう。暗所に一人放置すれば泣き喚くとほくそ笑んでいるのだろうか。

 もっとも、その悪行は無意味である。その気になれば簡単に脱出できるのだ。逆にえ面をかかせてやろう。

 少女は全身を弛緩しかんさせて、引き戸へ倒れ込むように寄り添う。すると摩訶まか不思議、ぶ厚い木板の存在を無視し、か細い体は向こう側へとすり抜ける。

 最初からこうすれば良かったのだ。暗闇に閉じ込められたと怯える必要はない。この身を前にすれば、立ちはだかる壁などなきに等しいのだから。

 倉庫から出て周辺を見渡してみると、そこはまたも闇がびっしり敷き詰められている。左右を貫いているのは廊下だろうか。真っ直ぐとリノリウムの道が伸びている。冷たい壁からは三年一組、二組と順々に表示が飛び出している。どうやらここは学校らしい。湿気に混じりほのかに漂う木の香りが、ふと懐かしさをかき立てる。


「あれ?」

 ――ちょっと待って。普通におかしくない?


 ごく当たり前のようにとった行動に、少女はようやく疑問を覚える。

 、と。

 壁抜けマジックとは訳が違う。種も仕掛けもなく、日常の動作同然にすり抜けるなんて、一般人には到底不可能。天地がひっくり返らない限り絶対に無理だ。

 では、どんな存在ならできるだろうか。

 その答えは、霊。

 肉体を失っていれば、物質を無視して行動できて当然だろう。

 つまり、少女は既に死んでいる、という答えに行き着くのだ。


「え、嘘。どうして」


 そこで更なる違和感が、電流のように全身を走り抜ける。

 何故霊になったのか、という原因以前の話である。


「全然、覚えていない」


 少女は、自身が何者なのかすら分からなかった。

 脳裏をよぎるのはもやがかかった記憶の断片ばかり。一般常識やどうでもいい雑学は覚えているのに、個人に繋がる要素は全て不鮮明にざらついている。

 あり大抵に言えば、記憶喪失である。

 唯一道標になりそうなのは、この場所に懐かしさを感じることだけだ。恐らくこの学び舎――古めかしい小学校に通っていたのだろう。それだけが手掛かりである。

 何が、どうして、こうなった。

 自分が何者なのかも、霊になってしまった原因も、全てが謎に包まれている。

 得も言われぬ不安が覆い被さり、足元から焼け付くような焦燥感が這い上がってくる。


 ――誰でもいいから、この状況を説明して!


 いてもたってもいられず少女は駆け出す。といっても霊体なので、中空を滑るように移動しているだけだ。風に舞う花びらの如き軽やかさで廊下を突き進んでいく。


「あっ、下に誰かいる」


 階段に辿り着くと、ぼんやり薄明かりが目に映る。階下の照明が漏れ出ているらしい。ここよりずっと下、一階に人がいるようだ。

 少女は誘蛾灯ゆうがとうに引き寄せられる羽虫よろしく、脇目もふらず助けを求めて飛翔する。

 自分は人の世から切り離された霊だ。まともに人と話せるはずがない。

 だが、それでもいい。

 とにかく今は、暗闇から、孤独から抜け出したかった。

 一階に降り立つと、そこは広く長い廊下だった。二つの校舎を結びつける連絡通路、渡り廊下と呼ばれる道だ。右手は昇降口になっており、焦げ茶色の靴箱が整然と並んでいる。

 そんな場所に、一人の青年が立っている。

 白いシャツに黒々としたパンツ、夏仕様のリクルートスーツだ。その格好とがっしりした体格からして、控えめに見積もっても生徒ではない。そもそも夜中にいるのが不自然極まりない。子どもを狙う不審者だろうか。非常に怪しい。


 ――って、り好みしている場合じゃないよね。


 首を大きく横に振り、ほおをぴしゃりと叩いて気合い注入。勇気を振り絞り一歩踏み出す。

 話しかけてみよう。

 駄目で元々。「知らない人についていっちゃいけません」と誰かに言われた気もするが、こちらから接触するなら大丈夫なはず。それに現在進行形で霊体なのだ。普通の人間なら感知できず無視されるだけ。怖い目に遭うはずがない。

 ごくり。

 緊張しながら固唾をのみ、スーツ姿の青年の前に降り立つ。


「……――ぁ」


 第一声。

 のどが震えるその寸前で、思考が真っ白に染まってしまう。

 相対する青年の相貌そうぼうが、月明かりに照らされ露わになる。

 癖っ毛ながらもつややかな黒髪。陰影を深く刻む整った鼻梁びりょう。そして見開かれる、切れ長で黒曜石こくようせきのような瞳。


 ――かっこいい。


 霊体の内側で激流が巻き起こる。とうの昔に止まったであろう鼓動の代わりに、どったんばったん暴れ川と化している。

 まさか、こんな状況で一目惚れするなんて。

 記憶喪失でも乙女心は健在なのかもしれない。

 初対面の青年相手に声が出ず、えさを待つ金魚みたいに、ぱくぱくと口を開閉させるしかなかった。

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