六章:侯爵令嬢は元婚約者と向き合う⑥


 エレオノールが皇太子の執務室を出ると、廊下にはシャルロットの姿がなかった。警備に聞くと、アルベールが現れ、シャルロットは彼を連れてどこかへ行ってしまったらしい。


 二人が向かった方向を教えてもらう。大階段の前の廊下にシャルロットの姿があった。アルベールはいない。


「シャーリィ様」


 声をかけると、シャルロットがこちらを振り向く。


「エリー様。ジスランとはお話し出来ました?」


「はい。――あの、アルベール様がいらっしゃったと伺いましたが」


「ご安心ください。アルベール様にはお引き取りいただきました」


 どこか誇らしげにシャルロットは胸を張る。その様子に「まあ」とエレオノールは声をあげた。


「では、中庭に戻りましょうか。まだ、お帰りになるお時間ではないでしょう?」


「はい。シャーリィ様のお話もお伺いしたいですわ」

 

 先ほどはエレオノールが話すばかりで全然シャルロットの話を聞けていない。今度はシャルロットに手を引かれながら、エレオノールは先ほどの中庭まで戻った。


 ガゼボに戻ると、新しい紅茶とお菓子が用意された。シャルロットは王宮に入ってからの話をしてくれた。


「やっぱり、王族の責務っていうのは大変ですね。毎日毎日失敗ばかりで、皆に助けてもらってなんとかなっています」


 側室とはいえ、現在シャルロットは皇太子妃に近い役割を任せられているらしい。


 現在、ジスランの妃はシャルロット一人だけ。しかも、リディアーヌが皇太子妃であったときも、彼女は皇太子妃としての仕事をほとんど投げ出していたらしい。その一切をシャルロットが代わりに引き受けたという。


 しかし、元々シャルロットは領地育ちの伯爵令嬢だ。王都の事情や、皇太子の妃としての振舞いも十分に理解しているとはいえない。エレオノールとアルベールが行った――今になってエレオノールはあれが何のためだったか理解できたが――妃教育も二ヶ月という短い期間の付け焼刃だ。苦労は多いらしい。


 積極的に社交界にも参加しているらしい。友人を招いてもお茶会も開いているらしく、「落ち着いたらエリー様もお誘いしますね」と約束してくれた。シャルロットには本当に感謝しかない。


 大変な思いをしているようではあるが、シャルロットは元気そうだ。ひとまず、エレオノールは安心する。――しかし、気になることもある。


 シャルロットは王宮での生活を色々と話してくれた。

 侍女のこと。護衛の兵士のこと。王妃のこと。国王のこと。交流をしている令嬢たちのこと。


 しかし、一番接点があってもおかしくないジスランのことをほとんど語らないのだ。


 エレオノールはジスランとの執務室でのやり取りから気になっていたことを、思い切ってシャルロットに訊ねた。


「シャーリィ様は皇太子殿下を愛していらっしゃるんですわよね?」


 ちょうどカップの紅茶がなくなり、新しいものを侍女が淹れてくれた直後だ。侍女がガゼボから離れたのを確認してから疑問を口にした。


 カップを手に取ろうとしていたシャルロットは明らかに動揺した。カップとソーサーがぶつかる高い音が響く。シャルロットはカップをテーブルに戻す。


 シャルロットの表情が曇る。


「……さっきの発言は失言でしたね」


「私のことを気遣ってくださっているのでしたら、本当に気になさらないでください。もう、私は皇太子殿下のことを何とも思っておりませんわ」


 エレオノールは同じ発言を繰り返す。


「皇太子殿下とシャーリィ様はお互いに愛し合って、結婚されたんですのよね」


 シャルロットはジスランを好きになったと言った。ジスランもシャルロットを愛しているようだった。なのに、ジスランはシャルロットの気持ちを知らないようだった。


 これが一体どういうことなのか。エレオノールはシャルロットに訊ねたかったのだ。


「そうですね。皆そう思ってますし、実際そうですね。ジスランは私を好きだって言ってくれて、私もジスランが好きです。傍にいてほしいって言われて、皇太子に嫁ぐっていうのが本当に大変だっていうのが分かってて、でも、あの人を支えてあげたいって思って求婚を受け入れました」


「……皇太子殿下はシャーリィ様のお気持ちをご存じないようでしたが」


「ええ、ジスランは知りません。私の気持ちはハッキリとは伝えていませんから」


 それはどうしてなのか。

 エレオノールが訊ねるのを躊躇していると、シャルロットが苦笑を浮かべる。


「本当はちゃんと伝えるつもりだったんです」


 彼女は空を見上げる。その目はどこか悲しそうでもあり、苦しそうでもある。


「私が側室になる件は、邪魔が入らないように内密にされていたんです。私を側室に迎えるのに反対する人が現れるのは目に見えていましたから。特にリディアーヌ様やコルネイユ侯爵夫人に知られると大変なことになる。だから、アルベール様にエリー様にも黙っておくよう言われていました」


 シャルロットの存在を一番邪魔に思う人物はエレオノールにとっては身内だ。何がキッカケで知られてしまうか分からない。秘密にしていたのも当然だろう。


「あとは陛下に認めていただく必要がありました。陛下はジスランがリディアーヌ様と関係を持ったために、エレオノール様を皇太子妃に据えられなくなったことに大変お怒りだったんです。代わりに来たリディアーヌ様は公務に取り組んでくださいませんでしたからね。ジスランが側室を娶りたいと申し出たとき、『自分が認める令嬢でなければだめだ』と言われたそうなんです。だから、なんとか陛下の御許しをいただくために、エリー様にも妃教育を手伝ってもらったんです」


 では、アルベールが言っていた『天の加護』というのは国王の許しのことだったのだろう。


 主。絶対神。この国で頂点に立つ国王の比喩表現としては間違いではないだろう。――アルベールが国王をある意味魔王と評したことは忘れておこう。


「エリー様に宝物を見せてもらった日のことを覚えていますか? あの日、エリー様からお話を聞いて、私直接アルベール様にお話を聞きにいったんです。『本当にエリー様を愛していらっしゃるんですか? 愛しているなら、なんでリディアーヌ様と会っていたんですか?』って」


 エレオノールは目を瞠る。


 ――まさか、あの後そんな行動に出ていたとは知らなかった。


 シャルロットの立場からしても、アルベールの真意が分からなかったのだろう。まさか、全ての裏で糸を引いてたなんてシャルロットも予想はしていなかっただろう。


「アルベール様はなんと仰ったんですか?」


 すると、シャルロットは苦い表情を浮かべた。


「正確にお伝えするのはちょっとはばかられますね。あのときはまだ、アルベール様が何をしたのかって言うのは教えていただけませんでしたが、色々思惑がある方なのは分かりました。口ぶりからリディアーヌ様をよく思っていないことも伝わりました。とりあえず、アルベール様がエリー様を愛しているのが真実だということも再確認できました。それで――」


 一瞬、シャルロットは視線を彷徨わせた。


「今度はリディアーヌ様がどういう方なのかが気になったんです」


「リディが?」

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