七章:侯爵令嬢は決着をつける④
リディアーヌの嗚咽が落ち着いた頃、ずっと動かなかったロッシュ準男爵がリディアーヌに近づいてきた。彼は心配そうな――だが、憐れみも含んだ視線を異母妹に向ける。
「分かっただろ。やっぱり、あの人と結婚するなんて無理だったんだよ。――もう、家に帰りなよ。きっと、ご両親も心配しているよ」
リディアーヌは顔をあげ、ロッシュ準男爵を睨みつけた。しかし、先ほどまで泣いていた異母妹の喉からは意味を成す言葉は出てこない。
ロッシュ準男爵はアルベールとエレオノールに向き直った。
「大変申し訳ないんですが、リディアーヌを連れて帰ってはもらえませんか」
彼は本当に申し訳なさそうに言う。
アルベールは冷たい視線を彼に向ける。
「君が連れて帰ってあげればいいんじゃないか」
「そうしてあげたいのは山々なんですが、ウチには馬車がないんです。馬車を借りるような余裕資金もなくて……どうか、お願いします」
エレオノールはコルネイユ侯爵家を出た後、ロッシュ準男爵家について調べた。
ロッシュ準男爵はもともと、狭いながら領地を持つ領主の一族だった。しかし、先代のロッシュ準男爵は多くの借金を作った。彼の亡き後、後を継いだ息子はその借金返済に追われているらしい。
「連れて帰りましょう、アルベール様。二人を乗せる余裕はありますわ」
二人が乗って来た馬車は四人掛けだ。
護衛たちは馬に乗って来た。リディアーヌと侍女を乗せる余裕はある。
「先に護衛たちに知らせてくる。待っていてくれ」
そう言って、アルベールはエレオノールを連れて一度屋敷を出た。
扉を閉めると、アルベールがこちらを向いた。アルベールは眉をひそめた。
「彼女たちを一緒に連れて帰るのは危険すぎる。反対だ」
エレオノールは瞬きをする。アルベールは焦れたように早口で話す。
「馬車は四人掛け。護衛も一緒にいない。二人が暴れた場合、エリーを守りきれない可能性がある。特に侍女の方は君にかなり敵意を抱いている。何かしてきてもおかしくない」
「でも、リディを放ってはおけませんわ」
ロッシュ準男爵の言うように、リディアーヌはコルネイユ侯爵家に連れ帰るべきだ。
「それは別に今日じゃなくてもいいだろう。明日、改めて馬車を送ればいい。なんだったら、私が貸し馬車の賃料を出してもいい。とにかく、エリーとあの二人を同じ馬車に乗せることには反対だ」
「リディだけならいかがですか」
アルベールの主張はもっともだ。
しかし、リディアーヌ一人を馬車に乗せるのなら平気ではないだろうか。
「護衛たちの馬がいるでしょう。侍女は馬に相乗りさせるというのは駄目でしょうか」
これなら、アルベールの『エレオノールと二人を同じ馬車に乗せたくない』という主張と、エレオノールの『リディアーヌを連れて帰りたい』という要望の両方を叶えることが出来る。
エレオノールはアルベールの腕をギュっと掴む。
ロッシュ準男爵の別邸があるのは人里から離れた場所だ。今夜一晩、リディアーヌたちをここに置いていって、なにかあったらエレオノールは悔やんでも悔やみきれない。
「お願いします」
じっとアルベールを見上げる。彼は眉間に皺を寄せていたが、諦めたように「分かった」と言った。
「エリーの意見を採用しよう」
こうして、エレオノールたちはリディアーヌたちを王都へ連れて帰ることになった。
アルベールがガエルと護衛に指示を出し、話がまとまったところで二人は屋敷内に戻る。
先ほどまで床に座り込んでいたリディアーヌはソファに座っていた。その目元は真っ赤に染まっていた。
「出発の準備が出来ましたわ。リディ、行きましょう」
侍女に支えられてリディアーヌが立ち上がる。
一番最初にロッシュ準男爵が部屋を出る。アルベールとエレオノールがそこに続く。
アルベールはまだ警戒した様子だ。
彼の視線がリディアーヌからロッシュ準男爵に移る。――その一瞬だった。
エレオノールは突然後ろから引っ張られた。不意を突かれ、エレオノールはおろか、アルベールもすぐに反応が出来なかった。
二人のつないだ手が離れる。
「動かないで」
エレオノールは倒れずにすんだ。その理由は後ろにいたリディアーヌに支えられたからだ。
――だが、異母妹がエレオノールの体を背中から抱きしめたのは、異母姉を助けるためじゃない。
「動いたら、お姉様を殺すわ」
エレオノールからは後ろにいるリディアーヌの姿も表情は見えない。
しかし、聞こえる声音は緊迫したものだ。
そして、首元に何か冷たいものが触れている。目の前にいるアルベールは殺意のこもった目を後ろにいるリディアーヌに向けている。ロッシュ準男爵も焦ったような表情だ。二人とも動かない。いや、動けない。背筋が凍るのを感じる。
周囲の反応を見てようやく理解した。
今、エレオノールはリディアーヌにナイフか何かを首元に突きつけられている。
「エリーを離せ」
アルベールの声音は今まで聞いた中で一番低かった。
自身に向けられているわけではない、と分かっていても真正面から今にも殺されかねない激しい憎悪のこもった目線を向けられるのは怖ろしい。
一歩、二歩とリディアーヌが後ろに下がる。捕まっているエレオノールも一緒に後退せざるを得ない。廊下から部屋に引き戻されてしまう。
「マチルド」
侍女が駆け足で扉に近づく。そして、扉を閉めると、内鍵を閉めてしまった。
最後に見えたのは驚愕に目を見開くアルベールだ。鍵が閉まった直後、乱暴に扉が何度も何度も叩かれる。向こうからアルベールがエレオノールを呼ぶ声が聞こえた。これ以上なく焦った声だ。
――どうしましょう。
部屋にいるのはリディアーヌとエレオノール、そして侍女の三人だ。エレオノールの味方となる人間はいない。
リディアーヌの部屋のクローゼットに閉じ込められたときと状況は似ている。しかし、今はそれ以上に危険な状態だ。リディアーヌは刃物を持っている。ハサミとは訳が違う。本当にこのまま殺されてしまってもおかしくない。
心臓がドクドクと鳴っている。手足の感覚が薄い。全身が危険な状況だと信号を発している。
そのとき、リディアーヌが体を離した。
しかし、助かったと考える暇もない。そのまま、リディアーヌはエレオノールを突き飛ばし、床に転ばせた。
「全部、全部、お姉様のせいなんだから」
エレオノールは鈍い痛みを堪えながら、ゆっくりと体を起こす。
両手にナイフを握り、こちらを見下ろす異母妹の目には涙が浮かんでいた。
先ほど、エレオノールは彼女に『自分を怨め』と言った。『こうなったのは自分に原因がある』とも。
だから、きっと、リディアーヌの行動はおかしくない。自身を不幸に追いやった原因に復讐しようと思うのは当然の感情だろう。
「アルベールは私のこと愛していたのに」
彼女は今も信じている。
異母姉に愛する人を奪われたと。かつて、アルベールは自分を愛していてくれたのだと。
「なんでお姉様なの。私だってこんなにアルベールのことを愛しているのに」
リディアーヌが王宮から戻って来た日、彼女はジスランを悪罵した。
その後、リディアーヌは「私が愛してるのは」と口走った。あのとき、誰を愛しているかは彼女は言わなかったが、もうその答えは分かりきっている。
異母妹は惜しげもなくアルベールへの愛を態度に示した。例え、アルベールがリディアーヌに優しかったのは彼女を利用するためだったとしても、リディアーヌの目にはアルベールは優しく魅力的な男性に見えたのだろう。
リディアーヌは心から純粋にアルベールを愛した。
それはかつてエレオノールがジスランに抱き、今、アルベールに対して抱いている想いと何が違うのだろう。
二人を分けたものは選ばれたか、選ばれなかったか。ただ、それだけの――しかし、決定的な違いだ。
「お姉様さえいなければ」
ナイフを握るリディアーヌの手の力が強まる。
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