五章:侯爵令嬢は真実を知る④


「君が皇太子殿下の婚約者に選ばれたときは本当に絶望したよ。私でも国王の意向ばかりは変えられない。君と殿下の婚約をなかったことには出来ない。でも、諦められなかった」


 馬車は既にラルカンジュ公爵邸に着いている。しかし、二人は馬車を下りない。エレオノールはアルベールの話を黙って聞いていた。


 彼の話は信じられないものだった。


 もちろん、エレオノールもアルベールとの最初の出会いは覚えている。一緒にツバメの雛の墓を作った――その程度だが、忘れたわけではない。ただ、声をかけてきてくれた青年がとても優しかったことは印象に残っているから、彼がそんなことを思っていたとは驚いた。


 だが、まだ彼の話は終わっていない。アルベールが言った『全部、私が仕組んだ』というのがどういうことなのかまだ教えてもらっていない。


 エレオノールは相槌を打つこともなく、黙ってアルベールを見つめる。


「その後、君と顔を合わせた後の皇太子殿下にも会ったよ。殿下はとても喜んでいたよ。『とても可愛い女の子だった』『お前の言うように僕が望むような子が婚約者に選ばれた』って、ハシャいでいたよ。エリーには冷たい態度をとったように見えたかもしれないけど、単純にあのときの殿下は照れていただけさ。君のことをすごく気に入っていた。――殿下に殺意を抱いたのはあのときがはじめてだったな」


 そう笑うアルベールの目はまったく笑っていなかった。


「そうだね、そのあと殿下に何て言ったかは正確には覚えていない。私もかなり頭にきてたからね。簡単に言うと、『エリーは私のものだから、手を出すな。破ったら、私の持てる全ての力を使ってこの国を破滅させる』――そんな感じのことを言ったかな。いずれこの婚約は必ず破棄させる。だから、親しくなるのも許さない。お互いに情が出来れば、婚約破棄させるのも難しくなるからね。私が本気であることが伝わったんだろうね。殿下は顔を真っ青にして、私の言葉に従順に従ってくれたよ。この件については誰にも秘密にすることも固く誓ってくれた」


「……だから、殿下は私に冷たくしていたんですか?」


「健気だろう? 国のために、好きになった女の子を諦めたんだ。国を想う皇太子の鑑だと思わないかい?」


 婚約解消を告げられた日。ジスランは『最初から決まっていたんだ。僕と君が会う前から全部』と言っていた。


 それはつまり、エレオノールがジスランと出会う前――アルベールに見初められたことを指していたのだろう。『君は何も悪くない。僕を恨め』というのも、――彼の優しさから来たものだったのだろう。


「これで殿下と君の仲を深めないようにすることには成功した。僕が君の相談に乗っていたのもね、殿下が絶対に振り向かないことが分かっていたからだよ。逐一君から話を聞いていれば、本当に殿下が私の言うとおりにしているか分かる。以前に話した君が心変わりしてくれるかも、という打算もあったけどね」


 何故、あそこまで親身に相談に乗ってくれたのか。婚約当初から抱いていた疑問も解決した。


「あとはどう君たちの婚約を破談にさせるのか。それだけが問題だった。君たちの仲が一向に深まらなくても、国王陛下は考えを変えなかった。君以上に皇太子妃に相応しい令嬢は他にいなかったし、殿下に別に好きな相手が出来ても側室に据えればいいと考えていた。だから、私はリディアーヌを利用することにしたんだ」


 アルベールはリディアーヌと交友があった。それも二人きりで出かけ、手紙もやり取りするような深い仲だ。リディアーヌもアルベールに愛されていると信じていた。

 ――だが。


「君はリディアーヌのことをひどく買っているようだが、私には自己愛の強い我儘な女にしか見えなかったよ。きっと、彼女は苦労もなく、愛されて育ったんだろうね。でも、行動原理が分かりやすかったから、とても操りやすかった。ちょっと私が好意があるように振舞うだけでひどく喜んでたよ」


 彼はそう言って、嗤ってみせた。


 今までアルベール自身の態度からはリディアーヌへの好意は一切感じなかった。むしろ、悪意を抱いているような反応を見せることがあった。


 ――本当に、アルベールはリディアーヌを愛していなかったのだ。


 そして、リディアーヌが言っていたことも本当だった。ずっと、アルベールはリディアーヌに偽りの愛情を見せていたのだ。


「外見も良いし、愛想もいいから彼女に惹かれる男は多かった。でも、求婚者の中で一番いい男は私だからね。少し優しくして、愛の言葉を囁いてあげたら、すぐに私に傾倒していってくれたよ。その上、彼女が欲を膨らますような言葉をいっぱい囁いてあげた。『リディアーヌは世界で一番美しい』『どんな女性よりも素晴らしい』ってね。本当にあの子は単純だった」


 エレオノールは目を伏せる。


 アルベールがリディアーヌに愛を囁いたのが事実だと知ったら、きっと自分は嫉妬すると思っていた。だが、実際に話を聞いて感じるのは、ただひたすら悲しみの感情だ。


 ――リディアーヌも利用されていただけなのだ。


 アルベールは悪びれた様子もなく話を続ける。


「うん、本当にリディアーヌは扱いやすかった。『どれだけ我儘を言ってもいい』と言いながら、私は何かとリディアーヌよりエリーのことを優先している姿を見せた。例えどれだけ愛していても、次期皇太子妃を蔑ろには出来ない。そう訴えてね。リディアーヌはそのことに怒った。そして、私に嫉妬させるためと、君への仕返しで皇太子殿下を誑かそうと考えたんだ。当時、彼女は男性は誰でも自分を好きになると勘違いしていたからね。――全部、私がそう思わせるように誘導していたからなんだけど。きっとリディアーヌは最後まで気づいていなかっただろうね」


「……それで、どうやって皇太子殿下とリディアーヌを結婚させるようにさせたと仰るんですか」


「それほど難しい話じゃない。二人が深い関係にあるように周囲に誤認させたんだ。そして、それをさも真実のように噂を流した」


 ジスランとリディアーヌは密かに愛し合っていた。二人は離宮で甘い時間を過ごしていた。そして、そのことが公になったが為にジスランとエレオノールの婚約は破棄された。


「あの夏、離宮にいたのは殿下だけさ。近くにラルカンジュ公爵家の別荘があるのは知っているだろう? 私がリディアーヌを別荘に呼び寄せ、離宮に連れていったんだ。殿下は離宮で過ごす際、人払いをする。兵士と使用人も最低限しかいない。リディアーヌが殿下の寝所に忍び込むのはそんなに大変じゃなかった。私もこっそり手伝いをしたしね。あとは、同じように近くの別荘に避暑に来ていた殿下の友人たちを呼び寄せ、二人が同じベッドで寝ている姿を目撃させたんだ。中には噂好きの人間もいたからね。二人に肉体関係があるとあっという間に広まった。実際、そんな事実はないのにね。殿下は私が仕込んだ睡眠薬を飲んでぐっすり眠っていらっしゃったからね」


 アルベールは「後は君も知っての通りだよ」と、どこか楽しげに嗤う。


「…………それで、私と皇太子殿下の婚約が解消されたわけなのですわね」


「うん、そういうことだよ。長かった――いや、短かったのかな。私はこの日をずっと、待っていた」


 彼がおもむろに立ち上がる。馬車が少しだけ揺れる。


 エレオノールに覆いかぶさるように、アルベールは馬車の背もたれに手をかける。反対の手がエレオノールの顎をすくいあげた。


 アルベールは目を細める。こちらを見つめる淡褐ヘーゼル色の瞳は昏い光を湛えている。


「もう、君に逃げ場はないよ。エリー」


 いつもは優しく穏やかに響く声音が今はひどく低く聞こえる。


「コルネイユ侯爵邸にはもう戻れない。他に行く場所なんてないだろう? あったとしても、もう私は君を逃がすつもりはないよ。君はこれからずっと、私の傍で暮らしていくんだ。代わりに欲しいものはなんでもあげる。優しく穏やかで無害な夫を望むならそう振舞い続けてもいい。詩人のような愛の言葉が聞きたいならいくらでも囁こう。本が欲しいならいくらでも取り寄せるし、歌劇場や植物園でもどこでも連れていってあげよう。寂しい思いは絶対にさせない。愛が欲しいなら私がいくらでも与えるよ。新しい家族が欲しいなら一緒に作ろう。君が望んだ未来を、私が与えてあげる」


 エレオノールは一度、目を閉じる。


 ――ようやく、理解出来たような気がする。


 今までの不可解なアルベールの言動とその真意。ジスランの気持ちと婚約解消の理由。リディアーヌが変わってしまったと思った原因。


 アルベールが全てを打ち明けてくれたおかげで、エレオノールはようやく分かった。今まで、エレオノールが見てきたものは本当に物事の側面の一部でしかなかったのだ。


 「でも」と彼は囁く。


「私から逃げることだけは許さない。抵抗するなら、手足を縛ってでも、猿轡をつけてでも、連れていく。絶対に私から離れることなんて許さない。他の誰にも渡さない。君は私のものだ。一生私だけのものだ。ある日、出会った日からそう決まってる」


 顎を掴まれたまま、もう一方の手がエレオノールの手首を捕らえる。

 今までアルベールは暇さえあればエレオノールの手を握ったり、腰に触れてきた。しかし、いつだって力加減は優しかった。エレオノールが振り解こうと思えば、簡単に出来た。

 それなのに、今のアルベールの手は力強い。痛くはないが、エレオノールの抵抗を許してくれない。顔も手も全く動かせない。


「君の運命の相手は、私なんだよ」

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