六章:侯爵令嬢は元婚約者と向き合う②
翌朝、エレオノールはアルベールと一緒に王宮へ向かう予定になっていた。
いつもより早めに起床し、化粧も施し、髪も編んでもらった。あとはドレスを選ぶだけだが、なかなか決まらない。
色は赤がいいか、紺がいいか、それとも黒がいいか。デザインは大人びたものがいいか、少し落ち着いたものがいいか。二十着ほどある外行きのものから選ぶのは至難の業だった。最後には「こちらが一番お似合いです」とルシールに半ば無理やり押し切られ、エレオノールは落ち着いたデザインの赤いドレスを身にまとった。
予定では出発には余裕のある時間に準備が終わるはずだったのだが、衣装を選ぶのに時間かかかったため、エレオノールが部屋を出たのは出発のギリギリ前だった。
既にアルベールは玄関でエレオノールを待っている。
「お待たせいたしました。こんな時間になってしまって、申し訳ありません」
エレオノールが謝罪すると、アルベールは「いいや」と微笑む。
「今日はいつも以上におめかしさんだね」
「その、アルベール様。私、変ではありませんか?」
いつも以上に身支度に気合を入れたが、やはり髪が短いことが少し気になる。
令嬢の中には今のエレオノールぐらいの髪の長さの子もいるが、エレオノールはずっと髪を腰の長さまで伸ばしていた。いまだに鏡に映る自分の姿に少し違和感を覚えてしまう。今日は違和感を誤魔化すためにルシールにアップスタイル風に編み込んでもらった。
「いつも以上に綺麗だよ、エリー」
アルベールに太鼓判をもらったことに安堵する。
「ありがとうございます」
アルベールの手を借り、馬車に乗り込む。王宮に向かうまでの道中、エレオノールはずっとソワソワしていた。あまりの落ち着きのなさにとうとうアルベールにも指摘されてしまった。
「そんなにシャルロット嬢に会えるのが楽しみ?」
「ええ、もちろんです!」
エレオノールは目を輝かせ、身を乗り出して勢いよく答える。
アルベールがぽかんとした表情を浮かべていることに気づき、慌ててエレオノールは居住まいを正した。頬が熱い。
「エリーは本当にシャルロット嬢が好きだね」
アルベールの口調はどこか呆れているように聞こえるのは気のせいだろうか。
突然、腰を引き寄せられる。気づくと、エレオノールはアルベールの腕の中で、すぐ目の前には彼の顔があった。
「ねえ、エリー。私のことは好き?」
最近はラルカンジュ公爵夫人や彼女の意を受けている使用人の目もあって、アルベールは体に触れることはほとんどしてこなかった。久しぶりにアルベールの体温を感じ、エレオノールの心臓は高鳴る。
「もちろんです。大好きですわ、アルベール様」
「じゃあ、私とシャルロット嬢、どっちが好きなんだい」
この手の質問には「アルベール様です」と即答しないといけなかっただろう。
しかし、エレオノールは答えに迷ってしまった。欲しかった回答が得られなかったアルベールの目の色が変わる。
「エリー」
表面上は落ち着いてはいるが、これはかなり怒っている。彼の本性を少しずつだが理解し始めたエレオノールはそのことに気づいた。慌てて弁解をする。
「ち、違いますのよ。アルベール様もシャーリィ様もお二人とも大好きですが、全然違う意味合いなので、その、比べるというのがちょっと難しくて」
エレオノールはシャルロットが好きだが、あくまで親愛の対象としてだ。その二人を比較するというのが即座に出来なかったのだ。
しかし、これだけの説明ではまだアルベールは納得していなさそうだ。不機嫌そうな空気が変わらない。
「そうですわね。私は本を読むのが好きですし、紅茶も好きです。でも、この二つのどっちが好きかと比べることはしませんでしょう? アルベール様のご質問は私にとってそういったものですのよ」
「私はエリーが一番好きだよ。何と比較しても、君以上の存在はいない。この世界の何と比べたって君が一番だ。エリーは違うのかい?」
アルベールの口調に迷いはない。その言葉にエレオノールは耳まで顔を赤くしてしまった。
考えてみれば今までアルベールは恥じらいもなく、エレオノールに愛の言葉を囁き続けた。手を握ったり、腰を抱き寄せたり、行動でも愛情を示していた。
今まではエレオノールがアルベールの愛情を信じていなかったため、気に留めていなかったが――もしかしなくても、エレオノールはとんでもなく恥ずかしいことをされ続けていたのではないだろうか。
しかも、アルベールはシャルロットの前でも「愛してる」と告げてきたことがある。今更そのことに気づき、エレオノールは穴に埋まりたい気分でいっぱいになった。
今、エレオノールの胸中は羞恥心でいっぱいだが、そちらに気を取られている場合ではない。今、目の前の婚約者の怒りをどうにか収める必要がある。
エレオノールは必死に考えた。
「確かに、シャーリィ様は私にとってとても大切な存在です。でも、比べられないというのはそれ以上にアルベール様が大切な存在だからです」
以前、馬車で想いを通じ合わせたとき、エレオノールは今以上に恥ずかしい言葉を言った気もする。しかし、あのときのエレオノールの心情は平静ではなかった。今のように落ち着いた精神状態ではこういった言葉を伝えるのも恥ずかしい。
「私がこの世で一番愛おしいと――愛しているのは、アルベール様だけです。私が何をされてもいいと思うのはアルベール様だけですわ。私はあなたのものです」
エレオノールは顔を赤くしながらも最後まで言葉を続けた。すると、アルベールはギュッと抱きしめられる。ドキドキしながら、エレオノールもアルベールに身を委ねる。
「本当はエリーが何も考えられなくなるくらい、濃厚なキスをしたい」
耳元で囁かれ、エレオノールの心臓はハネた。
身体を離すと、アルベールはエレオノールの唇の下を指でなぞる。
「でも、今そうすると化粧が落ちちゃうからね。帰りの馬車、楽しみにしててね」
その言葉にエレオノールは顔を赤くするだけで、何も返せなかった。
✧
こうして王宮の奥に赴くのはいつぶりのことだろう。ジスランと婚約を結んでいた頃は頻繁に足を運んでいたが、それも既に一年は前のことだ。
アルベールは途中までエレオノールをエスコートしてくれた。しかし、エレオノールが向かうのは普段王族が生活する王宮の奥だ。立ち入りは王族と許可をされた人間しか許されていない。アルベールも仕事があるということもあり、アルベールとはその手前で別れることになった。
エレオノールはシャルロット付きという侍女に連れられて、王宮の奥に足を運ぶ。今まで足を踏み入れたことのない場所だ。
案内されたのは広い中庭だった。木々や樹木は丁寧に手入れがされており、色鮮やかな花がいくつも咲いている。
庭の中央には小さな白い
少女――シャルロットはエレオノールの姿に気づくと立ち上がった。
「エリー様」
シャルロットは微笑む。
こうして顔を合わせるのは二ヶ月ぶりだ。なのに、なぜか数年ぶりに会ったような懐かしい気分になる。
「シャーリィ様」
エレオノールの目から涙が零れる。
シャルロットが落ち着いた足取りで近づいてくる。そして、エレオノールの手をとった。
「お久しぶりですね。お元気でしたか?」
「はい、おかげさまで」
「それは良かったです」
身につけるドレスやアクセサリーこそ側室に相応しく豪華なものになっているが、シャルロット自身の外見的変化はない。なのに、以前より彼女が大人びて見えるのはなぜだろう。
「話したいことがいっぱいあるんです。お伺いしたいこともたくさんあります」
「私もです」
エレオノールも聞きたいことはたくさんある。話したいことも。
でも、今はただ大切な友人との再会を喜びたかった。
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