七章:侯爵令嬢は決着をつける③


 翌朝、エレオノールは出発の支度を整えた。


 外出用の衣装の中で一番、軽装のワンピースを選んだ。アルベールと共に馬車に乗り込む。念のため、御者以外に護衛の使用人を二人連れてきている。


 馬車の中でしつこいぐらい、アルベールは確認をしてきた。


「絶対に私の傍を離れないように」


「はい。でも、そんなに心配されなくても大丈夫ですわよ。私たちはリディと話をしに行くだけなんですから」


「……それだけですむといいけどね」


 そう言って、アルベールは窓の外を眺めた。


 馬車は半日ほど時間をかけて、指定された場所に到着した。


 このあたりは家も少ない、ほとんど森と言っていい場所だ。そこに、古い屋敷があった。


 蔦が多く絡まる、茶色のレンガと白い壁の屋敷だ。壁にはところどころヒビも入っている。手入れがきちんと出来ているとはいえない状態だった。


「ロッシュ準男爵の別邸だね」


 アルベールはそう言って、足を一歩踏み出す。エレオノールもアルベールと手を繋いだまま、一緒に歩き出した。


 ドアノッカーを叩く。室内から誰かが近寄って来る音がする。少しすると、扉が開かれた。


 そこにいたのは――見覚えのある侍女だ。コルネイユ侯爵邸で働く、リディアーヌ付きの若い女性だ。


「アルベール様」


 彼女はアルベールに笑みを見せてから、隣にいるエレオノールの姿に気づき、途端に顔色を変えた。アルベールが庇うように、エレオノールを背に隠す。


「リディアーヌに会いに来た。会わせてもらえるかな」


「はい、もちろんです。――ただ」


 彼女の視線はエレオノールと、後ろに控える護衛たちに向いている。かなり警戒した様子だ。


「大人数、というのは……少し。リディアーヌ様が怖がってしまいます。中にお入れ出来るのはアルベール様だけです」


 彼女は確か、リディアーヌにかなり傾倒している使用人の一人だったはずだ。


 以前はエレオノールのことを姉と慕うリディアーヌに配慮してか中立的な態度を取っていた。しかし、エレオノールがリディアーヌを階段から突き落として以来、一転して敵意を向けるようになってきた。そのため、エレオノールは極力彼女に近づかないようにしていた。彼女はエレオノールがクローゼットに追い詰められたとき、リディアーヌにハサミを渡しもした。


「私、一人でか」


 リディアーヌにアルベールが危害を加えられるとは思わないが、彼一人を別邸に入れるのは心配だ。アルベール自身も護衛も連れずに入るのには抵抗があるようだ。


「中には誰がいるのかな」


「リディアーヌ様とお屋敷を貸して下さっているロッシュ準男爵だけです。他には誰もおりません」


 侍女の言葉を信じれば、屋敷に入るのはそれほど危険ではないだろう。


 リディアーヌも、侍女も非力だ。先日見かけたロッシュ準男爵も小柄でそれほど力が強そうには見えなかった。荒事になる恐れは低く思える。


 しかし、アルベールは何かを考えているのか、黙ったままだ。侍女が嘘をついているのではないかと疑っているのだろう。


 代わりにと思い、エレオノールは口を開いた。


「彼女の言うとおりです。こんなにたくさんで押しかけてはリディも驚いてしまいますわ」


 二人の視線がこちらに集まる。エレオノールは努めて穏やかな笑みを浮かべる。


「護衛の方々には外で待ってもらいましょう」


 侍女は「何を企んでいるのか」とでも言いたげな視線を向けてくる。敵意むきだしで見つめられるのはつらいところがある。


 エレオノールの言葉に「そうだね」とアルベールも頷いてくれた。


「護衛は外に待たせる。ただ、私一人というのは難しい。エリーも一緒にお邪魔しては駄目かな?」


 アルベールは眩しいくらい綺麗な笑みを浮かべた。


 普段の笑い方と違う。あれは完全に作り笑いだ。本心からの笑みを見慣れているエレオノールからすると、少し怖い。笑っているのに、いいえと言えないような迫力はなんなのだろうか。


 その勢いにおされたのか、あるいは譲歩を引き出したうえで要求を通すのは難しいと判断したのかは分からない。渋々ながら、侍女はエレオノールの同伴も許した。


 通された室内はところどころに埃がたまっていた。明らかに掃除が行き届いていない。おそらく、普段は使っていない屋敷なのだろう。


 薄暗い廊下を通り、アルベールとエレオノールは一階の奥の部屋に案内された。


 侍女が扉をノックする。


「アルベール様がいらっしゃいました」


 そこは居間らしき部屋だった。


 ソファに腰かけていたのはリディアーヌだ。彼女はアルベールの姿を見ると、表情を明るくした。しかし、すぐに隣にいるエレオノールに気づくと、途端に表情は険しいものになる。


 ソファのすぐ傍にはロッシュ準男爵の姿もある。彼はこちらに気づくと、どこか気まずそうに視線を逸らした。


 リディアーヌは立ち上がる。


「なんでお姉様がいるの」


 その語調はきつい。


 明らかにエレオノールの存在に怒っている。


「私はアルベールを呼んだのよ」


 エレオノールは穏やかな口調を心がけて話す。


「前に話したでしょう? どうするのが一番いいか、三人で話し合いましょう。そのために参りましたのよ」


「お姉様と話し合うことなんてないわ。私はアルベールと結婚するのよ。ねえ、そうでしょ?」


 リディアーヌはアルベールに微笑みかけるが、アルベールは冷淡な表情を崩さない。


 違和感にリディアーヌは怪訝そうな表情になる。しかし、それは一瞬のことだ。


 また、嬉しそうに笑って、アルベールに駆け寄ってきた。


「会いたかった。ずっとずっと会いたかった。やっと、会いに来てくれて嬉しいわ」


 リディアーヌはアルベールに抱き着いた。


 ――瞬間、反射的にエレオノールはリディアーヌに対して強い怒りを抱いた。リディアーヌを階段から突き落としたときと同じ激情が胸いっぱいに広がる。


 しかし、エレオノールが短気を起こさずにすんだ。肝心のアルベールが表情を一切動かさなかったためだ。


 リディアーヌの体に手を回すこともない。アルベールの右手はエレオノールの左手を握ったままだ。


「皇太子妃になっても会いに来てくれるって言うのに、なかなか来てくれないから私寂しかったのよ。でも、ちゃんと会いに来てくれたから、全部許してあげる。ねえ、アルベールも私に会えて嬉しいでしょう?」


 彼女は愛する男を熱のこもった瞳で見上げた。しかし、自身を愛してくれているはずの男の視線は氷のように冷たい。ようやく、リディアーヌはアルベールの変化に気づいたようだった。


 リディアーヌの表情が引きつる。


「アルベール? どうかしたの?」


 淡々とした口調でアルベールは告げる。


「私は君と結婚する気はないよ。私はエリーと結婚する。その事を伝えに来た」


「……え?」


 リディアーヌの表情が強ばる。彼女はアルベールとエレオノールの顔を見比べる。


「なんで、お姉様と……?」


 アルベールはそれ以上説明する気がないようだった。黙ったままだ。


 代わりにエレオノールが話す。


「私たちは婚約を解消するつもりはありません。私とアルベール様は結婚します」


「な、なんでよ」


 明らかに異母妹は狼狽していた。視線が彷徨う。


「だって、お姉様はジスランが好きなんでしょう? ジスランと結婚すればいいじゃない」


「……確かに、私はもともとジスラン様を愛していました。でも、今は違うんです。今、私が愛しているのはアルベール様ですわ」


 エレオノールはぎゅっとアルベールの手を握り締める。


「アルベール様も私のことを愛しているとおっしゃってくださいました。だから、私たちの婚約は解消できません」


「嘘。おかしいわ。絶対、変よ、そんなの」

 

 リディアーヌの顔が歪む。


「だって、私のこと愛してるって言ってくれたじゃない!」


 今にも異母妹は泣き出しそうだった。


 ――もしかしたら、この選択は間違いだったのかもしれない。


 リディアーヌと向き合おうと思ったのはエレオノールのエゴだ。アルベールも本来はリディアーヌと話すつもりはなかった。


 でも、エレオノールはリディアーヌが何も知らないままなのは良くないと思った。もう要らないものとでもいうように彼女が修道院に閉じ込められるのを黙って見送ることなんて出来ないと思ったのだ。


 ずっと黙っていたアルベールが再び口を開いた。


「今、私が愛しているのはエリーだよ」


 限定的な言い回しだ。以前がどうだったかは言っていない。


「君のことは愛していない」


 だが、決定的な言葉だった。


 エレオノールは元々、本当のことをリディアーヌに伝えるつもりだった。しかし、異母妹の様子を見る限り、とてもではないが真実を受け止めきることはできないと思った。


 だから、アルベールの言い方は正解だったのかもしれない。


 リディアーヌの中で、アルベールは以前愛し合った恋人として記憶に残る。――最愛の人が本当は自分を利用していただけなんて、知らないほうが幸せなのかもしれない。


 異母妹の顔は絶望に染まった。


 全身から力が抜ける。アルベールに縋りつくような触れていた手がずるずると落ちていく。そのまま、リディアーヌが床に膝をつくのを、アルベールは黙って見つめていた。


「そんな、そんな」


 異母妹を嗚咽をこぼし、泣いている。


 エレオノールに彼女を慰める権利はない。彼女を傷つけたのはエレオノールなのだから。


 侍女が「リディアーヌ様」と声をあげて、近づく。侍女はエレオノールを睨みつけた。


「なんてひどい。リディアーヌ様からアルベール様を奪うなんて、最低だわ! この悪女!」


 リディアーヌに心酔している彼女からすれば、エレオノールは間違いなく悪女だろう。


 弁解をするつもりはない。言い訳をするつもりない。こうなってしまった責任を負うと、エレオノールは決めている。


「……そうかもしれませんわね」


 彼女の罵倒をエレオノールは肯定した。


 実際、エレオノールを手に入れるためにアルベールは悪いことをした。国家反逆罪に問われかねない真似をした。幼気な少女を利用した。そうして、アルベールはエレオノールを手に入れようとした。


 こんな事態を引き起こす原因となったエレオノールは悪女と言われてもしかたないかもしれない。


 エレオノールはアルベールの手を離す。異母妹の前で膝をつく。


「私を怨んでかまいません。――いえ、怨みなさい。今、貴方がこうなってしまったのは私が原因なのですから」


 許しを乞おうと思ったのが間違いだった。

 リディアーヌはエレオノールを怨んでいい。怨む権利がある。


 異母妹が床を握る手に力が入る。しかし、彼女は顔をあげることなく、泣き続けた。

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