熱を帯びる少女
強く抱き締められる。
彼の胸板に顔を近づけると心音が激しく鼓動する。
決して離さないと言う強い意思を感じる。
体を掴む腕、その指の逞しさに惚れ惚れする。
「(熱い…)」
朦朧とする意識。
恐怖と安堵を感じる。
背筋に迸る火花の様な感覚。
彼の心音と同じ様に、彼女の心臓も高鳴っていく。
同調する音、彼の素顔を見るだけで気分が高揚とする。
「(あぁ…クソ、身体が)」
彼女の熱を帯びた視線を受けながら。
不死川命は次第に体が限界を迎えていた。
度重なる暴力を振るい続け、彼女を抱き締めたまま逃げる事は、体に負担が掛かり続ける行為だった。
このまま逃げ続ける事は不可能だと悟った不死川命は、教室の扉を蹴って教室へと入る。
教室には、ロッカーがあった。
掃除用具を収納するロッカーであり、彼はロッカーの中身から掃除道具を投げ捨てると、丁度二人分の空きが出来たので、そのままロッカーの中へと入った。
無論、小鬼たちが彼らを追って教室の中に入り、ロッカーを開けようと攻撃するが。
彼らの知性では、ロッカーの開け方など分からず、扉を叩く他無い。
そして彼らの腕の力ではロッカーを無理矢理破壊する事など出来なかった。
不死川命と柊麗は、抱き締める様に狭いロッカーの中で過ごす。
「すぅー…はぁぁ…」
「はぁ…はぁ…ふぅ…」
外は騒がしい。
しかし、ロッカーの中は二人の吐息の音がうるさく聞こえた。
呼吸を整える不死川命。
柊麗の耳元に生暖かい吐息が掠れてしまう。
「ん…っ」
彼女の心音は爆発寸前だった。
彼に抱き締められて、熱が全身から伝わって来る。
体中の皮膚が敏感になっていて、彼から送られてくる刺激に興奮を湧かせていた。
緊張が次第に溶けていく。
彼が傍に居れば安心と言う想いが、段々と彼女の心を奪われていった。
「(わからない…わからない、けど…それ、でも)」
汗に濡れた彼の身体を抱き締める。
肉体全て彼のものになりたいと言う欲求が溢れ出る。
「(今、この時なら…この人と一緒に死んでもいい…)」
柊麗は彼に惚れ込んでしまった。
未だに心臓の音は止まらなかった。
不死川命は自分の血筋を呪う。
戦国時代から続く家系であり、彼らの職業、その生業は殺しだった。
暗殺でも決闘でも、彼らは殺せるのならば何でも引き受けた。
彼らの血筋には最悪な事に、原因不明の持病が存在した。
それは、一定の期間に入ると、無差別に生命を奪う殺傷衝動を持つ事だ。
命を奪い続けなければ、自我を失い、思うがままに人を殺してしまう。
故に、彼ら不死原一族は表舞台から姿を消し、生命を奪う仕事に就いた。
現代でも、彼らの血筋を持つ者は5000人居る。
その殆どが、殺人事件に関与しており、重大な殺人犯として殺された。
殺しと言う宿命。
其れに抗い、不死原一族から縁を切った者は少なくない。
不死川家もそうだった。
一般人の娘と結婚し、死と言う生業から足を洗う為に不死原家から離れた。
だが…最終的に、不死川命の父親は殺傷衝動を引き起こした。
その結果、自らの母親と娘を殺し、一夜にして一つの村を滅ぼしてしまった。
殺傷衝動を引き起こした父親は、血に濡れながら笑っていた。
そして、不死川命は、幼い頃にその状態の父親と出会った。
死に覚える彼の姿を見て、父親は笑って言った。
『この末路は、俺が望んでやった事だ』
血で濡れた手で不死川命の頭に触れる。
狂気を浮かべた笑みを見せながら、不死川の父は告げる。
『忘れるな、お前も何れこうなる』
血の宿命からは決して逃れる事は出来ない。
不死川命はそれを知りながら、その事実に抗っている。
人間社会へと生きている以上、その才能は要らぬ代物。
自分は父親とは違う…だから、その様な結末に至る事は絶対に無い。
そう思い込む、そう考え込んで、そう生き続けた。
だが…気を抜けば、彼は偶に思い出す。
その血の暖かさと、父親の表情が、眠る時に今も思い浮かんでしまう。
そして、不死川命は気が付いた。
自分は今、夢の中に居るのだと。
そうして…
新鮮な空気と共に、彼は瞼を開いたのだった。
其処には、麗しい少女の顔が此方を見ていた。
不死川命は何時の間にかロッカーの中から外に出ていた。
周囲には、小鬼の死体が転がって、血と糞尿の臭いで教室が充満していた。
「…あの、大丈夫、ですか?」
濡れた瞳を浮かべながら、彼女は不死川命にそう言った。
彼は彼女の顔を眺めている、それもその筈だ、今現在、彼は膝枕をされている。
その相手は目の前にいる柊麗によるものであり、ずっと彼の顔を見ていたのだ。
「あぁ…良かった…目が覚めなかったら、どうしようかと…」
そう言って柊麗は嬉しそうに笑った。
睫毛や目尻が濡れているのは、先程まで泣いていた為だろう。
「…鬼、そうだ、小鬼、たちは」
彼女の膝枕から離れると、不死川命は周囲を見回す。
だが、不死川命の行動に対して、彼女は心配する事無いと言った。
「あれから、六時間程経ちました、現在では、他の皆さんが共同して小鬼たちを処分してまして…」
「六時間…?」
「はい、えぇと、危険が去ったのが、六時間前です、その後、救護やら、死体の処分などしていて…」
驚いたのは其処では無い。
不死川命は彼女に言った。
「待て、ロッカーから出て、六時間も、此処にいたのか?」
「はい…保健室などは、きっと重傷者が運ばれているので…貴方を休めるのに十分な環境が揃わず…せめて、私が何とかしようと…」
不死川命は、更に彼女に深掘りを行う。
「それで…六時間も、膝枕をしてたのか?」
正座をして六時間。
そのまま、態勢を変える事無く、何時目覚めるのか分からない不死川命を待ち続けた。
それが親身になった相手ならば、出来なくも無いが…あまり接点の無い二人。
同時に、不死川命と言う存在は学校では知らぬ者は居ない問題児だ。
「…? 何か、可笑しかったでしょうか?」
彼女は首を傾げてそう言った。
柊麗ならば、六時間はおろか、餓死するまで不死川命の傍に居たかも知れない。
病弱な体でありながら、無茶な事をしているが、今の彼女には体が弱いと言う自覚をしていなかった。
ただ自分が彼の為に尽くしたいからこそ、そうしたのだろう。
微笑みを浮かべる彼女の表情に、不死川命は普通じゃない女だと思った。
「あの…不死川、さん、ですよね」
改めて彼女は不死川命の名前を口にする。
彼と言う存在は、学校の中では先ず知らぬ者は居ないだろう。
殺人鬼の息子である不死川命は、他の人間からは唾棄すべき存在だ。
忌み嫌われている為に、誰にも嫌われていると言う自覚はあった。
「…そうだな、近くに居ると迷惑ってワケか」
少なくとも、不死川命は自分の存在を自覚している。
彼女が膝枕をしていて、自分が他の人間と同じ様な存在だと誤解してしまった。
改めて自覚すると、彼は誰にも心を開かない。
自ら壁を作り、その場から離れようとした。
だが、彼女は彼の行動を制止する言葉を口にする。
「いえ、違います、迷惑じゃ…無いです」
彼女の言葉に動きを止める。
そして彼女の顔を見ながら、不死川命は彼女の言葉を待った。
「確かに…貴方の、良くない噂は聞きます…けれど、それは、噂でしかありません」
彼女は不死川命の顔を見た。
今の彼女には、不死川命に対する恐怖など微塵も感じては無かった。
「たすけてくれて、ありがとうございます…貴方が居なければ、私はきっと…」
殺されていた。
だから、不死川命が来てくれて。
自分は救われたのだと、はっきりと不死川命に言う。
「…別に、言葉だけで、その場凌ぎ、だろう」
彼は、彼女の言葉を真正面から受け止める事が出来なかった。
他人に感謝される事など、指で数える程しか無かった。
だから、彼女の言葉が照れくさくて、そんな事を言ってしまう。
しかし、かのじょはくすりと笑っていた。
「言葉だけでは…六時間もそばに居ません…本当に感謝しているんです」
それは、確かに説得力のある言葉だった。
確かに本当に感謝していなければ、六時間も膝枕などしていないだろう。
そう言われて、確かにと不死川命は納得してしまった。
「…分かった、それで…あんた」
あんた、と不死川命は口にして、言葉を遮る。
不死川命は、彼女の名前は知らなかった。
廊下などで、ひときわ目立つ気品さを持つ女子生徒だとは思ったが、自分には縁の無い人間だと思っていたからだ。
だから、不死川命は改めて彼女の名前を聞く事にした。
「なあ、名前は…?」
不死川命がそう言うと、彼女は自分に興味があるのだと思って嬉しそうにした。
胸元に手を添えて、自己紹介を行う。
「私は、
改めて、彼女の名前を知った彼は頷きながら名前を咀嚼した。
「柊麗…じゃあ、柊」
と、彼女の名前を口にした。
彼女は、少し表情を歪ませた。
「あの…下の、名前でも…」
と言い掛けて首を左右に振る。
「いえ…あの、なんでもありませんっ」
と、先程口にした事を無かった事にする。
そんな彼女を見て、不死川命は変な女だと思っていた。
「取り敢えず…現状が知りたい、あの後、どうなったんだ?」
柊麗に聞く。
彼女は不死川命の質問に答える。
「えぇと…今は、色んな人が補強や手当、今後の話をしてます」
そう言われて、不死川命は振り向いて彼女に聞いた。
「生徒だけで話してるのか?…先生たちは?」
柊麗に聞くが、彼女は首を左右に振る。
「それが…小鬼たちの群れによって…」
そう言われて、全員が死んだのかと思った。
教師が重点的に狙われて殺されたのかと。
だが、そう言えばと不死川命は思い出す。
「(確か、職員会議をする為に職員室に集まったんだっけか?…それで、小鬼の群れに殺された、と言う感じか?)」
大人が死んでしまった事に、不死川命は不安を覚えた。
曲がりなりにも生徒を導く存在だ、それが死んでしまったとなれば、生徒たちはどの様に行動すれば良いのか分からない。
統率者が居ない今では、この先どうなるかは未知数だろう。
「…取り合えず、体育館に行けば、それなりの情報があるって事だよな…」
「…はい」
人が多い所は余り好きでは無かった。
だが、この状況、情報が無ければ不安でしかない。
なので、柊麗と不死川命は一緒に体育館へと向かう。
その時、彼女は胸元に手を添えて歩く速度を抑えた。
「…おい」
不死川命は彼女の顔を見た。
柊麗の表情は赤くなっている。
彼女の身体は、どうやら熱が籠って来てらしい。
「す、すいません…少し、身体が…」
彼女の顔を見て、本当に熱があるのだと思った。
無理も無い、六時間も膝枕をしていたのだ、身体が疲れてしまうのも、無理が無かった。
「…少し休んだ方が良いぞ、俺は一人でも行けるから」
と、そう言ったが、彼女は首を左右に振った。
「行かないで下さい…一人だと、不安で、怖くて…」
涙を浮かべる彼女の顔を見て、不死川命は頭を掻いた。
彼女の体調の悪さは自分にも責任があるのだろうと思う。
「あの…すいません、少しだけ、杖になってくれませんか?」
彼女は自分で差し出がましいお願いだと思いながら言う。
彼の身体を借りれば、歩く事は難しくないと言っている。
「…分かった」
不死川命はそう言うと彼女に手を伸ばす。
柊麗は不死川命の手を掴むと、腕にしがみ付いた。
体を支えられる柊麗は深呼吸を行う。
「はぁぁ…ありがとう、ございます」
微笑みを浮かべる彼女。
不死川命は彼女の顔を見ずに歩き出す。
病弱とは聞いているが、彼女の身体は成熟している。
腕に当たる胸の感触は、少なくとも意識をせざるを得ないものだった。
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