六章:侯爵令嬢は元婚約者と向き合う①


 その後、エレオノールはラルカンジュ公爵邸に身を寄せることになった。


 ラルカンジュ公爵邸にはアルベール以外にラルカンジュ公爵が生活している。ラルカンジュ公爵夫人は王都の喧騒を嫌って、普段はラルカンジュ公爵領で生活している。


 アルベールがどう説明したのか分からないが、ラルカンジュ公爵はエレオノールが屋敷で生活することに反対をしなかった。息子と違い、厳格そうな雰囲気の漂うラルカンジュ公爵は「何かあったら遠慮なく言うように」とだけ言った。


 ラルカンジュ公爵邸には以前アルベールが言ったように、本当にエレオノールの部屋が用意されていた。


 全体的に可愛らしい家具が多く、エレオノールの好みのものが多い。古い家具ばかりだったコルネイユ侯爵邸の自室よりも居心地は良いくらいだ。家具以外に生活に必要な必需品もあった。――本棚に並ぶ大量の恋愛小説とクローゼットにエレオノール体型ピッタリの大量のドレスが並んでいるのを見たときは正直、ちょっと引いてしまった。


 エレオノールには侍女としてルシールがつけられた。


 コルネイユ侯爵邸での仕事は大丈夫かと思ったが、エレオノールを連れ出した以上、ルシールがあちらに戻るのは危険かもしれない。無断で仕事をやめたことになるが、やむを得ないだろう。


 彼女にはバラバラの長さの髪も肩の高さで綺麗に切りそろえてもらった。


 今までエレオノールは使用人に優しくされたことがない。

 起こすときも、身支度を手伝ってくれたときも、ルシールが笑顔を浮かべていることに最初エレオノールは戸惑った。しかし、数日も経つと少しずつ実家との違いにも慣れてきた。


 朝、エレオノールはアルベールとラルカンジュ公爵と三人で食事をとる。ラルカンジュ公爵とアルベールはほとんど仕事の話をしている。エレオノールは邪魔にならないように静かに食事をするのだが、時折アルベールが話題を振ってくれた。


 二人が王宮へ出勤するのを見送ると、エレオノールは自由な時間が与えられる。


 しかし、好き勝手に遊ぶわけにはいかない。エレオノールは執事に頼んで屋敷のことを学ぶことにした。出来るだけ使用人とも交流を図る。話しかけると普通に返事をしてくれるだけでエレオノールは新鮮な気持ちになった。


 本を読んだり、庭園を散歩してゆっくりとした時間を過ごし、夜は仕事から帰ってきたアルベール様とラルカンジュ公爵と一緒に食事をとる。ラルカンジュ侯爵は多忙らしく、夕食はアルベールと二人でとる日もあった。


 食後はその日あったことをアルベールと話し、夜は自室でゆっくり眠る。


 とても平穏な日々だ。アルベールも「新婚みたいでいいね」と今までに見たことがないはずずっと上機嫌だった。


 ラルカンジュ公爵邸で生活を始めて一週間後、――驚くことに公爵領からラルカンジュ公爵夫人がやって来た。


 どうやらエレオノールが公爵邸に来たという話を聞いてきたらしい。エレオノールは内心叱責されるのではないかと不安に思ったが、そんなことはなかった。


 いかにもしっかりしていそうな毅然とした態度の御夫人は屋敷に到着するなり、息子を叱責し出した。


「結婚前のご令嬢を屋敷に滞在させるなんて。これはとんでもないことですよ」


「母さん。これには事情があるんだ」


「どうせ、貴方が何か画策したんでしょう。母の目は誤魔化せませんからね」


 アルベールはそれ以上反論しなかった。エレオノールはラルカンジュ公爵夫人に謝罪をしようとしたが断られた。


「どうせ、愚息が言い出したのでしょう? 迷惑をかけてしまってごめんなさい」


「ラルカンジュ公爵夫人が謝罪されることは何もありませんわ。私、アルベール様には感謝しているんです」


 厳格そうなラルカンジュ公爵夫人がそこではじめて僅かに微笑んだ。


「ありがとうございます。そう言ってもらえると助かります。――アルベール。私は貴方達の婚姻の儀がすむまで、こちらに滞在しますからね」


 その発言にアルベールは驚いた様子だった。どうやら、彼も聞いていなかったらしい。


「当たり前でしょう。貴方がエレオノール様に不埒な真似をしないか見張る人間が必要でしょう。あの人は忙しいからそんな暇はないでしょうしね。私が適任です」


 息子に対してまるで信頼がない。しかし、既に一度押し倒されかけているのでエレオノールは何も擁護出来なかった。


 その日からラルカンジュ公爵邸での四人の生活が始まった。


 体が弱いというラルカンジュ公爵夫人は夜は早く眠り、朝は遅く起きてくる。起きている短い時間の多くをエレオノールに割いてくれ、屋敷を管理する夫人の仕事がどういうものか教えてくれた。


(本物のお母様というのはこういうものなのでしょうか)


 生母はラルカンジュ公爵夫人と違い、大人しい性格だったらしい。しかし、厳しさの中に感じる優しさは、幼い頃に乳母に与えられた愛情を思い出した。



 ✧



 エレオノールがシャルロットと会えることになったのはラルカンジュ公爵邸で暮らし始めて二週間後のことだった。


 その日も仕事を終えて帰ってきたアルベールが突然明日の予定を聞いてきた。


 アルベール曰くコルネイユ侯爵には話は通しているというが、エレオノールがラルカンジュ公爵邸で世話になっていることは内密だ。そうなると、外出することも出来ないのでエレオノールの予定はラルカンジュ侯爵夫人とのものだけになる。


「明日はお義母様とお茶会をする予定でしたが……どうかなさいました?」


「シャルロット嬢がエリーに会いたいって言ってる」


 エレオノールは目を見開く。


 ――そうだ。コルネイユ侯爵邸を離れた今、エレオノールはシャルロットに会いに行ける。


「明日ならシャルロット嬢も都合がいいらしいんだけど、王宮に来る?」


「行きます」


 悩むまでもない。

 エレオノールは即答した。


「私もシャーリィ様に会いたいです。ああ、でも、お義母様にもお話しないといけませんわね」


 先に約束していたのはラルカンジュ侯爵夫人だ。予定をキャンセルするのは失礼にあたるだろう。だが、エレオノールにはシャルロットに会いに行かないという選択肢はなかった。


 まだ就寝前のラルカンジュ侯爵夫人の部屋に二人で向かう。


 ラルカンジュ侯爵夫人は寝支度をしているところを邪魔したことも、明日の予定を変更したいと伝えたことにも一切怒らなかった。


「あちらの方がご多忙でしょう。急ぎの用事でもありません。お茶会はまた後日にしましょう」

 

 エレオノールは何度も何度も謝罪と感謝を伝え、ラルカンジュ公爵夫人の寝室を後にした。


(久しぶりにシャーリィ様にお会いできるんですのね)


 シャルロットに会うのは二ヶ月ぶりだ。

 話したいことがいっぱいある。聞きたいこともいっぱいある。その晩、エレオノールは興奮してなかなか寝付けなかった。

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