七章:侯爵令嬢は決着をつける⑤


「お姉様さえいなくなれば」


 その目に宿るのは狂気だ。リディアーヌはエレオノールさえいなくなれば、アルベールを自分のものにできると信じている。でも、それは間違いだ。


 アルベールはエレオノールのものだ。心も、身体も、命も、全て永遠にエレオノールのものになることを約束してくれた。だから、例えエレオノールが死んだって、リディアーヌにはアルベールを奪うことは出来ない。


 エレオノールは目を閉じる。


 このまま、リディアーヌの手にかかるのは簡単だ。


 正直なところ、アルベールがしたことを考えれば、その責任としてエレオノールが命を落としたとしてもやむを得ないと思っている。どうにかして生き延びたいという感情は、リディアーヌの涙を見て消え去った。


 だが、それでリディアーヌは幸せになれるのだろうか。


 エレオノールを殺しても、リディアーヌが欲しかったものは手に入らない。きっと、アルベールはリディアーヌを許さないだろう。殺人をした異母妹に明るい未来は決して訪れない。エレオノールがとるべき行動はこのまま死を待つことではない。


 ――覚悟を決めた。


 目を開け、真っすぐに異母妹を見上げる。異母姉の表情から怯えが消えたことに、リディアーヌは一度瞬きをした。


「私も」


 一度呼吸をする。


「私も、貴方さえいなければと思いました」


 その言葉に、リディアーヌは息を呑んだ。エレオノールは言葉を続ける。


「ジスラン様との婚約が破談になって、代わりに貴方が皇太子妃になると知って――私も貴方さえいなければと思いました」


 今のリディアーヌはあのときのエレオノールと同じだ。

 最愛の人を姉妹に奪われた。だから、今のリディアーヌの激情をエレオノールは理解できる。


「わ、私はジスランを奪うつもりはなかったわ。ただ、ちょっとだけお姉様を困らせようとして――」


「奪うつもりがなければ、許されると思っていますの? それだけでなく、貴方は私が大事にしていた絵本を粗末に扱いましたわ。貴方の部屋でボロボロの絵本を見つけた私がどう思ったか考えたことがありますか? 私は心から貴方を憎いと思いました。あんなに大好きだったリディのことが大嫌いになりました」


 それまでエレオノールは無条件の愛情をリディアーヌに抱いていた。しかし、あのとき、あの瞬間から確かにエレオノールはリディアーヌに憎悪の感情を持つようになった。


 リディアーヌは「愛していると言って」と言った。だが、もうその言葉を伝えることは出来ない。だってエレオノールはあのときからリディアーヌを愛せなくなった。


 愛する婚約者を奪い、大切な宝物を壊したリディアーヌを許せなくなった。表面的にはもう怒っていないと言っておきながら、エレオノールはずっとリディアーヌを許していなかったのだ。


「貴方が今、私にされたことを、貴方は昔私にしたんですのよ」


 リディアーヌの顔が絶望に染まる。


 エレオノールはゆっくりと立ち上がった。異母妹に近づいていく。しかし、それを止めたのは侍女だ。彼女は後ろからエレオノールに飛びつき、羽交い絞めにする。


 それでもエレオノールは言葉を止めない。


「どんな理由であれ、人の気持ちを蔑ろにして許されません。そうではありませんか? だから、貴方も今、怒っているのでしょう」


 異母妹は歯を食いしばる。キッとこちらを睨みつける。


「――復讐のつもり!? 私がジスランを奪ったから、絵本をボロボロにしたから、代わりにアルベールを奪おうと思ったの!?」


「いいえ、そうではありません。私は本当にアルベール様を愛しています。あの方は、私がずっと欲しかったものを私にくださいました。だから、私もあの方を永遠に愛すると決めました。復讐なんて何も生みませんもの」


 おそらく、復讐をすれば一時の満足感を得ることは出来るだろう。だが、決して奪われた悲しみや苦しみが癒えることはない。全てをなかったことには出来ないのだ。だから、そのことをエレオノールはリディアーヌに突きつける。


「私を殺しても、アルベール様の心を取り戻すことは不可能です。こぼれたミルクのことを嘆いても意味はないんですのよ。私を殺しても、貴方は決して幸せになれない」


 それでも、と言葉を続けた。


「それでも、覚悟があるなら私をそのナイフで刺しなさい。貴方には復讐する権利があるのですから」


 エレオノールは殺される前に一度考えてほしかったのだ。一時の感情ではなく、考えたうえでエレオノールを殺すべきか考えてほしかった。復讐に意味はない。そう思うのはエレオノールの考えだ。リディアーヌの考えは違うかもしれない。だから、考えたうえで、リディアーヌはやはりエレオノールを殺すという選択をするのであれば、エレオノールはそれを受け入れるつもりだった。


(ごめんなさい、アルベール様。約束を破ってしまうかもしれません)


 エレオノールはアルベールの全てを貰う代わりに、自分の全てをアルベールにあげると約束した。そこには当然命も含まれるだろう。今、エレオノールがここでリディアーヌに殺されてもいいと思うのは約束に反することだ。


 それでも、エレオノールはここで逃げ出したくなかった。


(それでも、私は永遠にアルベール様のものです。貴方への想いは決して変わりませんから)


 リディアーヌは動かない。彼女の目には迷いがある。エレオノールを殺すかどうか、覚悟を決められていないのだ。


「リディアーヌ様」


 声を上げたのは侍女だ。エレオノールを左手で拘束したまま、彼女は反対の手を伸ばす。


「リディアーヌ様に無理なら、私が」


 そう言って、彼女はリディアーヌにナイフを寄こすように言う。しかし、リディアーヌはナイフを大事そうに抱えたまま、侍女に渡そうとしない。侍女がもう一度リディアーヌの名を呼んだときだ。――けたたましい音と共に窓ガラスが割れた。


 三人の視線がそちらに向く。


 何事かと考える間もなく、――今度は廊下に繋がる扉が勢いよく開いた。


「エレオノール様を離せ!」


 飛び込んできた女性が侍女に襲いかかる。侍女と一緒にエレオノールも床に倒れてしまうが、すぐに助け起こされた。アルベールだ。


「怪我はないね」


「ア、アルベール様」


 続いて廊下から飛び込んできた護衛たちがリディアーヌを拘束した。二人の屈強な男に囲まれ、リディアーヌはなすすべもない。侍女もエレオノールのすぐ傍の床で取り押さえられている。取り押さえているのはルシールだ。

 侍女は怒鳴る。


「ルシール! 離しなさい!」


「はっ! 私がお前の言うこと聞くと思うなよ! お屋敷でどんだけお前に対して鬱憤が溜まってたと思うんだ! リディアーヌ様のお気に入りだからってデカいツラしやがって! いい加減年貢の納め時だ!」


 助けられたことは分かったが、何故ルシールがここにいるのだろう。彼女はラルカンジュ公爵邸にいたはずだ。しかも、素の口調が思った以上に荒いことにも驚く。まるで男性のような話し方だ。


 最後に部屋に入ってきたのはロッシュ準男爵だ。彼は誰も怪我人がいないことに安堵したように息を吐くと、リディアーヌに近づいた。彼女はロッシュ準男爵を睨みつける。


「どうやって扉を開けたの。鍵は私が持っていたのに!」


「そこの女の人が鍵を開けてくれたんだよ。そういうのが得意らしいんだ」


 エレオノールはもう一度ルシールを見る。ごく普通の女性だと思っていたが、彼女は一体何者なのだろうか。そんな疑問が頭をよぎる。


「もう気がすんだ?」


 ロッシュ準男爵の問いに、彼女は答えなかった。

 彼は溜息を吐き、それから――。


「気がすまないのはこちらのほうだ」


 ロッシュ準男爵が口を開く前に、エレオノールのすぐ隣から低い声が響いた。

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