第5話  真夜中の校舎

「おーい、万琴、荷物が届いたぞー」

「やったぁ! 間に合った! ありがとう、叔父さん」

「なんだいそれは。随分重いが」

「お肉だよ」


 包みを乱暴に破ると、きれいな差しが入った肉が現れた。口の中によだれが溢れる。


「友達を呼んでバーベキュー大会でもするのか?」

「まさか、そんな勿体ない」


 戦の前の腹ごしらえは肉と決めている。


「あ、よかったら叔父さんも食べる?」

「いや、遠慮しておくよ」


 私の目つきに寛大さの欠片も見いだせなかったようだ。

 普段めったに料理などしないが、ステーキの焼き方には拘りがある。ヒマラヤ岩塩とブラックペッパーをまぶした肉を、煙が出るまで熱したフライパンにおき、表面だけに焼き色をつける。塩、タレ、わさび醤油の三皿を添えれば出来上がり。

 血の滴るようなレアに齧り付く私を、クロウは眉をひそめて見ている。気が向いたら箸を伸ばしてご飯の幽霊を食べるクロウだが、肉には決して手を出そうとしない。


「んまーい。しゃーわせー」


 満腹になると、目覚ましをセットして布団に潜り込む。


「万琴、食べてすぐ寝ると、牛になりますよ」


 いつものことなのに、そう注意されなかったことはない。


「今夜は五千キロカロリーくらい消費するんだから。いいのいいの」


 カロリーの無駄遣いはできないよ。そう言い返す前にもう寝ていた。


                ※


「帰りは何時になってもいいから、電話しなさい」


 神主はそう言うと、校門の前に私を残して帰って行った。街灯はまばらで、人気もない。川の流れる音が昼間より一層大きく聞こえた。

あらかじめ神主に用意してもらった鍵を確認し、メンズのボディバックを斜め掛けすると門を乗り越えた。

 五月も末とはいえ、山間の地ゆえ夜はまだ肌寒い。黒の薄手のセーターに細身のジーンズという格好で丁度よかった。長い髪は後ろで一つにまとめ、ゴムで縛ってある。


 満月が校舎の影を濃くしていた。深夜十二時。昔は当直制度があったが、それも廃止された今、深夜の学校には誰もいない。大阪の高校では警備会社のシステムが入っていたが、ここにはそれもない。鍵を使って正面ドアを開けると一つ咳払いして、私は無人の校内に向かって声を張り上げた。


「みなさん今晩は! 突然ですが今からお祓いを始めます。ですがその前に、自分から投降しようと思う方、いませんか? 決して手荒なことはしないと誓いますので。どうですかー?」


 私の声は、しんと静まり返った暗がりに吸い込まれていった。毎回無駄だとは思うが、紳士的なクロウがそうしろというのだから仕方ない。


「誰もいませんね。それでは始めます」


 手刀で空中に九字を切り、真言を唱える。


「オンマリシエイソワカ」


 頼もしい重さを手の中で感じると同時に、月光を跳ね返して輝く刀身が現れる。物質を斬ることこそできないが、霊魂にとっては真剣と同じだ。左手の小指から徐々に力を抜き、その柄を握る。右手は添えるだけ。いざ踏み込もうとした時だった。


「何やってんだ」


 男の声がした。

 面食らって振り向くと、細身の背の高い男がポケットに手を突っ込んで偉そうに立っていた。この学校の生徒だろうか。幸いなことに教師ではない。大きめサイズのパーカーにカーゴパンツという恰好からして、同じ年のころに見える。


「えっと、学校に忘れ物しちゃって、しゅ、宿題! 宿題を忘れたから、取りに来たの」


「ふーん」


 鼻で返事して、突っ立っている。信用してくれただろうか。信用したなら早く帰ってほしい。私は急いでいるのだ。さっさと仕事を片付けて、明日に備えなければならないのだ。明日、そう思っただけで心臓が大きく高鳴った。こんな所で時間をロスしたくない。


「それ、どうやってるんだ」


 だが男はそう言って私の身体の脇を指さした。その指の先には、私のだらりと下ろした左手がある。


「それ、って?」

「しらを切らなくていい」


 男が一歩足を踏み出す。月明りをまともに受けた淡白な表情に、どこか既視感を覚えた。


「その刀、どうやってるのか聞いている」


 ん? 今、刀って聞こえたような気がする。 


「あんた、誰よ」

「お前らこそ、何者なんだ」

「お前らって」


 まさか、クロウが見えてる? 男は私の心の問いが聞こえたように頷いた。


「見えてる。そっちの坊さんも」


 クロウが微笑んで会釈した。その時、男の背後からおかっぱ髪の女の子がちらりと顔をのぞかせた。


「あっ! あんた、同じクラスの……」


 小野寺確だ。間違いない。だがあの瓶底眼鏡をしていないせいで、全く分からなかった。

 普通の黒いフレームの眼鏡をかけ、眦のすっきりとした眼でクロウを直視している。


「あんたら、今から学校の霊を祓うんだろ? 俺にもどうやるのか、教えてくれ」

「はあ?」


 開いた口が塞がらないという体験を初めてした。


「だから、見てたんだよ。あんた、学校初日に生首の霊をやっつけただろ。光る弾丸みたいなのを飛ばして。それから昨日、河原にいた子供の幽霊もその刀で斬ってた」


「ちょっと待って!」


 驚きよりも怒りが勝った。頭に血が逆流する。


「私たちの後をツケて、のぞき見してたってこと? 許せない!」

「おっと」


 振り上げた手首を取って押し返す。


「あんた、随分威勢がいいんだな。元気溌剌、健康そのものって感じ。喘息なんて嘘だと思ったが」


 確の目が面白そうに光った。


「湊に知られてもいいのか?」

「あんたねぇ……」

「あいつ、いいやつだし信じてるみたいだけど。嘘だって知ったら傷つくだろうなあ」


 ぐっと言葉に詰まった私を横目で見降ろす。


「変な時期に転校してくるし、何か訳ありだと思ったけど。深夜の学校に忍び込んで、幽霊退治か。皆が知ったら驚くだろうなあ」


 ズボンのポケットに親指を引っかけて、緩く立ったまま校舎を見上げる。


「校長は知ってるのかなあ」


 こいつ、どこまで性格の悪い奴なんだ。


「私たちは、ちゃんと依頼を受けてる」


 校長じゃなくて神主のだけど、と心の中で付け足す。


「仕事の邪魔はさせない」

「邪魔はしない。言っただろ。どうやるのか知りたいだけだ」


 ふてぶてしいにも程がある。

 睨み合う私たちの横で、こほん、とクロウが咳払いした。


「万琴、喧嘩はそのくらいにして、そろそろ参りましょう」


 そうだった。私は急いでいたのだ。こんなやつに関わっている場合ではない。仕事に戻らねば。


「六根清浄、六根清浄……、急急如律令」


 苛立った気持ちを静める。全身にめぐる気を集中し、再び現れた刃を手に校内へと乗り込んだ。

 確も当然のように後に続く。


「自分の身は自分で守ってよ。私は知らない」

「分かってる」


 非常灯の光がリノリウムの床に反射していた。満月でもある。暗闇に目が慣れれば、動き回ることも難しくない。むやみに懐中電灯など使って、外から目撃されるほうがよほど面倒だ。


 早速廊下の向こう天井近く、白っぽい煙のように漂うウゴウゴがいる。

 私は身を低くして駆け寄ると床を蹴って跳び、刀を一閃させた。

 着地するなり横にすっ飛んで、飛びかかってきた霊をかわす。くるりと回転し、真横に刀を振り払う。も一つ頭上に飛んできたやつを、袈裟懸けに斬り下す。


「今のは古狸です。つがいのようですね」


 クロウは横から時々情報を与えるだけで、手伝いはしない。なぜならこれは私の修業だから。手伝っては意味がないそうだ。


 廊下は再び静まり返る。だがひっそりとこちらを伺っている気配は誤魔化せない。私は用意してもらった鍵で職員室を開錠すると、扉を開け放った。


 中に滑り込み、机の間を縫って奥へと進む。黒い影がすっとカーテンの後ろに潜り込んだ。迷わず踏み込み駆け抜けるとカーテンを払いのける。立ち尽くした人影を足元から薙いだ。

 刀を構えたまま室内に目を配る。


「そっち! 床を這って逃げるやつがいる!」


 確が指さす方に向かって走る。逃げられないと悟ったか、ウゴウゴが躍り上がって向かってくる。

 難なく斬り捨てて振り向くと、確と目が合った。


「ここにはもういない。隣の一年の教室に女の霊がいる」


 確は身長が一八〇センチくらいある。私も女子にしては背が高い方だが、どうしても見下ろされる格好になる。だからだろうか。指図されている気がする。

確が私より先に走り出す。


「それくらい、こっちも調査済みだし!」


 棚から鍵の束を拝借して追いかけると、扉の前で忠犬ハチ公よろしく私を待っている。手間取る私の手から、確は何も言わず鍵束をひったくった。


「ちょっと! 何すんの!」

「俺がやる」


 言い終わらないうちに扉が開いた。私は確を押しのけ教室に滑り込む。


「これは私の仕事、手出し無用!」


 教壇の上にぼんやりと佇むウゴウゴを一太刀のもとに成敗する。


「次こっち、掃除ロッカーを住処にしてるやつがいる」


 確が走って行ってロッカーのドアを開けると、毬のようなウゴウゴが二つ飛び出してきた。床を跳ねると窓の外に逃げてゆく。


「くそ!」


 確は悔しそうに唇を噛む。

ほら、言わんこっちゃない、と文句の一つも言ってやろうとした時だ。


「逃がしてすまない」


 目を伏せたまま、ぼそっと呟いた。見下ろされていることに変わりなかったが、少し哀れな気もしないではない。


「いいよ。戦う意思のないものを無理に祓うつもりはない」


「だが、また戻ってくるかもしれない」


 私はボディバックから魔除けの札を取り出すと、確に渡した。


「これを、どこか目につかないところに貼り付けて」


「何だこれ、お前が書いたのか?」


「まあね」


 私は胸を張り、確を見返した。

 お札の書き方はお師匠さんに散々仕込まれた。従妹の御典と御鈴が早々とお墨付きをもらう横で、汗水たらして必死に練習したものだ。


「これ、ほんとに効果あるのか?」


 だが、確は疑わしそうにお札を表裏返して首をひねっている。


「あんたねぇ……」


 私が歯噛みしている横で、クロウがくすりと笑う。


「いや、何でもありません」


 目が合うと、すました顔で言った。

 確はお札を開口部の上、内側に貼り終え、ロッカーの中に潜り込みでもしない限り見えないことを確認し、振り返った。


「次、行くぞ」


 鍵の束を掴んで、隣の教室を開錠しに走る。

 私が教室に飛び込むと、目の前をウゴウゴがさっと横切って黒板の裏に隠れた。駆け寄ると、次の瞬間には天井から頭を出す。


「この!」


 飛び上がって斬ろうとするが、あっという間に消える。次の瞬間には後ろの壁からぬっと手を出す。慌てて駆けつけるとまた引っ込む。


「こんにゃろっ、なめんな!」


 息を切らして叫ぶと、クロウがコホンと咳をし、「万琴」と言った。


「ごめんなさい」


 霊には礼儀正しく。ダジャレみたいだけど、そうしないとクロウに怒られる。


「もう、いい加減にしていただけますか!」


 言い直すと、愉快そうに笑った。


「いたずら者の猿です。完全に遊ばれてますね」


「おい!」


 何を思ったか、確が声を張り上げ教室の中央に立つ。


「お前、これが欲しくないのか」


 そう言ってパーカーのポケットから取り出したのは、なんと熟れたバナナだ。


「うそ」


 唖然とする私に目配せすると、バナナを高々と掲げた。しばらく待つと、真上の天井からそろそろと手が伸びてくる。バナナに指が届いた瞬間、私は傍の机を足場に飛び、刀を振り下ろした。


「俺の方がここの霊には詳しい。あいつは食い意地が張ってるんだ」

「握り飯でも、かすめ取られましたか」

「食べ物だけじゃない。何かなくなると、大抵あいつのせいだ」

「よほど、手痛い目にあったようですね」


 図星だったようで、確は顔をしかめてそっぽを向いた。ていうか、クロウと普通にしゃべってる?

 もしかしたら、こいつ、使えるかも。私の頬が自然と緩む。


「今、よからぬことを考えましたね」


 すかさず、クロウが釘を刺した。


「まさか。そんな、あの人を囮に霊を寄せ集めて、まとめて祓おうなんて思ってないよ」


 駄目? と首を傾げてみせたが、クロウに睨み返されてしまった。

 その後も世話女房を貰ったように、スムーズに仕事がはかどった。瞬く間に一階にいた霊二十三体を祓い終え、階段を駆け上る。踊り場に差し掛かったところで飛び出してきた不良狐五匹を、纏めて草を薙ぐように一掃する。二階は二年生の教室と理科室がある。


「理科室と二年三組に落ち武者の霊がたくさんいる」

「だから、知ってるし!」


 落ち武者の霊は、何百年も前の戦を今もまだやり続けている。昼間はそれぞれの陣地でじっとしていて、夕暮れになると開戦する。二階はバトルフィールドと化していて、他の霊も迂闊に近寄れないようだった。


「万琴、用心するのですよ。古い霊の中には思わぬ力を身に付けているものがいますから」

「うん、分かってる」


 霊魂にも寿命があって、大体四、五百年もすれば燃え尽きてしまうものだ。落ち武者の霊も、ほぼ消滅する寸前のように見えた。だが階段の影からそっと廊下を窺うと、鈍いオレンジ色の光を恨み深そうに発して勢いよく飛び交っている。


「あらま、派手にやってるね」

「おい、どうやったら霊を祓えるのか教えろ。二人でやった方が効率いいだろ」


 私の後ろから廊下の様子を覗くと、確が声を潜めてせっつく。


「あーのーねぇ。いくら霊力があっても、そんなお手軽に身につく技じゃないの。私だって、ちっさい頃からお師匠さんのところに通って、勉強して、訓練して、やっと身に着けたんだから」


 声を潜めて言い返す。


「もしかしておまえ、よく分からずにやってんだろ。それで教え方が分からないのか」


 はーん、と勝手に納得して頷いている。いい加減カチンときた。


「そんなに知りたいなら教えてあげる。いい? この刀は、丹田に集めた気を練り上げて具現化したものなの。使いこなすにはとてつもない意志の力と、超ド級の集中力が必要よ。素人さんが一朝一夕に使える技じゃないの。分かった? 分かったら、大人しく引っ込んでて」


 どーだ、ぐうの音も出ないだろう。


「へっ、つまんねえ。適当な言葉で、お茶を濁してるようにしか聞こえないな。無知を晒しているようなもんだ」


 完全に頭にきた。人を馬鹿にするのも、たいがいにしろ!


「耳の穴かっぽじってよーく聞きな! この刀は、こうやってグワーッと体中の気を集中させて、で、ガーーッと」


「分かった。もういい」


 私からふいと顔を背けると、確はクロウに向き直った。


「どうやるのか、教えてほしい」


 許さん! 


「なぜ、知りたいのです」

「俺も戦いたいからに決まってるだろ」

「なぜ戦いたいのですか」

「強くなりたいからだ」

「なぜ強くなる必要があるのです」


 確は挑むような目をクロウに向ける。


「俺の母親も姉さんも、霊が見えた。姉さんが重い病気で死んだとき、母親は俺を置いて村を出て行った。こんな怖い村には、もういられない。そう言って」


 クロウは黙ったまま続きを促す。


「もう、こんな眼鏡で見たものを気のせいにしたり、見なかったふりして生きていくのはうんざりなんだ!」


 尻のポケットから、あの瓶底眼鏡を取り出すと投げ捨てて、足で踏みにじる。


「俺がもっと強かったらって……、そうやってうじうじ考えてる自分に吐き気がするんだよ!」


 言い終わるなり私達から顔を背ける。首筋に青く血管が浮かび上がっていた。その背中から女の子が顔をのぞかせると、心配そうに確を見上げた。そうか、彼女は確のお姉さんだったのか。


「強くなりたいなら、その子にそんな顔させちゃだめだよ」


 確が打たれたように私を見た。何か言い返そうとして口を開きかけたその時、クロウが手で私たちを制した。


「万琴、気付かれたようです」


 廊下を見ると、戦が中断され、古の武者たちは空中にじっとしている。敵意の矛先が、こちらに向かってくるのを感じた。


「本気で行きなさい」

「任しといて」


 私はスニーカーと靴下を脱ぎ棄て裸足になると、廊下の真ん中に進み出て名乗りを上げて叫んだ。


「両軍の大将! 私とお手合わせ願いたい!」


 落ち武者たちから面白がるような気配が発せられる。


「女だてらにバカなことを、って思ってますよね。そちらこそもういい加減、いがみ合うのは止めにしたらどうでしょう」


 柄に手を置き、お辞儀するように思い切り体を低く倒す。後頭部を見せて誘い込むと、案の定手下の一体がすっと飛んでくる。

 間合いに入った瞬間抜刀し、突きを入れる。一撃のもと、手下はあっけなく消え去った。


「もう少し手ごたえのある方いませんか?」


 正眼に構え周りを見回すと、すぐ別の武者が進み出て剣先を合わせた。にらみ合ったまま足を送る。

 立場が逆になったところで、相手が正面から打ち込んできた。その一撃を撥ね返し、剣先を返すなり胴を斬る。


「部下が弱いと苦労しますね。なるほど、だからいつまでも決着がつかないのか」


 やっと両軍の大将を怒らせることに成功したようだ。ひときわ大きなオレンジ色の光がどす黒く変化する。


「私、少々急いでますので二人纏めて掛かって来てください」


 片方の大将が、鎧をガチャガチャと鳴らして進み出てきた。両目が真っ赤に光って、鬼の形相で睨みつけるのが分かる。しかしそれくらいで臆する私ではない。刀身を倒して右肩に引き寄せると、一部の隙も作らず、滑るように間合いを詰めた。

 相手が獣のように咆哮し、斜めに打ち込んできた。すかさず後ろに下がって撥ね返す。刃同士ぶつかる音が、ラップ音となって廊下に木霊する。


 師匠の一人息子、将大との試合を思い出す。あいつはおっとりのんびり屋のくせに、剣の腕だけは一流だった。五歳も年上のくせして、まだ小学生だった私をさんざん打ちのめしてくれたものだ。初めて将大から一本取った日、私は嬉し涙というものを初めて流した。将大を倒したいという一途な思いが、私を強くした。


 斬りかかって来た剣を、逆手に持った刀で受け止める。相手の刀が滑り抜けていった瞬間、切っ先で弧を描き、斬り下ろす。

 それを見たもう一方の大将が床を蹴り、刀を振りぶって突進して来た。左手のにぎりを確かめると、打ち下ろしてきた刀をすくい上げる。


「やあ!」


 間髪を入れず、気合と共に袈裟懸けに打ち取った。


 同時に、二体の落ち武者がどうと倒れた。光から怒りが消え、潔く散っていく。大将を失った残りの武者たちも次々に消えてゆく。戦いにこだわっていたのは大将だけで、あとの雑兵どもは二人に付き合わされていただけなのだ。


 残身を解くと、「やった!」と確の声が聞こえた。

 だが勝ち誇って二人のもとへ戻り、ハイタッチしようと手を伸ばすと、確は笑いもせず目を逸らした。


「次、三階行くぞ」


 素っ気なくそう言って、先に階段を駆け上ってゆく。


「あの人、性格ひん曲がってない?」

「悔しいのですよ。可愛いではありませんか」

「どこが!」


 クロウと一緒に三階へ上がる。三年生の教室と音楽室のあるこの階で終わりだ。確はすでに教室の鍵を開けて待っている。


「俺たちの教室にいたやつは片付いてるから、あとは三の一と二、そして音楽室だ」


「ご親切にどうも。さっさとやっつけましょうかね」


 確の見事な下働きぶりで、あっという間に二つの教室は掃除し終える。残すは音楽室のみ。あそこには不良狐の親玉がいて、ちょっとだけ面倒だ。


「油揚げは? 持ってないの?」


 音楽室の扉を開けている確に聞いたが見事に無視された。


「おおっと、これはすごい」


 音楽室の中は無数の狐火で満たされていた。子分をやられて怒りまくっているようだ。


「テレビで見た、ベトナムのランタン祭りみたいやー」


「感心している場合ではありません。中々の妖気、油断はなりませんよ」


 クロウが厳しい顔つきで言う。


「うん。分かった」


 振り向いて確に告げた。


「外で待ってて」


 悔しそうな目をして渋々頷く。


 刀を正眼に構え、揺れる狐火を縫い室内を進んだ。古いグランドピアノの上に、一際大きく輝く青白い光が浮かんでいる。あれが本体だろうか。誘うように周りの火が道を開ける。狐はずる賢いから囮かもしれない。いや、囮だと背を向けたとたんに襲ってくる算段かもしれない。


「あかん、めんどくさい」


 霞の構えをとると、グランドピアノまで一直線に駆けて火を真二つにする。手応えもないまま火は消える。


「後ろ!」


 廊下から確の声が飛んでくる。振り向くと、顔の高さに大きな狐火がめらめらと燃えている。盛大に燃えて髪を焦がさんとしてくる。


「こっちか!」


 刀を振るがやはり手ごたえはない。


「違う、火じゃない! 見えないのか!」


 確が痺れを切らしたように教室に飛び込んでくる。火をよけながら走り、教室の角を指さす。


「あそこにいるだろ!」

「どこ?」


 確の指さす場所を見るが何もいない。そういえばお師匠さんが言っていた。狐は幻術を使うと。


「影だ、影を見ろ!」


 影、影、とあたりを見回す。ていうか、意外と目がいいんだな。感心していたその時、ドアの隙間からふらりと滑り込んできたウゴウゴがいる。「うげ!」と思わず下品な声が漏れた。


「しまった、あいつのこと、すっかり忘れてた!」


 校内を酔っ払いのようにふらふらと徘徊する霊だ。よりによってこんな面倒な場面に忍び込んでくるとは。狐火を赤提灯と間違いでもしたのか。大方、酔っぱらって井戸にでも落ちて死んでしまったんだろう。化け狐か、酔っ払いか、どっちを先にやる。どっち!


「んあー、もう!」


 とりあえず簡単な方からやっつけようと、狙いを酔っ払いに定める。さすがに殺気を感じたらしく、よろよろと腰砕けに窓際を這うように逃げてゆく。それを追い、飛び交う狐火をドッジボールのようにかい潜って距離を詰める。


「もう十分でしょう。そろそろ、あっちの世界へ行ってください!」


 追い詰め、刀を振るったその時だった。確が大声で叫んだ。


「危ない! 伏せろ!」


 声の圧におされ、反射的にその場にしゃがみ込む。同時に何かが鋭く空を切り、頭上を飛んで行く。次の瞬間、派手な音と共に窓ガラスが割れ、破片があられのごとく降り注いだ。


「うわ! な、何!」


 見ると、確は何かを投げ終えたフォームのまま固まっている。


「何すんのさ! 危ないでしょ!」


 首筋にチクリと痛みが走り、声を荒らげてから気が付いた。狐火が消えている。妖気も感じない。


「あれ? 狐さんは?」


 確はぽかんと突っ立ったまま、自分の手のひらを見下ろした。


「確が祓ったのですよ」


 クロウが傍に立ち、確の肩に手を乗せる。


「ほんとに? 本当に俺が、やったのか?」


 じわじわと確の顔に笑みが浮かんだ。


「うっそ。いったい、どうやって?」


 半信半疑で歩み寄ろうとしたら、足の裏に鋭い痛みが走った。


「痛! しまった、裸足だったんだ」


 ガラスの破片を踏み、右足の裏がざっくりと切れて血が滴り落ちる。


「靴、私の靴! どこいった!」


 二階で脱ぎ捨てたことをすっかり忘れていた。


「ごめん……。つい、思わず」


 確が片方の靴を掲げて見せる。


「え?」


 破れた窓から廊下を見ると、もう片方の靴がガラスにまみれて転がっていた。


「狐がお前に飛びかかろうとしてたから、投げた」


 何? 靴を投げて狐を祓ったと? 


「じょー談はよし子さん」


「冗談ではありません。確は靴に気を込めて放ったのです。咄嗟にしては、よい判断でした。万琴、助けて頂いたのですよ。何か言うことがありませんか?」


 癪に障るがクロウに見つめられては、歯向かうこともできない。


「……初めてにしては、まぁまぁやるじゃない」

「万琴」

「……どうも、ありがとう」


 よし子? と首を傾げている確に、渋々頭を下げた。


「足、痛むか?」

「まあね」


 そりゃあ痛い。でも驚きの方が勝っていた。


「ちょっと待ってろ」


 確が掃除用具入れから箒と塵取りを取り、私の周りのガラスを片付ける。


「座れ」


 そう言って椅子を引いて私を座らせると、ポケットからハンカチを出して足の傷口にそっと巻いた。たちまちハンカチに血がにじむ。


「洗って返すから」

「いいよ。やる」


 こうやって人に世話を焼かれるのは、随分久しぶりに思えた。悪くないものだ。

 静かになった音楽室を見渡す。窓から差し込む月明りもさやかに、清浄な空気で満たされている。最後はとんだハプニングだったが、仕事を終えた充実感がこみ上げる。


「おまえ、全部祓い終わったら、京都に帰るのか」

「まだ旧校舎が残ってるけど、そうなる。潜入してみないことには分からないけど、大人しい地縛霊なんかだったら、祓う必要もないし。全部片付いたら二週間ほど様子を見て、何事もなければ任務完了かな」


 仕事が終わったら、ここにはもういられないのだ。満足感もどこへやら、白々とした気分になる。


「案外あっさり終わるかも。ここは気に入ってたから、ちょっと残念だけど」

「湊もいるしな」

「そんなんじゃないし!」

「ま、どうでもいいけど」


 一所に留まれないのは渡りの掟。とはいえ、寂しいものだ。


「俺の家、近くだから。足の手当てをする」


 そう言うと、確はしゃがんだままくるりと背中を向けた。

 んん? 何ごと?


「ほら、早く」


 ぶっきらぼうに言って、そのままの姿勢で待っている。

 まさか……。


「おんぶ?」


 思わず声が裏返る。


「靴も履けないし、その足で歩いたらそこら中血だらけになるだろうが。掃除するの、俺なんだぞ」


「そっか。じゃあ、仕方ない」


 おんぶされてやる。


「うわ、おっも」


 シューズの紐を繋ぎ合わせて片手にぶら下げ、私を背負って立ち上がるとそう漏らした。

 頭に拳骨を食らわせると、それ以上殴られたくないのだろう。確は黙って階段を下りた。僕を得たようで、中々いい気分だった。痩せて見えた確の背中は、思ったより広くて頑丈だった。


 一階にたどり着き、廊下を歩いていた時だ。二人同時に気配を感じて振り返る。


「まだいたのか」


 保健室のドアの向こうを、すっと白い影が横切った。


「変だな、全部祓ったのに」


 私を一旦下ろして、ドアを開けようと鍵を探る。


「いや。今日はこれで引き上げましょう」


 クロウが確の手を止める。


「なんでだよ?」

「あれは、生霊です」

「生霊!」


 確が息をのんだ。


「どうりで、気配が妙だと思った」


 生霊とは厄介なことになった。


「万琴が死霊を祓ったから、逆に出てきやすくなったのでしょう」


「生霊はね、簡単に祓っちゃいけないの。死霊はこの世に繋ぎとめてる拘りを断ち切ってやれば勝手に消えるけど、生霊はじっくりと傾向と対策を練って、きちんと個別指導しないとダメなの。まいった、まいった。これは時間がかかりそうだ」


 確の肩をポンポンと叩く。自動的に中腰になった背中に弾みをつけて飛び乗る。


「生霊ってことは、生徒の誰かってことか? いや教師なのか……」

「ショックを受けてるね。生霊は初めて?」

「うん……」


 私は生霊が苦手だ。あんた、どうして身体から抜け出てほっつき歩いてるの? え? 誰を恨んでるの? 悔しいのかい? そうか。だけど、いけないよ。恨みはね、あんたの身をも亡ぼすんだよ。


 そうやって宥めすかして、時間をかけて説得するのは私の性分じゃない。御鈴と御典の得意とするところだ。二人に馬鹿にされることを承知の上で、いつもなら私には無理と白旗を上げるところだったが。


 なのに、どうしてだろう。


「おまえ、嬉しそうだな」

「え? そう?」


 沸々と笑いがこみ上げる。


「分かりやすいやつ」


 不気味な笑いを漏らす私の身体をゆすり上げ、確は小走りにその場を後にした。

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