第3話 旧校舎の幽霊
「旧校舎には、女の霊がいるの。なんでも昔、学校の小間使いをしていた人で、裏の林の中にある小屋に住んでて、孤独死したらしいよ」
放課後の教室には、部活に入っていない生徒が数人たむろしている。バスの時間まで暇をつぶしているのだ。
梁瀬高校には、遠方から通う生徒の送迎をするための、スクールバスがある。最寄り駅まで車でたっぷり一時間はかかる、どがつく田舎だ。高校のない隣村から通う生徒も大勢いるから、PTAの保護者たちがお金を出し合って運営しているのだそうだ。
かくいう私もバスのお世話になっている。部活が終わる時間までバスは出発しないから、二時間ほど時間が空く。放課後の自習時間というていになっているが、受験本番までまだ間があるせいか、ほとんどの生徒が無駄話に興じていた。
チョコレートの箱を見せ、一緒に食べよ? と教室に残っていた朱緒に声をかけた。保健室に付き添ったおかげで、早速下の名前で呼び合う仲になっていた。私の隣、矢嶋湊の席に座ると、菓子をつまんで他愛無いおしゃべりを始めた。あの古い校舎ってさ、お化けが出そうだねと誘い水を向けると、朱緒は声色まで変え、嬉々として話し出した。
「見つかったときには死後だいぶ経っていて、蛆が沸いて骨が見えてたらしいよぉ」
自分で自分の両腕を抱きすくめ、身震いしてみせる。優等生の真面目タイプかと思いきや、お茶目な一面もあるようだ。
「今でも旧校舎を彷徨っていて、姿を見た人が何人もいるんだよぉ」
「やだ、怖―い」
鼻にかかった声で言い、自分でも背筋が寒くなったが、私はクララなのだから仕方がない。クロウが隣で堪えきれずにふきだす。
「本当のこと言うと、私、霊感が強くて、この学校嫌な感じなんだよね」
朱緒が声を落として、秘密を打ち明けるように言った。
「えー、そうなんだ。霊とか見えるの?」
同情と尊敬の入り混じった表情を作る。
「うん。この教室にも、いるよ」
朱緒は顔を上げて、教室の四隅を見回す。
「あそこ、黒い影がぼーっと見える」
指さす方には何もいない。授業の合間を縫って、クラスにいたウゴウゴは始末しておいたので、今教室には何もいない。
だが、朱緒が丸きり嘘を言っていると決めつけるのは早い。そもそも霊力は誰にでも備わっていて、特に女子は思春期を迎えるのを機に、それが強まり発露するものも少なくない。朱緒も霊の存在に薄々感づいているのかもしれない。
「怖い話をすると霊が寄って来るって言うし、もうこの話はお終いね」
分かったと、真剣な顔で頷いてみせる。
「ねえ、朱緒って珍しい名前だよね。どういう意味があるの?」
机に身を乗り出す。聞くところによると朱緒の家は明治時代から続く老舗旅館らしく、何とかいう有名な文豪が滞在したこともあるそうな。美人で勉強ができてお嬢様。かつ男子にとって高嶺の花とくれば、女子から浮くのは必然ともいえる。今まで浮きまくってきた私が言うのだから間違いない。
そこへ転校早々、なんかあの二人キャラが被ってない? とクラスで囁かれているのを聞いてしまった。偶然とはいえ、思いっきりキャラを被せてしまった罪悪感もある。私はここにいる間、彼女に親切にしようと決めていた。
「名前のこと聞かれると、恥ずかしいんだよね」
「えー、教えてー。気になるー。おねがーい」
むず痒さに耐え切れず、スカートの上から太ももをつねる。
「でも絶対笑うもん」
「笑わない。約束する」
「本当?」
うんうんと首を上下に振る。
「しょうがないなあ」
朱緒は可愛らしく肩をすくめた。
「朱緒は、赤い糸っていう意味なの」
「赤い糸って、もしかして、運命の赤い糸ってやつ?」
「ほら、もう笑ってる!」
唇を尖らせ怒った振りをする。
「笑ってない! これは、ほら、可愛いなーって、顔がにやけただけ」
「ほんと恥ずかしい名前だよね。私も万琴みたいにカッコいい名前がよかったな」
笑ってしまったのを後悔した。
「そんなことない、素敵な名前だよ。運命の人としっかり繋がっていますようにって、ご両親の願いがこもってるんだね。大切にしなくちゃ。名前はこの世でたった一つの持ち物だって、京都の偉いお坊さんが言ってたよ」
クロウがふっと吐息のように笑う。
「自分の体や命だって、病気になったり老化したり、いつか死んでしまったりするのを、どうすることもできないじゃない? 家族や友達もそう。自分のものだと思っていても、思う通りにはならないし、変わらないものはない。生まれてから死ぬまでずっと変わらず持っていられるのは、親にもらった名前だけなんだって」
フーンと言って、朱緒は何度も頷いた。
「なんだか、ジーンときちゃった。ありがとう。自分の名前、大切にするね」
サンキュー、クロウ! と心の中で叫ぶ。
「おい、俺の席で何やってんだ」
突然、頭上から大きな声が降ってきた。いつの間にか、サッカーのユニフォーム姿の湊が、朱緒のすぐ後ろに立っていた。振り向いた朱緒が、弾かれたように椅子から飛び上がる。
「お、アーモンドチョコ! うまそー、一つくれ」
湊は返事も待たずに手を伸ばす。さっぱりした短髪が汗に濡れ、艶やかに光っている。
「何よ、突然びっくりするでしょ。それにこれ、万琴のチョコだから」
「わりいわりい」
机の中をひっかきまわしてプリントを取り出すと、もう一つチョコをつまんで口に入れた。
「ごちそうさまー」
白い歯を覗かせ、私に手を振る。青のユニフォームがよく似合っていた。
「湊、部活でしょ。大会も近いし。こんなところで油売ってる場合?」
「ちょっと忘れ物取りに来ただけだよ。うるさいな」
首にかけたタオルでごしごし額の汗を拭う。
「この人、こんな顔して怖いんだよ。気を付けな」
朱緒を指さし、真顔を作って私に言う。
「うるさい! 早く行きなさい!」
「分かったよ。お邪魔しましたあ」
おどけた顔でもう一度手を振って、嵐のように去って行く。
「まったく。あれでよくキャプテンが務まるよね」
朱緒はため息をつきながら、その後ろ姿を見送る。
「仲がいいんだね」
「そんなことないって。ただの幼馴染」
そう言ってこちらを向いた顔には、まだ幸せそうな笑みが残っていた。
最初の一週間で、ざっと新校舎の下調べを終えた。山で行き倒れたものや落ち武者などの年代物の浮遊霊に加え、狐霊や狸霊などの動物霊が入り込んでいるのが今回の特徴だ。
それほど深刻ではないが、狐霊はしつこい。うちは伏見稲荷と縁があるので、そこに送ってやらなくもないが、稲荷での修業が嫌で古巣に戻ってきてしまうやつもいるから面倒だ。十把一絡げにとっ捕まえて、まとめて祓うことにする。
金曜日の放課後、また旧校舎の資料を調べようと図書館に向かった。この前はじっくり読んでいる時間が無かったのだ。
廊下を歩いていると、向こうから酔っ払いのように蛇行しながらやってくるウゴウゴがいる。朝から晩まで学校中を徘徊しているやつだ。誰かに気付いてもらいたいのだろう。今も前を歩く男子生徒の方へふらふらと近寄っていく。手を伸ばし、顔面を撫でようとした時だった。
男子生徒は急に立ち止まると、くるりと踵を返した。同じクラスの瓶底眼鏡男だった。名前は小野寺確。まだ一度も話したことはないが、たしか、なんて変わった名前なのですぐに覚えた。口数は少ないが、勉強はできるらしい。おかげでダサい眼鏡もバカにされずにすんでいるようだ。
今、もしかして、避けた?
私とすれ違っても、確は見事なまでの無表情だった。
一方、肩透かしを食らったウゴウゴは、狙いを私に変えたようだ。明日の晩成敗してやるから首洗って待ってな、と心で呟き、伸びてきた霊気をかわす。
振り返ってみたが、確の姿はもうなかった。きっと忘れ物でも思い出して、取りに戻ったのだろう。面倒なので、そう思うことにした。
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