第11話 祓の心得

 翌朝登校すると、教室に異様な空気が張りつめていた。女子が窓際の一カ所に集まって、暗い顔でひそひそ話している。私の席の周りを、数人の男子生徒が取り囲んでいた。


「おはよう! みんなどうしたの?」


 教室に一歩足を踏み入れるなり、全員が揃って私に注目した。女子のおしゃべりも、一瞬にして静まり返る。


「まこ、白川! おはよう!」


 すかさず湊が飛んできて、視界を遮るように目の前に立ちはだかった。

 万琴、と言いかけて止めたのが引っかかったけど、湊の顔を見てそんな思いは吹き飛んだ。


「どうしたの?」

「いや、何でもない。ちょっと、表に出よう」


 今にも泣きだしそうな、ひきつった笑顔で目を泳がせる。様子がただ事ではない。


「何? 何か隠してる?」


 ひょいと中を覗き込もうとすると、肩を掴まれ回れ右させられた。

 丁度その時、確が教室に駆け込んできた。私を見るなり、慌てて背中に手を回す。腕を掴むと一瞬抵抗したが、諦めたように力を抜いた。


「何それ?」


 どこから持ってきたのか、その手には釘抜きが握られていた。

 湊を振り切り、立ち塞がる男子どもをかき分けた。すると太い釘が何十本と突き刺さり、巨大な針山と化した私の机が現れた。

 なんじゃこりゃー! と叫びそうになり、両手で口を塞ぐ。


「朝来ると、こうなってた」


 確が憮然とした表情で釘を抜き始めた。力任せに引き抜くと、手の平にも余る立派な五寸釘が現れた。堅い表面板に半分ほど埋まり、中を覗くと先が突き出している。


「誰がやったんだ」

「気持ち悪い」

「いたずらにしては酷すぎる」


 遠巻きにしていた女子たちも恐々と机の周りに集まって来る。


「どうしたぁ、お前たち」


 担任が出席簿を手に、人垣を縫ってやって来る。一目見るなり、腕組みして鼻から息を吐きだした。


「器物損壊だな」


 一人ずつ生徒指導室に呼ばれ、事情徴収されることになった。


 手の怪我を理由に犯人扱いされた私が、気分最悪のまま教室に戻ると、いつの間にか机は新しいものに交換されていた。一時間目は自習になったため、皆思い思いの席に座りおしゃべりしている。勉強する気にはなれないようだ。


 朱緒の姿は見えなかった。今日は休みらしい。呪いを中断する気はさらさらないようだから、一安心といったところか。それにしても生霊の仕業を、本人に責任追及することはできるのだろうか。どう考えても無理っぽい。


「おい、坊さんはどうした」


 自分の席に座ると、斜め後ろから確が話しかけてきた。


「調べたいことがあるからって、今朝出て行った」

「ふーん。そうか」


 確は何でもないことのように頷いたけど、私にとってはクロウが傍にいないなんてめったにあることじゃない。

 御鈴と御典の指導霊のお婆さんに呼び出されてお茶に付き合わされたり、好きな仏像に時々会いに行ったりする以外、クロウは私の指導霊の役割を真面目に果たしてきた。

 それが今朝突然調べなきゃいけないことがあるから二日、三日留守にすると言ってプイと出かけてしまったのだ。


 クロウがいないと、何だか歩くのも心もとない感じがする。身体の芯が妙にふわふわして落ち着かない。そんな時に、これだ。被害者なのに担任には疑いの目で見られるし、悔しいけどダメージは大きかった。


「おい」


 確がペンで私の背中をつついてくる。


「何?」


 不機嫌を隠す気力もなく振り向く。


「あれ、見ろ」


 ペン先で廊下を指す。


「はあ?」


 廊下を振り向いて、絶句した。学校にたむろしていた霊達が、参観日の保護者よろしく窓の向こうに並び、一体ずつ中へ入って来る。


「寒! 何か急に寒くない?」


 霊達に真後ろを通られた女子生徒が、そう言って首をすくめ腕をさする。

 確は私に目配せすると、廊下に走り出た。


「屋上だ」


 先に階段を駆け上っていく。慌てて後を追うと、思った通り霊達がぞろぞろ後をつけてくる。


 確は屋上に出るなり扉を閉め、制服のネクタイを外すとドアノブと傍の鉄柵を括りつけて、内側から開けられないようにする。


「来るぞ」


 すかさず得物を手に身構えた。私も刀を手にしたが、火傷した皮膚が引きつるように痛むうえ、包帯のせいで上手く力が入らない。


「おまえは無理すんな。俺一人で十分だ」


 確は自分の得物を杖だと言っていたが、どうやら棒のようだ。自分の背丈ほどにまで成長した得物を、早く試してみたいのだろう。声が弾んでいた。


 ドアが軋んだかと思うと、一斉に霊達が屋上に飛び出してくる。確は中段の構えから、大きく振りかぶって回し打ちをかける。ひゅんと風を切る音と共に、数体の霊が他愛なく消えた。


 だがなにしろ相手は数が多い。確は脇に棒を挟み構えると、あっという間に周りを取り囲んだ霊達を鋭い目で睨み据える。ざっと見ただけでも三十体は下らない数だった。

 一瞬の静けさの後、次々と霊が確に飛びかかった。脇にひきつけた得物を大きく回転させ、確は棒の先で相手を豪快に引き回す。背後から襲ってきた獣霊を気配だけで察知して、引き手で後ろ突きを入れる。

  持て余してしまいそうな長い手足を、無駄な動きを一切交えず最大限に活かし、次々技を繰り出しては霊を祓ってゆく。


 私はそれを、複雑な思いで眺めた。強くなることをあれだけ望んでいた確だ。きっと隠れた努力をしているに違いない。守護霊である咲希ちゃんの力が及んでいるだけだと思っていたが、どうやら間違いだった。確は強い。自由自在に得物を操る確の、猫のようにしなやかな動きを見てそう確信した。


 両手に草刈り鎌を持った霊が、奇声を発して確に襲い掛かる。その鎌を冷静に受けるなり棒の裏を返して叩き落とす。額の前に棒を構えると、鮮やかな袈裟打ちに仕留めた。


 気付けばものの十分ほどで、確は全ての霊を祓い終えていた。


「お見事。精進したんだね。滝行でもしたの?」


 流石に肩で息をつく確に声をかける。


「あいつら、やっぱり……」


 確も気付いていたらしい。


「霊が徒党を組むなんて話は聞いたことが無い。朱緒に憑いた悪霊に、操られたんだと思う」


「俺ばかり狙ってきやがった」


「敵も考えるのは同じってこと」


 私の力は昨夜刀を交えて知っている。未知数だった確の腕を試したのだ。


「思ったよりずる賢いやつだ。姿は見たか?」


 黙って首を横に振る。注意して見ていたが、無駄だった。

 屋上の手すり越しに川を見下ろす。昨日までの雨で茶色く濁った水が、白波を立てながら流れてゆく。


「なんだ。浮かない顔して」


 生温い風に、霊達が残していった微かな冷気が混じる。


「確、力の強いものが、知っておかなければならないことがある」

「うん」


 確も手すりに体重を預け、視線を落とす。


「浄霊と除霊は違う」


 上手く伝えられるだろうか。心にクロウの顔を思い浮かべる。


「私の従妹は霊媒をしていて、一人が依り代となって霊を降ろし、もう一人が話をする。霊たちにはそれぞれ心残りになるものがあったり、自分が死んだことすら気付いていない霊だっている。そんな霊たちの話を一対一でじっくり聴いて、この世への拘りを解して、最後は安心して成仏できるように導く。それが、浄霊」


 確は沈黙したまま頷く。


「一方で私たち祓い屋は、霊をこの世に繋ぎとめている結び目を無理やり断ち切って祓う。繋ぎとめるものがなくなった霊は消えるしかない。それが除霊。だけどそこに心が無いと、ただの狩りになってしまう。相手も元は私たちと同じ。誰かの子供で、名前があって、それぞれの人生を生きていた。なぜ自分が力を授かったのか、よく考えて欲しい。……祓われる方にしたら、そんなの偽善だって言うだろうけど」


「……いや、分かった。よく考えてみる」


 くるりと回転し柵にもたれると、ズボンのポケットに手を突っ込む。


「へぇ、どうしたの。気持ち悪いくらい素直じゃない」

「うるせー」


 咲希ちゃんのことを大切に思う確だから、きっと分かってくれると信じていた。


「おまえこそ今の話、全部坊さんの受け売りだろ?」

「ばれた?」


 並んで柵にもたれ、どんよりと曇った空を見上げる。


「クロウ、どこへ行ったんだろ。早く帰ってこないかな」

「おまえは本当に坊さんが好きだな」

「あったり前田のクラッカー」

「なんだそれ」


 上空は風が強いのか、雲の流れが速い。


「クロウ、今頃、どこで何しているんだろう」

「さあ」


 誰かとクロウの話をしていたかった。


「調べたいことって何だろう」 

「坊さんのことだ。何か考えがあるんだろ」


 留守にすると告げたとき、心配するなと笑っていたけれど。


「一人じゃ不安か?」


 今朝出て行ったばかりなのに、もう会いたい。


「あーあ、私も一緒に行くって言えばよかった」


 クロウが纏った爽やかな香の薫りも、包み込むような優しさも。傍にないと、こんなにも寂しい。


「また週末は雨だって言ってたから、早く帰ってこないと心配だな」


 衣をずぶ濡れにしたクロウが一人野宿する姿を思い浮かべると堪らなくなる。


「なにさ」


 視線を感じ、確を見上げる。


「いや、今一瞬、おまえが女子に見えた」


 眼鏡をはずし、眉間を押える。右ストレートと見せかけて、思い切り足を踏みつけてやった。


「確、ちょっと」


 足を抱えて蹲る確の袖を引っ張る。


「ほら、あれ」


 バックネットの向こうに見える旧校舎を指さす。灰色の空が映り込んだ二階の窓に、女の形の影法師が浮かんでいた。


「私たちを見てる」

「あいつが黒幕なのか?」


 身を起し呟く。


「まだ決めつけない方がいい」


 クロウなら、安易に結論に飛びつくなと言うはずだ。


「悠長なこと言ってる場合か? 俺たち、旧校舎の霊を侮っていたんじゃないか?」


「そうかもしれないけど、調べてみないと分からないでしょ。今夜にでも忍び込めるよう、叔父さんに相談してみる」


「分かった」


 徐々にぼやけてゆく輪郭を網膜に焼き付けるように、確は眼鏡の奥の目を細めた。

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