第6話 相棒

「へえ、家、病院だったんだ」


「診療所だ」


 確の家には歩いて十分もかからずに着いた。腕時計を見ると午前三時をまわっている。私を下ろすと、首や肩をほぐしながら、確は引き戸をそっと開けた。一歩中に入るなり、甘ったるい薬の匂いが鼻をつく。


「待合室で待っててくれ」


 そう言って奥の診察室へ引っ込んで行った。明かりがつき、棚をゴソゴソ漁る音が聞こえてくる。言われた通り、狭い待合室の古びたベンチに腰を下ろして待っていると、包帯やガーゼを手にして戻ってきた。


「あっちの、二階だ」


 棟続きの住居へと案内され、音をたてないように階段を上る。さすがに人の家を訪問する時間ではない。家の人が起きて来やしないかとひやひやする。

 廊下の突き当りのドアを開けると、確は先に入れというように頷いた。


「お邪魔しまーす」


 息だけで言って、忍び込む。なんだか悪いことをしているみたいでドキドキした。


「へぇ、ちゃんとしてんだね」


 家具は机とベッドだけという潔いほど殺風景な部屋だったが、きちんと片づけられ清潔感があった。


「座れ」


 椅子に座った私の踵を持ち上げると、タオルで受けながら、細いノズルの付いた容器から消毒液を勢いよく出して傷口を洗い始めた。


「いったーい」


 一応、女の子らしく言ってみる。


「うるさい。気持ち悪い。だまれ」


 その時、窓辺に置いてあるものが目に入り、私は振り上げた拳を引っ込めた。


「あの花って……」


 ジュースの空きビンに、河原で摘んできたような黄色い野花が活けてあった。


「お姉さんのため、だよね」


 誰かのため以外に、高校生の男子が部屋に花を飾る理由が思い浮かばない。


「お姉さんの名前、なんていうの?」

「咲希」 

「咲希ちゃんか」


 咲希ちゃんはさっきから顔をのぞかせ、私を興味深げに見ている。笑って手を振ると、すっと確の後ろに隠れてしまった。随分恥ずかしがり屋さんなのだ。


「確って、意外と優しいんだね」

「意外と、が余計なんだよ」


 減らず口は相変わらずだが、顔がほのかに赤くなっている。私もそれ以上は突っ込まないくらいのデリカシーは持ち合わせている。


「傷、三針ぐらい縫った方がいいな。その方が早く治るぞ。道具を取ってくる」

「え、縫う? 確が?」


 恐ろしすぎる提案に、素早く足を引っ込める。だが、確の顔にあの人を小ばかにした表情が戻っているのを見て、一杯食わされたことに気付いた。


「なぁ、おまえいつからあの仕事やってるんだ」


 踵を掴んで引き戻すと、木のへらで軟膏を救い、傷口に塗りながら聞く。


「十五歳から。渡り巫女といって、一人前の巫女になるための修業なんだ」

「巫女!」


 今度は確が素っ頓狂な声を出す。


「お前が、巫女……」


 黙ったまま拳を振り下ろした。コンといい音がする。


「校舎に入る前に、オン何とかって呪文みたいなの唱えてただろ。あれは何だ?」


 いてー、と頭をさすりながら聞く。


「ああ、あれは摩利支天神の真言。お師匠さんから、私は遠い前世で摩利支天神に仕えていたから、仕事の前には真言を唱えて加護を願い、慈悲と誠意をもって祓うと誓いなさいって教えられてる」


「前世……」


 確の顔に戸惑いが浮かぶ。霊が見えるくせに、前世となると信用できなくなるタイプか。偶にいるんだよな、霊感があっても、自分の目に見えるものしか信じないって人が。


「確の力、ほら、さっき狐をやっつけた」

「ああ」


 折りたたんだガーゼを傷口に当てる。


「お姉さんの力かもしれないね」

「姉さんの?」


 手を止めて、私を見上げる。


「うん。普通、霊力は母から娘へ遺伝することが多いから。私には兄と弟がいるけど、二人とも力は持っていない」

「ふーん、そんなものなのか」


 だから、お姉さんが成仏したら、確の力も消えるかも。そう言いかけて、言葉を飲み込む。力が使えたとき、あんなに嬉しそうだったんだから、わざわざ教えてやる必要もないか。


「おまえの母親は何をしてるんだ? やっぱり巫女なのか?」

「細々と拝み屋をやってる。お父さんがお堅い公務員だから、表立っては普通の主婦ってことになってるけど」

「そっか。普通の人間からしたら、悪霊だの生霊だの、胡散臭いだけだものな」

「まったく。私も苦労するわ」


 思わずため息がでる。


「で、そっちの坊さんとはどういう関係なんだ?」


 包帯を器用に巻きながら尋ねる。クロウは確の机から、小難しそうな本の幽霊を取り上げて読みふけっている。


「クロウは私の指導霊。物心ついた頃から、ずっと一緒にいる」

「やっぱり強くなるには、指導霊っていうのが必要なのか?」

「うーん、どうかなあ」


 考えたこともなかった。確かに、子供のころはクロウから色々教えてもらった。だけどそれは、親が子供に火傷するからアイロンは触っちゃだめとか、車に轢かれないよう歩道を歩けとか注意するのと同じで、危ない目に合わないための最低限の知識だった気がする。


「強くなるのは生まれ持った素質もあると思うけど、主に努力と経験じゃないの? クロウがいてくれたから、頑張れたことは確かだけど」


 剣術は師匠のバカ息子に仕込まれ、呪術は兄弟を相手に腕を磨いた。兄と弟を結界の檻に閉じ込め、目の前でおやつを独り占めした時の快感を思い出す。


「それにしても、クロウなんて変わった名だな。漢字は? どう書くんだ?」


 今度はクロウに向かって問いかける。クロウは本から顔を上げ、困ったようにほほ笑んだ。


「クロウは昔のこと、あんまり覚えていない」

「なんで? 記憶喪失なのか?」

「確は生まれる前のこと覚えてる?」

「いや、覚えちゃいないけど」

「それと一緒」


 確は疑わしそうに首をひねっている。私も釈然としないけど、根掘り葉掘り聞くのも気が引けるし、あまり記憶がないのは本当のようだ。

 小学生の頃、気になってクロウに内緒で家系図を調べたことがあった。守護霊は先祖がなる場合が多いと聞いたからだ。せいぜい明治時代までしか遡れなかったけど、先祖に僧籍に入ったものは見当たらなかった。

 クロウがいつの時代に、何処で生きていたのか今でも分からない。でも結局は、クロウがいつも一緒にいるというだけで、私は十分満足なのだ。


「よし、終わった」

「上手いもんだね。うん、これなら歩いても痛くない」

「あんまり無理するなよ。包帯と薬やるから、ちゃんと手当しろよ」

「はーい」


 空が白々と明けはじめていた。時計を見るともう四時近い。神主に電話しようとスマートフォンを取り出す。


「で? 次はいつやるんだ」

「いつやるって、また来るつもり?」

「当たり前だ」


 やれやれと天井を仰ぐ。ま、今日は中々役に立ったからいいとするか。暫くしてから電話に出た神主に迎えを頼み、一緒に部屋を出る。


 忍び足で階段を降り、無事に庭へと脱出した。すると背後から鎖が地面をこする音がして、一匹の白い犬が走り出てきた。尻尾を振りながら私の膝の裏のにおいを嗅いでいる。


「可愛い! 何て名前?」


 頭を撫でてやると、クーンと甘えた声を出す。


「シロ」


 そのまんまかい。


「そう言えば」


 シロを見て思い出した。


「確、何でバナナなんか持ってたのさ」


 夜中に学校にいたことだって、よく考えたらおかしい。確は舌打ちしそうに口元を歪める。


「あれは、小腹がすいたときに食べようかと思って、たまたま……」


 ははーん、見えた。


「なるほど。バナナであの猿を外におびき出して、祓いの特訓をするつもりだったんだ。それで学校に忍び込んだところに、私たちが乗り込んできたってわけね」


 うい奴よのう、と人差し指で背中をツンツンする。


「うるさい、やめろって」


 確をからかい、シロと戯れているうちに、神主の車が向いの駐車場に滑り込んでくる。神主は私と確が一緒なのを見て、目を丸くした。


「じゃ、またね」

「おう、また」


 何となくこっぱずかしくて、素っ気ない挨拶を交わした。神主の車へ駆けだした時だ。


「確」


 クロウが呼ぶと、家に戻りかけていた確は足を止めて振り向いた。


「それが何かは分かりませんが、得物はすでに身体の中にあります。後はそれを使う覚悟のみ」


 それだけ言って背を向けると、クロウは私より先に車に乗り込んだ。東雲の空が茜色に燃え始めていた。

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