第10話 呪いの授業
「じゃあ俺は、まんまと罠にかかったのか」
私の手を氷水で冷やし、確はがっくりと肩を落とした。すっかり馴染みとなった、確の部屋だった。
「危ない所だったんだから。気軽に何でもほいほい触るの禁止」
確の背中から、ひょっこり咲希ちゃんが顔を出す。目が合うと、ぺこりとお辞儀して、直ぐに確の後ろに隠れた。おーい、そんなに恥ずかしがらないでよー。
「……悪かったよ」
俯いたまま、ぼそりと呟く。確には呪符に触れてからの記憶がない。
「これでお相子だから」
よほど堪えたのか顔も上げずに頷いた。確のつむじを見下ろしていたら、いつか見た変な夢を思い出した。どうやら正夢になったようだ。
「あれが呪符だったなんて……」
そう言うと確は顔をしかめ、氷嚢を額に当てた。
「痛ってー、頭がガンガンする」
私が頭突きしたことは内緒だ。倒れた際、ベッドの柵で打ったことになっている。少しだけ、確が哀れになった。
「確が勘違いするのも無理ないかも。燃えてしまったから分からないけど、一見ごく普通の護符だったんじゃない?」
クロウを見ると、同意の印に頷き返した。
「起請文って言って、戦国時代の武将の間で流行ってた風習で、護符の裏に願い事とか誓いの文句を書くの。普通は君主に対して忠誠を誓う言葉だったり、戦の勝利を願う言葉だったりするんだけど、あれの裏には、私たちに対する呪詛が書いてあったってわけ」
「起請文は云わば神仏と交わす契約です。自身が信ずる神仏に心願を訴え加護を願う。もし契約を違えれば、罰を受けると誓うのです。起請文に記したことは、決して取り消すことができません。迷いが生じただけでも罰が下ります」
「あの札の裏には呪力を増すため、血文字で呪詛が書かれ、私たちのどちらかが触れた途端、呪いが発動する仕掛けになってたんだろうね」
クロウが沈鬱な表情で頷く。
「神に人の不幸を願っても罰は当たらないのかよ」
確が氷嚢の下から、恨めしそうにクロウを見上げた。
「神は道徳者ではなく、裁きも与えません。善悪を超越した存在なのです」
「藁人形だって、神社の御神木に打ち付けるでしょ。勿論、どこの神社でもいいってわけじゃないけど。その手の願いを聞き入れてくれる神様がいるのは事実」
「……にしても今時呪符なんて時代錯誤なこと……」
記憶がないせいもあるだろう。事の重大さが分かっていない。
「呪いが過去のものだと思ったら、大間違いだからね。通販の呪いの藁人形セットがバカ売れしたの知らない? お師匠さんのところにも、誰かに呪われてるって相談に来る人が大勢いるし。みんな非科学的だと口では言っても、心の底では呪いを恐れる気持ちがあるものなの」
確の目の前に、火傷した手のひらを突き出す。
「受け入れるしかない。相手は私たちを呪殺する気でいる」
「じゅさつ? 呪いで人を殺せるのか?」
「呪力にもよるけど、可能よ」
「ちょっと待て。頭を整理させてくれ」
水膨れができた私の手を掴み、再び氷水に沈める。
「そもそも、あれを仕掛けたのは高屋敷で間違いないのか」
「生霊が消えた後すぐ見つかったんだし。そう考えるのが自然よね」
「一番納得いかないのはそこだ。今時の女子高生が、血文字で札の裏に呪いを書きつけるなんて発想になるか?」
「厭魅や蟲毒、猫鬼と比べれば、呪いの作法としては特別なものではありません」
「えんみ? こどく? びょーき?」
クロウのせいでまた迷子になってしまったようだ。
「私は朱緒が私たちを呪殺するつもりだとは一度も言ってない。起請文のルールを思い出して」
意地悪なクロウにかわってヒントを出す。
「呪詛が成功するよう神に願うんだろ。で、もし気持ちが途中で変わったりしたら罰則がある」
「そう。神罰が下る」
「罰って、どんな?」
「死、よ」
「し?」
しが死に変換されるのに時間が必要だったらしい。開いた口が徐々に堅く結ばれてゆく。
「誓いを破れば、血を吐いて死ぬ」
「起請文に呪詛を記したとなれば、それは神仏に呪いの代行を託すことに他なりません。一度始めたら、二度と後戻りはできないのです」
確は眼鏡の縁を押し上げ、クロウと私を交互に見た。
「……そんな危険なこと、高屋敷にできるわけない」
「そう。その通り」
「じゃあ……」
クロウが頷く。
「あの方には、悪しきものが憑いています」
「それなら、すぐ祓えばいいんじゃないのか?」
やれやれ、霊能力はあっても知識は赤ちゃん並らしい。これは基礎コースから教える必要がありそうだ。
「よーく聞いて」
身を乗り出して確を見据える。
「憑き物には簡単に祓えるものと、みだりに祓っちゃいけないものがあるの」
「おう」
仏頂面をむける。こんな時だが、少し愉快だった。確に偉そうにできる、またとないチャンスだ。
「憑き物って一口に言ったって色々あるの。例えば、遊び半分で心霊スポットなんかに出かけて、突発的に引っ付けてしまうもの。それから事故物件みたいな、部屋や場所に憑いているもの。あとは、狐憑き」
「狐って本当に憑くのか?」
そう、普通そういう反応になるわな。
「本当に狐が憑くわけじゃない。質の悪い霊は人間性を失って獣のような姿を取ることが多いから、一概にそう呼ばれているだけ。自然霊と融合して低級霊団を作っていることもある。で、憑いた人間に悪さをする。映画のエクソシストは見たことある?」
確はこっくりと頷く。
「あの女の子みたいに身体を乗っ取られて、人格まで変わってしまうのが狐憑き。悪霊憑きと言ってもいい。最後に犬神とか、長縄神とかの憑き物筋。これは代々家系に憑いていて、家には富をもたらし、敵対するものには攻撃を与えるというもの。さてクイズです。このなかで簡単に祓ってはいけないのはどれでしょう?」
「心霊スポットでくっつけてしまったやつは簡単に祓えるだろう。霊にしたって、拘りがあってそいつにとり憑いたわけじゃないし。部屋や場所に憑いてる霊も、お祓いで除霊できそうだし。犬神は家に富をもたらしてくれるんだから、祓う必要はない。なら、エクソシストか?」
問題が簡単すぎたかな。だがまんまと引っかかった。
「ほぼ正解。ただ犬神などの憑き物は、養うのが大変なの。富や幸運を約束する反面、何らかの見返りを要求されるから。養いきれず手放すには、加護を貰った分以上の金品をつけて誰かに渡すしかないけど、犬神と知って貰いたがる人はいない。うんとお金を積んで寺に引き取ってもらうしかないけど、その頃には家もだいぶ傾いているから大変だろうね」
「犬神は蟲毒や猫鬼と並び、生き物を使った呪詛に他なりません」
「犬神の作り方は読んだことがあるから知ってる」
シロを思ったのだろう。嫌悪感を滲ませ、吐き捨てるように言った。
「じゃあ、高屋敷はエクソシストの女の子みたいに、悪霊に憑依されてるってことか」
「朱緒の湊を見る目は別人のようだった。間違いなく、何かが憑依している。問題は、それが何なのか、ということ」
「英語だと、ポゼッション。高屋敷は何かに魂を占有されている……。だから命の危険があるにも関わらず、呪符なんて書けた。なら尚更、早く祓わないと高屋敷の身が危ないんじゃないのか?」
そうせっかちにならないの。
「霊にも力の程度があって、それはこの世に留まる執念、拘りの強さに比例しているの。こちらの力が圧倒的に勝っていれば問題ないけど、強くエネルギーの大きい霊には注意が必要。例えば、担任の背中にくっついてたやつ覚えてる?」
「ああ。ヒルの化け物か」
あれは巨大ヒルだったのか。分かっていたら素手でなんか触らなかったのに。たまにクロウの性格を疑いたくなる。
「あれも担任の身体の一部を乗っ取り、精神にも影響を与えてたから憑依。一部分とはいえ、ポゼッション」
私だってそのくらいの横文字は知っている。
「霊は祓われるとなると、必死で抵抗する。もし祓いに失敗すれば、霊の反発力が憑かれた本人に向かってしまう恐れがあるの。力の強い霊ほど、当然反発力も強い。その場合、本人にどんな悪影響を及ぼすか計り知れないわけ。担任のナメクジは、私の力が勝っていると判断したから祓った。もう分かったでしょ?」
「高屋敷に憑いた悪霊がどれくらいの力を持っているか正確に知る必要があるってことか。下手に祓うと、高屋敷が危ない。そういえば、高屋敷はよく霊を背負い込んでいたけど……、最近は目につかないな」
「憑依したものが邪悪だと、他の霊たちも恐れて近づかなくなるの。下手をすると、飲み込まれてしまうから。まずは慎重に、憑依した悪霊の正体を見極めるのが肝心ってこと」
「日本の悪霊にも聖水が効けばいいのにな」
言って、自嘲気味に笑う。
「生霊も、そいつが操ってたのか? それとも、生霊を出すように操られたのか?」
「どちらでも同じことです。彼女の負の感情が魔を呼び寄せたのです」
起請文の効力がある限り、直接祓うのは危険だ。クロウと目を合わせる。
「悪霊の正体を突き止めたら、朱緒の身体から一旦落として結界をはる。本人を封じた状態にし、すかさず悪霊を祓う。それしか方法はないよね」
「しかし……、不思議です」
クロウが珍しく言いよどむ。私たちが無言で促すと、確信が持てないというように首を傾けてから先を続ける。
「呪詛は普通、相手に知られないよう密かに行うもの。呪詛返しにあえば元も子もないからです。何故わざわざ目につくように呪符を置いたのか、気になります」
「呪詛って返せるのか?」
「返せる。かけられた呪力の倍の力を、相手に返すことができるって言われてる」
確は天を仰いで後ろ手をつき、ため息を漏らした。
「呪詛を返せば、高屋敷を殺しかねないってことか」
「平和的な解決法があるとでも思った?」
「うるさい。呪詛返しなんて、そんなこと俺たちがするはずないのを知ってるんだ」
「確にそうですね」
「私も手に火傷したし。お陰で暫く刀を握れない」
クロウは私の言葉に頷いたが、考え込むように口を閉ざす。
「何にしろ、私たちを仕留めるまで呪詛は続くし、敵は必ずまた動きを見せる。その時が正体を掴むチャンスよ」
「高屋敷には俺たちを呪殺するまでしっかりと諦めないでいてもらうしかないか」
皮肉な笑いを漏らし、確は私の手をタオルで挟み水滴をふき取った。軟膏を木べらにとって塗り始める。
「膜が破れると、雑菌が入って治りが遅くなるから気を付けろよ」
「分かった」
「火傷が治るまでの間、高屋敷を操っている黒幕を調査しよう」
なんか最後無理からに仕切ったな。その負けず嫌い、ちょっと尊敬する。
確は綺麗に包帯を巻き上げ、終わり、と言うようにぽんと私の手のひらを叩いた。
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