第4話 青春よ、こんにちは

 旧校舎は学校設立以前、製糸工場だった。

 明治時代、御多分にもれず、この村の農家も農閑期の副業として養蚕を営んでいた。明治二十三年、村の篤志家によって製糸工場が設立される。しかし明治四十年代になると、外国産の安い絹糸におされて価格が下落。工場は閉鎖の憂き目にあう。その建物を整備して、昭和四十五年まで校舎として使用していた。

 

 司書の響子によると、何度か取り壊しの話も出たが、貴重な文化遺産として残すべきという声もあり、今までそのままにされていたという。だが、さすがに地震が来ると倒壊の危険性が高いということで、今回取り壊しが決定された。


 響子は取り壊しには反対のようだった。ボロ雑巾のような郷土資料だって丁寧に修理して保存することを使命としているのだから、当然の心理だろう。


 朱緒から聞いた話し以外にも、旧校舎の怪談には幾つかのパターンがあった。製糸工場時代の女工で、仕事中の事故で死んだとか、病弱な体に過酷な労働を強いられたせいで死んだとかいうものだ。いずれも辺りが暗くなってから、二階の窓辺に立っている姿を見たものがいるという点で共通していた。


 神主の言っていた通り、さして害はないのかもしれない。長年の住処として、ひっそり潜んでいるだけかもしれない。だいだい人にくっ付いたりして移動する浮遊霊よりも、じっと一カ所に留まっている地縛霊の方が大人しいのが多い。だが取り壊しとなると肝心の住処が奪われることになる。エネルギーが尽きて勝手に消える前に、思わぬ反発をくらう可能性だってあった。


 響子と話していたら、うっかりスクールバスの時間を忘れていた。

困ったことになったと途方に暮れる。歩いて帰るわけにはいかない。何しろ道さえまだよく分からない。神主に電話して迎えに来てもらうしかないか。そう思ってスマホを取り出した時だ。


「おーい、白川!」


 まるで旧知の仲のように、気安く呼びかけてきたのは湊だ。


「バス、乗り遅れたのか?」


 にこにこ顔のお婆さんと一緒に、自転車を押して駆け寄ってくる。


「気付いたらバスが出た後だったの。矢嶋君は、今部活帰り?」


 湊とは席が隣同士ということもあって、よく話しをする間柄になっていた。

私はクララだから、小首を傾げてほほ笑む。良家の子女という設定も、少しは板についてきた。


「よかったら、送ろうか」


 へ? どういうこと? 一瞬わけが分からずぽかんとする。


「叔父さんに迎えに来てもらうつもりだから、大丈夫だよ」


「遠慮すんなって」


 そう言って、屈託のない笑顔を向けてくる。


「遠慮はしてないけど……」


 眉目秀麗の化身、クロウを見慣れている私にとって、同級生の男どもなど薄汚れた芋にしか見えない。

 しかし、何だろう。この邪気のない笑顔は。いつの間にか肩を並べて歩いている。


「でもバスで二十分もかかるのに。遠いし悪いよ」


「スクールバスは大回りするからだよ。自転車なら十五分くらいだ」


 じ、自転車? そう叫びそうになった。


「おーい湊、お疲れ!」

「よう湊、お疲れー」


 サッカー部の一団が、意味深な笑みを浮かべ湊の肩を叩いてゆく。


「お疲れ! 明日な!」


 気持ちよく挨拶を交わす湊を見て、クロウが感心したように「ほう」と呟く。


「人柄のよさそうな青年ですね。守護霊のお婆様以外にも、ご先祖が大勢見守ってらっしゃいます」


「んなこと、分かってる」


 一体、どうしたというのだ。運動もしていないのに、心拍数が上がっている。


「しかし豪胆なことです。万琴を誘うとは」

「さ、誘う? 何変なこと!」

「静かに。声が高いですよ」


 文句を言い返したかったが、慌てて口を閉じる。独り言の多い変な奴だという印象は、まだ持たれたくない。


「ほら、乗れよ」


 自転車に跨ると、爽やかな笑顔で私が後ろの荷台に座るのを待っている。

 自転車二人乗り。いきなりその言葉が脳天に突き刺さる。


「で、でも……」


 それは青春真っただ中のカップルだけに許された特権ではなかったか? 若いもんはええのー、と周りからも暖かく見守られるやつじゃなかったか? めまいを覚えながら、辛うじて笑みを保つ。


「やっぱり悪いよ」


 朱緒の顔が脳裏をよぎった。


「私、重いし」


 肩をすくめ、両手をめいっぱい振った。


「そんなことないって。ほら、鞄貸せよ」


 有無を言わさず鞄を取り上げ、早く乗れよ、というように荷台をぽんと叩く。

 大切な勉強道具を人質に取られると、もう荷台に座るしかなかった。


 しかしそこでまた新たな問題が浮上する。普通なら足を広げてまたがるところだ。それは双方にとって安定する、ウインウインな乗り方。ところが私は良家の子女、クララ。たとえハイジと一緒に野山を駆け回れるようになったとしても、クララなら、自転車の荷台には足をそろえて横向きに座るのでは? 足を広げることなど、決してできぬのでは?


 どうしたら? 救いを求めて湊を見たが、何も答えは返ってこない。ただ日焼けした顔に瞳を輝かせて笑うばかりだ。ええい、ままよ。

 私はスカートが捲れないよう尻の下に敷きこんで、よいしょと荷台にまたがった。


「しっかり捕まれよ」


 私の両手をつかみ、当然のように自分の腹の前まで持ってゆく。締まった腹筋に触れて、ひっこめそうになった手を捕まえて、軽やかに腹の上に置いた。


「しゅっぱーつ」


 電車ごっこみたいな掛け声をかけ、漕ぎ出した。川沿いに大きくカーブした道を、脚力に任せ、どんどん加速してゆく。下校途中の生徒が興味津々に振り返るのも、最初は恥ずかしかったが、段々どうでもよくなっていく。湊のシャツが風をはらんでなびく。川面のきらめきが同じ速さでついてくる。アスファルトの凸凹を通るたびお尻が浮き上がり、おかしくて笑い声をあげる。湊も喉を反らして笑い、振り返って言った。


「なんか、俺たち青春だよな!」


 もはや疑いようもない。これは、まごうことなき青春ではないか。


 思えば渡りの巫女となってはや五年。日夜巫道に邁進し、悪霊たちとの飽くなき戦いに身を投じてきた。

 オシャレやスイーツなどには目もくれず、ひたすら心技体を磨き、より強くなることだけを己に課してきた。青春なんてこっぱずかしいものは、横目に迂回して通るのが最善だと信じてきた。


 しかし今、この瞬間。この胸の高鳴り。眩いまでのこのすがすがしさ、これぞ、青春! 青春真っただ中! お母さん、産んでくれてありがとう!


 だが待て、私。浮かれすぎるな。大阪の高校での苦い思い出が蘇る。


 分かっている。私はまあまあ顔がいいので、最初はもてる。だが、まじめに仕事に打ち込めば打ち込むほど、皆潮のように引いてゆくのだ。


あいつ、なんか変じゃね? 

独り言がおおいよね。

目つきも悪くね?

なんかぁ、あの子お、怖いんですけどお?


 バッキャロー! お前たちが無節操に心霊スポットだの幽霊屋敷だのに出かけてって、ホイホイ浮遊霊を引っ付けてくるから、祓っても祓っても浄化できないんだろうがー! 人の仕事邪魔しといて、何が、あいつヤバくね? だ! くそったれがー! しまいにはやけくそになって、九字切りしながら廊下を歩いてやった。


「どうした? 怖いか? スピード出しすぎたかな」


 しまった、怒りのあまり手に力が入っていたようだ。


「ううん、大丈夫。風がすっごく気持ちいい」


「そっか。よかった」


 振り向いて笑う湊に、笑顔を返す。

過去にとらわれるな。クロウなら、きっとそう言ってくれる。


「なあ、ちょっと時間いいか? 俺のとっておきの場所が近くにあるんだ。紹介するよ」


「わあ、楽しみ!」


 さっきから、普通なら恥ずかしくて言えないようなことを平気で口走っている。不思議だ。湊にだったら、素直に感情を渡せる。


「久しぶりに来たけど、全然変わってないな」


 道路脇に自転車を止め、轍の付いた小道を下ると、澄んだせせらぎに出会った。青モミジが枝を広げ、河原の白い石に柔らかな影を落としている。川の水はどこまでも透明で、水面だと思ったはるか上を落ち葉が流れてゆく。


「きれい! 空が映ってサイダーの瓶みたいな色!」

「サイダーの瓶ね。確かに」


 私に笑いかけると、湊は両手で水をすくいジャブジャブ顔を洗った。犬のように首を振り水滴を弾き飛ばす。


「うー、気持ちいい!」


 かがんで小石を拾うと、流れるような仕草で川面に向かって投げる。それは小気味よく水を切りながら、川を渡っていく。

 私は靴を脱ぎ捨てると、水辺に駆け寄った。


「冷たい!」


 ぐらつく川底の石を慎重に踏んで、膝下まで流れに浸る。そのまま抜けるような空を見上げると、全身が青に染まってゆく気がした。

 気分よく放心していたら、いつの間にか湊が隣に立っていた。平らな岩を探して、並んで腰かける。足元は流れが堰き止められ、ささやかなプールになっていて、よく見ると一センチにも満たない小魚や、オタマジャクシ、アメンボなどが賑やかに泳ぎ回っていた。


「子供のころ、毎日のようにここで遊んだ」


 湊は岩の上に寝そべるように片肘をつくと、目を細めて辺りを見回した。


「近所には友達がいなくて。あ、朱緒がいたけど、あいつ身体が弱いから。とても一緒に遊ぶ相手ではなかったし。いつもここに来ると、同じくらいの年の子がいてさ、一緒に遊んだんだ」


 滑らかな水面に反射した光の網目が、湊の表面で儚げに揺れている。


「魚を追いかけたり、どっちが高く石を積めるか競争したり。遊ぶのに夢中になって、気が付くともう夕方で。よく帰りが遅いって怒られたっけ」


 私は黙ったまま、湊の話に耳を傾ける。


「でも不思議なんだ。あんなに仲がよかったのに。毎日のように会って遊んだのに、いつのまにか見かけなくなって。今となっては名前も出てこない。何度考えても、思い出せない」


 寂しそうに笑う。


「しまいには、顔も忘れてしまった。俺って、薄情だよな」


「私にも、子供のころそんな友達がいた。顔も名前も忘れてしまったけど、懐かしさだけが胸に残っているような」


「え、白川も?」


 そっか、と呟き水面の反射に目を細める。


「よーし、競争よ! どっちが高く石を積めるのか!」


 私は弾みをつけて立ち上がると、スカートの裾が濡れるのにも構わず岸辺に向かった。


「遊ぼうよ、一緒に! 楽しいよ!」


 それまで膝を抱え、河原に蹲っていた男の子が、笑顔になるのが分かった。立ち上がってお尻をはたき、駆け寄ってくる。


「ほら、矢嶋君も一緒に! ぐずぐずしてると、私が勝っちゃうよ」


「なんだよ、急に。おかしなやつ」


 まずい、クララ設定をすっかり忘れていた。

 ばれたか、と一瞬身構えたが、湊の目は笑っている。こんなに優しい目をして笑う男の子は、初めてだ。ご先祖様が寄ってたかって湊を愛しているのも頷ける。


「白川ってさ」


 湊は石の重心を探しながら慎重に積み上げてゆく。


「なに?」


 視線を合わせると、急に真面目な顔になった。


「いや、何でもない。気にするな」


 塔のてっぺんに、石を置く。途端に保たれていたバランスが崩れ、塔が倒れた。


「ほら! 崩れただろー」


 ふくれっ面になる。


「えー、私のせいなの?」


 一瞬できた真空みたいな時が、跡形もなく消え去った。ほっとしたのか、残念なのか、自分でもよく分からなかった。


「遅くなったら神主さんが心配するな。そろそろ帰ろう」


「うん。そうだね」


 小鳥たちが高く澄んだ声で呼び交わしながら、巣に戻ってゆく。いつの間にか、あたりは薄紫の夕暮れに包まれていた。


「ごめん、ちょっと忘れ物したみたい」


 自転車を止めた場所まで戻ってから、湊に声をかけた。


「忘れ物?」


「すぐ戻るから、ここで待ってて」


 しゃがみ込み、石ころで書いた四角の中に湊を閉じ込めた。


「ごめんね。すぐ戻るから」


 踵を返し、坂を駆け下りた。

 河原にはまださっきの男の子がいた。灰色のシルエットは、片方だけ靴を履いていない。


「長い間、一人で寂しかったね」


 話しかけると、こくりと頷いた。


「怖がらないで。君をここに繋ぎとめる因縁の鎖を斬るだけ」


 こんな時は、自分の得物が恨めしくなる。


「ご先祖様が迎えに来てくれるから。皆待ってるから。光の方へ行くんだよ」


 目を閉じ、摩利支天の真言を唱える。


「オンマリシエイソワカ」


 左手が熱を帯びる。そこから蒼白い光が伸びて刀身となった。


「慈悲の心を持って臨むと誓います」


 柄を握ると、できるだけ、そっと刃をふるった。

 その子はまるでお辞儀をするように私の目の前をふわふわ飛び、光る幾千もの粒子になって消えた。


「あの子が、万琴を呼んだのですよ」


 今まで気を使ってか、姿を消していたクロウが隣に立って言った。


「そっか。嬉しいな」


 いやあ、照れる。顔がにやけてしまう。久しぶりにいい仕事をした。


「大変! 早く湊の術を解かないと」


 慌てて駆け出した時、茂みの奥で小枝の折れる音がした。獣でも潜んでいるのだろうか。何にせよ、かまっている暇はない。早く戻って湊にかけた術を解かないと。気が付いたら急に暗くなってた、なんてことがあると洒落にならない。


「ごめん! お待たせ!」


 湊の肩に触る。一瞬きょとんと瞬きして、すぐ笑顔になる。


「あったか、忘れ物」

「うん。ごめんね」


 友達に術を掛けるときはいつも良心が痛む。


 神社への道は傾斜のきつい上り坂になる。そこを、湊は立ちこぎで、筋力の限界まで私を後ろに乗せて漕いだ。


「ごめんな、こんな坂、歩かせて」


 汗びっしょりで、荒い息をつきながら私に謝る。


「なんであやまるの」

「だって、体に良くないだろ。喘息、悪くならないか?」


 私は大きく息をのんだ。乾いた心に沁みとおる慈愛に満ちた言葉。しかし同時に、良心がきりきりと痛む。


「大丈夫。こっちに来てから、すごく調子がいいから」

「そっか、よかった」


 玉の汗が顎を伝って零れ落ちる。


「だけど、よくなったら、京都に帰っちゃうんだろ。それも寂しいな」

「大丈夫! そんなに簡単によくならないから」


 顔を見合わせて笑う。


「あのさ、日曜日、大切な試合があるんだ。朝早いんだけど、よかったら見に来ないか?」

「え、日曜?」


 日曜日か……。頭を忙しく働かせる。明日、土曜の深夜は初のがさ入れを決行する予定だ。先ずは新校舎の方から。あれだけの数を一人でやっつけるとなると、下手をすると明け方になる。だが、寝なければいいのだ。シャワーだけ浴びに帰って、服を着替えてすぐ出れば、あるいは。


「予定あった?」

「ううん、大丈夫。いくよ」


 行きますとも。しっかりと頷く。

 朱色の鳥居が見えると、心底がっかりした。


「じゃあ、日曜」

「頑張ってね。楽しみにしてる」

「おう」


 自転車にまたがった湊にもう一度手を振り、階段を上った。


「万琴!」


 足をペダルに乗せて、湊は私を見上げた。


「万琴って呼んでもいいか?」


 私は黙って頷いた。それが精いっぱいだった。湊の背中が見えなくなって、木々の影が夕闇に紛れるまで、一人で突っ立っていた。

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