六章:侯爵令嬢は元婚約者と向き合う③
「驚きましたよね、こんなことになって」
エレオノールが泣き止むのを待って、シャルロットは話し出した。
場所はシャルロットが待っていたガゼボだ。侍女たちは遠くに控えており、ガゼボの下にいるのは二人だけだ。
「いったい、何が起きたのか、教えてくださいますか?」
なぜ、シャルロットが側室になることになったのか。
その理由をエレオノールはいまだに知らない。
「ええ、もちろんです。今日はそのためにお呼びしたんですから。……ただ、その前に一つお伺いしてもいいですか?」
「はい。何でしょうか」
シャルロットは一度視線を手元のティーカップに落とす。それから優しい笑みをエレオノールに向ける。
「アルベール様とは仲直りできましたか?」
そういえば、シャルロットに最後に会ったとき、エレオノールとアルベールはまだ喧嘩中だった。あの直後に仲直りはしたが、そのことをシャルロットは知らないのだろう。
質問に答えようとして、思わず脳裏にアルベールとの馬車でのやり取りを思い出してしまった。
「はい。今はラルカンジュ公爵邸でお世話になっております」
エレオノールは顔を赤くしながら答える。すると、シャルロットはなんともいえない表情を浮かべる。
「あの、大丈夫ですか? アルベール様に変なことされていませんか?」
「も、問題ありません。お義母様やルシール――侍女たちの目がありますので」
「……つまり、目がなければアルベール様は変なことをされるってことなんですね」
エレオノールが黙り込むと、シャルロットは一度息を吐いた。
「エリー様はどの程度、アルベール様がしたことを聞いていらっしゃいますか」
それがアルベールがエレオノールを手に入れるためにしたことを指していることはすぐに推測がついた。シャルロットはアルベールを「人でなしの腹黒大魔王」と呼んだ。
「……それは、アルベール様が皇太子殿下やリディにしたこと、ということですわよね」
「はい、そうです。そのご様子だと聞いてらっしゃるようですね」
「シャーリィ様もご存じだったんですね」
「ジス……皇太子殿下からお伺いしました」
「シャーリィ様」
エレオノールは努めて穏やかな表情を作る。
「私に気を遣ってくださらなくて結構ですわ。皇太子殿下のことはいつも通りの呼び名で仰って大丈夫ですわ。本当にあの方のことはもう吹っ切れていますから」
そう言うと、シャルロットは今にも泣きだしそうなくらい表情を歪めた。しかし、彼女は涙を零さなかった。代わりに俯く。
「私、最低ですよね。お友達の婚約者だった人を、初恋の人を好きになるなんて」
「そんなことありませんわ。それを言ったら、リディやアルベール様はどうなりますの? リディは姉の婚約者を、アルベール様は主君の婚約者を奪っているんですのよ」
確かに昔、エレオノールはジスランのことが好きだった。多少複雑な思いはあるものの、シャルロットを責めるつもりは一切ない。
場の空気を和ませようと、少し冗談めかして言うと、シャルロットは少しだけだが笑ってくれた。
「やっぱり、エリー様はお優しいですね」
「シャーリィ様の方がお優しい方と、私は思いますわ。今、私がこうしてここにいられるのはシャーリィ様のおかげです」
あの日、シャルロットがエレオノールの目を覚まさせてくれなかったら、エレオノールはアルベールをリディアーヌに譲っていただろう。
――シャルロットにもきちんと話しておくべきだろう。
エレオノールは真っすぐに彼女を見据える。
「私、アルベール様と結婚することに決めました」
元々二人は婚約者なのだから、エレオノールの発言は少しおかしい。でも、今までアルベールと結婚するつもりはないと伝えていたシャルロットにはきちんと意味が伝わったようだ。
そこからエレオノールはシャルロットと会わなくなってから何があったかを話した。
リディアーヌが戻ってきてからのこと。彼女の豹変。ルシールに――アルベールに助けられたこと。彼の本心を知ったこと。
「アルベール様は私のことを本当に愛してくださっている。そのことが分かりました。私も今はアルベール様を愛しています。ですから、あの方と一緒に人生を歩んでいこうと思います」
――ただ、気にかかることはまだある。
思い浮かぶのは皇太子と異母妹の姿だ。
エレオノールは視線を落とす。
「ただ、あの方が私のためにした行動の結果、リディは変わってしまいました。生きる道を変えられてしまったと言ってもいいと思います」
アルベールがいなければ、リディアーヌは皇太子をエレオノールから奪おうなんてしなかっただろう。
「本当であれば、あの子は自分を愛してくれる素敵な男性と結婚して、幸せな家庭を築けたはずなんです。あの子の未来を変えてしまった責任はとらないといけません。それがアルベール様と一緒に生きると決めた私のけじめです。私はアルベール様の行動の責任を果たさなければなりません」
こちらを見つめるシャルロットの表情は複雑そうだ。しかし、視線を逸らすことはない。
「シャーリィ様。皇太子殿下も、リディと同じように何かを変えられてしまったのでしょうか」
エレオノールは自分が皇太子妃にならなかったがために、ジスランの人生が変わったとは思っていない。そんな思いあがった考えはない。
しかし、エレオノールは五年間もジスランの婚約者であったにも関わらず、彼ときちんと向き合ったことがない。
その原因もやはりアルベールではある。ジスランはアルベールに脅迫され、エレオノールを蔑ろにし続けた。彼がどう思っていたのか、いまだにエレオノールは知らないままだ。
「あの方は今幸せなのでしょうか」
シャルロットは逡巡した様子を見せてから、答えた。
「その答えは私ではなく、直接ジスランに聞くべきだと思います」
シャルロットは立ち上がる。
「エリー様。ジスランに会ってみませんか?」
✧
シャルロットに連れられ、エレオノールは今度はジスランの執務室に向かっていた。
執務室は官僚たちも出入りする王宮の表にある。エレオノールは何人かの官僚や使用人とすれ違う。
「シャルロット様、いかがなさいましたか?」
「ジスランに話があるの。中に入っても大丈夫?」
シャルロットは皇太子の執務室前に立つ警備に声をかける。
彼は側室の後ろにいるエレオノールに視線を向けたが、「確認いたします」と室内に入っていった。
シャルロットの入室の許可はすぐ下りた。彼女は「少しこちらで待っていてください」と言うと扉の向こうに消える。エレオノールは警備とその場に残された。
扉越しでは向こうのやり取りは聞こえない。エレオノールは所在なく廊下に立ちつくしていたのだが――。
「嫌だ!」
部屋の中から突然声が聞こえた。
大きな声にエレオノールはビクリと身を震わせる。
くぐもっていたが、間違いないジスランの声だ。その声に続いてシャルロットの声も聞こえ、室内が騒がしくなる。異変に警備もその場で待機しているわけにはいかなかった。
二人いる警備の一人が室内に声をかけ、部屋に入る。そのとき扉は完全には閉められなかった。そのため、室内のやり取りがハッキリとエレオノールの耳にも入った。
「いい加減、覚悟を決めなさい! 情けないわよ」
シャルロットが怒ったように声を張り上げるのをはじめて聞いた。
「別に狼の群れに飛び込めって言ってるわけじゃないのよ。エリー様と二人でちゃんと話をしてって言ってるだけじゃない」
「お前はアルベールの恐ろしさを知らないからそんなことが言えるんだ。僕にとっては彼女と二人きりになるのは死と同義だぞ! あとでバレたらどんな目に遭うか――」
「それは昔の話でしょ。アルベール様のことはこちらでなんとかします。とにかく、一度ちゃんとお話をして。そうじゃないと、私実家に帰るから」
その言葉を最後に言い争う声はピタリと止まる。ボソボソとジスランが何かを言ったのが聞こえた。
シャルロットと警備が部屋から出てくる。
彼女は「お待たせしました」と笑顔を浮かべている。
「さあ、こちらへどうぞ」
困惑しながらもエレオノールは執務室に足を踏み込む。
奥の執務机にはジスランがいる。その表情はどこか落ち込んでいるように見える。
「じゃあ、私外で待ってますので。――エリー様を傷つけるようなことはしちゃ駄目だからね」
前半はエレオノールに、後半はジスランに向けてシャルロットは言う。そして、彼女は執務室を出ていってしまった。
残されたのはエレオノールとジスランの二人だ。気まずい空気が流れる。
シャルロットの申し出にエレオノールは乗った。きちんと話をするべきだとはエレオノールも思っている。
しかし、何をどう話せばいいのかが困ってしまう。五年間もお互い婚約をしておきながら、ほとんど話をしたことがないのだ。
エレオノールが困り果てていると、ジスランが大きな咳ばらいをした。
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