六章:侯爵令嬢は元婚約者と向き合う⑤


「本当にお耳が早いですね、アルベール様」


「そこを退いてくれないか、シャルロット嬢」


 アルベールは内心焦れていた。


 シャルロットがエレオノールを連れて皇太子の執務室に向かった。その話を聞き、執務をしていたアルベールは仕事を放り投げて皇太子の執務室に向かった。


 長年恋焦がれたエレオノールが名実ともにアルベールのものになった。しかし、過去に彼女がジスランを愛していたのは事実だ。真実を知ったエレオノールがジスランに会って何を話すのか――そんなこと想像もしたくない。


 どうにか邪魔をしようと考えたが、執務室前の廊下にはシャルロットが立ちふさがったのだ。


「心配しなくてもお二人はお話をしているだけです。そっとしてあげましょう」


 愛する相手が初恋の相手と二人きり。――その状況は彼女も同じはずなのに、シャルロットが焦れている様子はない。彼女のこういうところがアルベールには理解できない。


「君は不安には思わないのか」


 シャルロットは困ったように笑う。彼女も全く不安に思ってないわけではないらしい。


「アルベール様。少しだけ、私とお話しませんか?」


 シャルロットの言葉にアルベールは顔を顰める。


 いくら側室の地位にあるとはいえ、シャルロットはアルベールに命令をする権限はない。彼女の言葉を無視することは出来る。


 しかし、シャルロットはアルベールにとってもある意味恩人だ。彼女の存在がなければ、今、アルベールが望んだような結果にはならなかっただろう。


「……五分だけだ」


「それだけで結構です」


 シャルロットはアルベールを連れて、執務室の前の廊下から離れる。明らかにアルベールを引き離すための行動だ。渋々ながら、アルベールは彼女の後をついていく。


 彼女は大階段の前の廊下で足を止めた。


 吹き抜けになっており、階下が見下ろせる場所だ。時折、官僚や使用人が階下を通り過ぎていく。中には二人の姿に気づく者もおり、好奇の視線が向けられる。


 ただ、わざわざ近寄って話しかけてくる人間はいない。声の大きさに気をつければ、会話が聞かれることはないだろう。


 シャルロットは階下に視線を向けたまま、先ほどのアルベールの質問に答えた。

 

「もし、本当にエリー様とジスランが復縁しても、それはそれでいいと思っています」


 アルベールは顔を顰める。


 そんなのは想像もしたくない可能性だ。


「……君には嫉妬心はないのかい」


「もちろん、ありますよ」


 夫を他の女に奪われてもいい。そう口にしながら、彼女は嫉妬心はあると言う。その考え方はアルベールには共感しにくい。


 シャルロットは廊下の手すりに手をかける。


「嫉妬はすると思いますよ。でも、本当であればあの二人は結ばれてたんです。私が今、ここにいるのが間違っていることだと思っています」


 彼女の言うように、本来であればシャルロットは皇太子の側室の座につくことはなかっただろう。


 アルベールの策略がなければ、ジスランとエレオノールが結ばれていた。シャルロットがあのような形でエレオノールと出会うこともなければ、交流を深めることもなかっただろう。きっと、彼女は別の人間と結婚をしていたことだろう。


 しかし、アルベールは否定する。


「間違ってなんていないさ」


 シャルロットの視線がこちらに向く。


 目を見開く彼女に、アルベールは面倒くささを隠さずに告げる。


「エレオノールと私が結ばれるのは運命だった。皇太子殿下には新しい相手が必要だった。それが君だった。経緯はどうであれ、君は選ばれたんだ」


「……アルベール様はブレませんね。そのお考えに賛成はできませんが、ちょっとうらやましいです」


 シャルロットは苦笑する。


「なんであれ、あの二人は一度話をしたほうがいいんですよ。言いたいことも聞きたいことも直接確認しないと、こじれかねませんからね。その結果がどういったものでも、私たちは受け入れるべきです」


 きっと、シャルロットは実際にどういう結果になっても受け入れる覚悟はあるのだろう。アルベールにはとてもではないが真似できない。こういうときは純粋にシャルロットの器の広さに感心する。


 不機嫌そうな表情を隠さないアルベールにシャルロットは「それに」と言葉を続けた。


「アルベール様は不安に思わなくてもいいと思いますよ。――ご存じですか? 女性の恋は引きずらないんです。新しい恋を知ったら、昔の恋なんて忘れちゃうんですよ。エリー様も、今更ジスランとどうこうなりたいなんて思わないと思いますよ」


 その辺りはアルベールも知っている。女性は新しい相手を見つけたら前の男のことなんて忘れてしまう。エレオノールももうジスランに未練はない、と彼女は言いたいのだろう。それでも、可能性が完全にゼロではない限り、不安は尽きない。


 アルベールは深く溜め息をついた。


「シャルロット嬢。これでも、私は君を買っている」


 怪訝そうにシャルロットがこちらを見上げている。


 エレオノールの頑な思い込みを解き、ジスランを救った彼女にアルベールは――本当に珍しいことだが――敬意を抱いている。今回はアルベールが折れてもいいだろう。


「今回は君の顔を立てよう。詳しいことはあとでエリーに聞けばいいだけだしね」


 シャルロットは「ありがとうございます」と安堵したように笑った。


 彼女の言うように、アルベールの心配は杞憂だ。そう考えを改めたのだ。――もし万が一、エレオノールがジスランとやり直したいと考えるようになったとしても、アルベールは諦めるつもりはない。


 鎖につないででも、檻に入れてでもエレオノールを手元に置いておくつもりだ。絶対に手放すなんて未来は存在しない。だから、何も問題ない。


 アルベールは仕事に戻るため、大階段を下りて自身に執務室へ向かう。シャルロットは廊下からこちらを見送っている。


(女性の恋は引きずらない、か)

 

 先ほどの彼女の言葉を思い出す。


 確かに女性は昔の恋を引きずらない。――だが、男はどうだ。


 失恋した友人がずっと昔の恋人を引きずっていることがあった。新しい恋人がいるにも関わらず、昔の相手を忘れらないという知り合いもいる。


 エレオノールがジスランのことを引きずっていなくても、ジスランがエレオノールのことを引きずっているということは考えられるだろう。ジスランはアルベールにはその辺りの話は一切しないため、彼が今エレオノールをどう思っているのかは知らないが、一番近くにいるシャルロットは何か知っているのではないだろうか。


 あの二人の会話を一番心配してもいいのは、シャルロットだ。だが、彼女はそんな態度をおくびにも出さない。


(それこそ私が心配することではないな)


 アルベールはシャルロットに敬意を抱いている。彼女を利用する気もない。本性を知られていても別に構わないと思っている。


 だが、アルベールの考え方は以前エレオノールに伝えたのと変わらない。


 シャルロットが手助けを求めてくれば、アルベールが面倒に思わない程度には手を貸してもいい。だが、彼女はアルベールに手助けを求めない。だから、アルベールもシャルロットを手伝わない。


 アルベールは早く仕事を終えようと思いながら、足早にその場を後にした。

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