七章:侯爵令嬢は決着をつける②


 それからもしばらくは穏やかな日々が続いた。


 あれ以来、またエレオノールは外出する機会がないため、ラルカンジュ公爵夫人と過ごすことが多い。アルベールも屋敷では紳士的な態度を崩さない。コルネイユ侯爵家の話も聞こえてこない。


 変わったことはシャルロットと文通を始めたことだ。


 手紙にはジスランにきちんと想いを伝えた、ということも書かれていた。詳しい話はまた、会えたときに聞いてみようと考える。


 そんなある日のことだ。エレオノールが本を手に自室でゆったりと過ごしていると、所用を片付けてくると部屋を出ていたルシールが急ぎ足で戻って来た。


 ルシールは真剣な表情を浮かべ、「ちょっとお耳に入れたいことがありまして」と小声で話しかけてくる。


「お坊ちゃま宛てにリディアーヌ様からお手紙が届きました」


「リディから?」


 エレオノールは瞬きをする。


「口止めをされていましたが、――今、リディアーヌ様は御屋敷で軟禁状態なんです。今、コルネイユ侯爵家の後ろ盾の多くが失われました。コルネイユ侯爵にとっては、お坊ちゃまとエレオノール様との婚約が最後の砦なんです。それを邪魔するような真似をしたリディアーヌ様にコルネイユ侯爵は大変お怒りで、外部との連絡を一切とれないようにしているんです。だから、本当は手紙なんて出せるわけがないんですよ」


 それなのに、手紙が届いた。それはどういうことなのだろう。


「今、お坊ちゃまが書斎で手紙をお読みになってます。何が書かれているかは私も知りません。でも、手紙が届いたことはエレオノール様にもお伝えしたほうがよろしいかと思いまして」


「教えてくださってありがとうございます」


 エレオノールは本を机に置くと、急いでアルベールの書斎へと向かった。


 ――良い予感はしない。


 ノックをし、返事を待たず扉を開ける。ちょうど、アルベールが手紙らしきものに火をつけようとしているところだった。


「やめてください!」


「エリー」


 エレオノールが駆け寄ってきたことで、アルベールは持っていたマッチの火を消した。一先ず、手紙が燃やされなかったことに安堵する。


 アルベールと机越しに向かい合う。エレオノールは婚約者を真正面から見据えた。


「アルベール様。何をされようとしていらっしゃったんですか? それはリディからの手紙ですわよね」


「ルシールか」

 

 アルベールはすぐに告げ口の犯人を察したらしい。エレオノールの後ろにいるルシールに厳しい視線を向けた。それからエレオノールに笑みを見せる。


「エリーは気にしなくていいことだよ」


「そういうわけにもいきませんでしょう。リディは私の異母妹いもうとなんですのよ。何が書いてあるのか、教えていただけませんか?」


 アルベールはエレオノールのことをよく想ってくれている。その反面、他者に対しての優しさには欠如している。――以前は普段彼が被っている仮面からエレオノールは気づけずにいたが、今はそのことをエレオノールも知っている。


 特にアルベールはリディアーヌのことをよく思っていない様子だ。直接問い出さなくとも、態度の端々からそのことが伝わってくる。


 ――これは良くない。


 それがエレオノールの考えだ。


 アルベールのことは愛している。でも、彼の全てを肯定するつもりもない。間違いだと思うことは言葉にして伝えていきたい。


「……何も面白いことは書いてないよ。ただの戯言さ」


「アルベール様にとってはそうでも、リディにとってはそうではありませんでしょう? どうか、手紙を見せていただけませんか。お願いします」


 他人宛ての手紙を送り主の許可もなく見るのは良くないことだ。しかし、そうも言っていられない状況だ。


 アルベールは渋々という様子ながらも、便箋を渡してくれた。エレオノールはその紙に目を落とした。


 可愛らしい字は見間違えようなく、異母妹の字だ。


 手紙には『アルベールに会えないのが寂しい。悲しい。いつ、会いに来てくれるの?』という文章が書かれている。その端々から異母妹のアルベールに対する恋慕を感じる。


 どうやら、リディアーヌはコルネイユ侯爵邸を飛び出したらしい。今は信頼できる友人の下にいるそうだ。どうしても会いたい。会いに来てほしいと、手紙は締められていた。


 一緒に地図が同封されていた。指定されているのは王都から少し離れた場所だ。どうやら、リディアーヌは今そこにいるらしい。


 手紙を読み終えたエレオノールは再びアルベールを見る。彼は落ち着いた態度だった。


「大した内容じゃなかっただろう? コルネイユ侯爵邸には連絡するよ。侯爵にリディアーヌを確保してもらう」


「確保だなんて」


「あの女を野放しにしておくのは危険だろう。何をしでかすか分からない」


 本当に、アルベールはリディアーヌをなんとも思っていない。そのことが伝わる言葉だった。


 エレオノールは悲しくなる。


「危険、というのはどういう意味ですか。危ないのはあの子のほうでしょう。屋敷の外で危険な目に遭うかもしれませんのよ」


 リディアーヌは温室育ちだ。何か事件に巻き込まれたらどうするというのだ。おそらく、アルベールはリディアーヌがどうなってもどうでもいいのだ。


 エレオノールは覚悟を決める。


「リディに会いに行きましょう。三人で話しましょう」


 その提案にアルベールは目を見開いた。エレオノールは言葉を続ける。


「こうなってしまったのには私たちに責任があります。ちゃんと、リディと向き合わないといけませんわ」


「向き合うって、どうするつもりなのかな」


 アルベールはコツコツと机を指で叩く。


「『ずっと、君のことを騙していた。私が愛しているのはエリー一人。君に言った言葉は全部嘘。君を利用していたんだ。私はエリーと結婚する』――そう言えとでもいうのかい?」


「ええ、そうです」


 エレオノールは頷く。


「リディに許しを乞うんです。そうでなければ許されません」


 異母妹がどういう反応をするか分からない。だが、エレオノールたちにはリディアーヌに本当のことを話す義務がある。エレオノールはそう思っている。


 アルベールは「危険すぎる」と額に手を当てる。

 

「今まで私が何をしてきたかは説明しただろう。この件が公になれば、ただではすまない」


 アルベールはエレオノールの婚約を解消させるために、様々な策略を働いた。その中には国家反逆罪を問われかねない内容も含まれている。今、アルベールが何事もなく王宮で働いているのは皇太子がこの件を誰にも伝えていないからだ。


「リディアーヌが第三者にこのことを訴えれば、破滅するのは私だ。それなら、コルネイユ侯爵がリディアーヌを修道院に入れるまで大人しく待っていたほうが賢明だ。彼女が王都から去れば、全て問題が解決するんだよ。下手な真似はするべきじゃない」


 保身を考えれば、アルベールの主張は間違っていない。しかし、それでは駄目なのだ。


「それではリディが救われませんわ」


 可愛くて明るくて優しい異母妹。

 誰からも愛されて、彼女の未来はきっと明るかった。なのに、その未来を奪ったのはエレオノールたちなのだ。


 エレオノールの瞳に涙が浮かぶ。


「リディのこと、少し考えるとおっしゃってくださったではありませんか。私のことを思うなら、一緒にリディに会いに行ってくださいませんか」


「……そのために、自分が不幸になるかもしれない選択を選ぶつもりかい」


 その言葉にエレオノールは静かに首を振る。


「いいえ、不幸にはなりませんわ。私の幸せはアルベール様と一緒にいることですもの」


 ラルカンジュ公爵夫人になるのがエレオノールの幸せではない。


「もし、国家反逆罪で国外追放になったら一緒についていきます。死罪になったら一緒に死にましょう。私はアルベール様とご一緒ならなんでもいいです」


 アルベールはしばらくの間、無言だった。


 これ以上なく眉間に皺を寄せ、悩んでいるようだった。それから重い口を開いた。


「三人で会うのは賛成できない。私一人でリディアーヌに会いに行く。私から彼女に説明しよう」


「いいえ。私も一緒に行きますわ。アルベール様お一人で、リディときちんとお話しできますか?」


「出来るよ。子供じゃないんだから」


「本当ですか?」


 エレオノールは真っすぐ見つめる。


「以前、私にしたように誠実にリディに話が出来ますか? 嘘をおっしゃったり、誤魔化そうとはされませんか?」


 その言葉にアルベールは視線を逸らした。


 この点に関しては、エレオノールは婚約者を一切信用していない。上辺だけの誠実性を見せるだけでは意味がない。エレオノールはリディアーヌと真正面から向き合いたいのだ。


「……危険な目に遭うかもしれない」


「構いませんわ。先ほどもお伝えしましたでしょう。私はアルベール様と一緒ならなんでもいいです」


 エレオノールは微笑んで見せる。


 長い沈黙の末、アルベールは「分かった。一緒に行こう」と頷いてくれた。

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