五章:侯爵令嬢は真実を知る③
そうはいっても、彼女を連れてここから離れるのも問題が起きかねない。そのため、アルベールは令嬢をその場に待たせ、近くの物置からシャベルを拝借してきた。一緒に少し大きめの石も拾ってきた。
「じゃあ、どこにお墓を作ろうか。あまり目立たない場所がいいかな。あっちとかはどう?」
アルベールが指差したのは背の低い樹木が植えられている一角だ。あの辺りなら人に踏み荒らされる心配もないだろう。
本当は彼女さえいなければ、アルベールは適当な場所に雛を埋めるつもりだった。
鳥はあくまで鳥でしかない。人間のように仰々しく埋葬する必要はない。彼女の申し出は手間を増やすだけだったが、部屋に戻りたがらない令嬢の気持ちを無碍にし続けるのもラルカンジュ公爵嫡男らしくない。仕方なく、アルベールは令嬢に調子を合わせることにしたのだ。
今まで気にしなかったが、彼女は死骸に触れて気味が悪くないのだろうか。泣いているときもずっと大事そうに持っていたし、アルベールがシャベルを取って戻ってくる間もずっと死骸を手にしたままだ。普通の令嬢なら嫌がりそうなものだが、彼女は気にする様子はない。
令嬢は少し思案する様子を見せる。彼女は反応が速くない。性格なのか、そもそも考えるのが遅いのかは分からない。ただ、あまり賢いタイプではないように思えた。
だから、そのあと彼女が言い出したことを聞いて、本当にこの令嬢は頭が良くないのだと最初は思った。
「ここでは駄目でしょうか」
「……ここ?」
「はい」
今、アルベールたちがいるのは王宮の建物の真横。人が通る道としても使われる場所だ。墓を作るにはあまり向いていない。
どう説明しようかとアルベールが考えていると、令嬢は鳥の巣を見上げた。
「また、来年もあの子たちは帰ってくるでしょう?」
ツバメは元の巣に戻ってくる習性がある。そのことを言っているのだろう。
「家族の傍ならきっとこの子も寂しくないと思いますの」
(死んだら寂しいもなにもないだろう)
そのことをアルベールは指摘しなかった。
ただ、この令嬢がアルベールとは大分違う考え方をする人間であることはよく分かった。
アルベールは壁のすぐ横、人が通らない端を選んで穴を掘った。令嬢はその穴に優しい手つきで雛の亡骸を置く。彼女の手は雛の血で少し汚れていた。アルベールはその上から土を盛り、その上に石を置いた。
令嬢は目を閉じ、祈りように指を組んでいる。アルベールはその横顔をじっと見下ろす。そして、追悼の祈りを終え、目を開けた彼女に質問をした。
「君は動物が好きなの?」
令嬢は不思議そうに首を傾げる。
「いえ。嫌いではありませんが、好きかどうかはよく分かりませんわ。あまり実物を見たことはありませんの」
この年頃の令嬢はほとんど外に出ることなく屋敷内で育つ。ペットを飼っていなければ動物に触れる機会はあまりないだろう。
「ツバメを見たのも今日がはじめてですわ」
「それでよくツバメって分かったね」
「図鑑で見ましたもの」
それからスラスラと令嬢はツバメの生態について諳んじる。おそらく、図鑑からの引用だろう。記憶力が良くなければこんなことは出来ない。アルベールは少しだけ彼女の評価を変えることにした。
(うん。皇太子殿下のお相手としていいかもしれないな)
他の作法やダンス、刺繍の腕前などは分からないが、記憶力自体は悪いわけではなさそうだ。人畜無害そうで、我儘を言いそうなタイプにも見えない。アルベールは彼女のことを戻ったらジスランに話そうと考える。
ただ、まだアルベールの疑問が解決したわけではない。別の質問を投げかけてみる。
「好きかどうか分からないのに、この子の死に涙するんだね」
それは純粋な疑問だった。
人は好意を持つ相手の死を悲しむ。それは実際に会ったことがない相手でも一方的に好感を抱いてれば成り立つし、ときにはペットなどの動物相手に適応される場合もある。
だが、そうでなければ悲しむことはない。周囲へのパフォーマンスとして悲しむフリをすることはあるかもしれないが、この令嬢がそれほど打算的な子には見えなかった。
だから、純粋にアルベールは彼女の涙の理由を聞いてみたかったのだ。
令嬢は暗い表情で俯いた。
「この子の未来を考えてみたんです」
「未来?」
「本当は大きくなって、羽も立派になって、自由に空を翔れたはずなんです」
彼女は上を見上げる。
青い空が広がっている。それを見つめる金色の瞳は無垢に見えた。
「きっと、遠くまで旅をして、番を見つけて、卵を産んで、雛を育てて――そうして、また新しい家族を作れたはずなのに。その未来が奪われたことが悲しかったんですの」
――それは夢物語だ。
大人になれるツバメの数は少ない。雛のうちに死んでしまうツバメも多いだろう。今回のように巣から落ちて、あるいは天敵に襲われて。大人になったからといって必ずしも長生きできるとは限らない。野生の彼らには常に外敵が付きまとう。そのことを図鑑を読んでいる彼女なら知っているはずなのに、まるでここで死ななかったら大人になれたかのようなことを口にする。
アルベールはそんな彼女を愚かだと思った。そして、同時に別の感情も抱く。
「…………優しいんだね、君は」
お世辞でも、社交辞令でもない。本心からアルベールはそう言った。
今までアルベールはそんなことを考えたことがない。誰かの――いや、自分自身の未来でさえ希望を持って描いたことはない。他人の未来には興味がないし、アルベールの未来は決まりきっている。
ラルカンジュ公爵の地位を引き継ぎ、妻を娶り、子を為す。王宮では国王に仕え、この国を支える。変わりようのない絶対的な未来だ。
アルベールの言葉に、令嬢は照れたように頬を染める。慌てた様子で手を振る。
「そ、そんなことありませんわ。私なんて全然。本当に優しいのはリディみたいな子のことで」
「誰かと比較する必要はないだろう。私は君が優しい子だと思った。その気持ちは素直に受け取ってくれると嬉しいな」
アルベールが微笑む。すると、彼女は「ありがとうございます」とはにかんだ。
――その笑顔にドクリ、と心臓が高鳴った気がする。
でも、一瞬のことだ。アルベールは気のせいだと思いこむ。
アルベールは雛の埋葬を終えたことでようやく令嬢を連れて、廊下まで戻った。
裾の長いドレスは土で汚れている。落とすには時間がかかるだろう。試験開始までの時間を考えると部屋に戻って、血で汚れた手も含めて侍女に綺麗にしてもらったほうがいい。
「ねえ」
別れ際、アルベールは令嬢に声をかけた。
「君は皇太子殿下の婚約者になりたいと思う?」
令嬢は瞬きをする。
「そう、ですわね。私なんかが選ばれると思いませんが、そうなったらとても光栄だと思いますわ」
「そういうことじゃなくて。……うん、そうだな。君自身はどんな未来を生きたいと思っている?」
死んだツバメの雛の未来をあそこまで思い描いた彼女は、自分自身の未来をどう思い描いているのだろう。
アルベールの質問に彼女は困った様子を見せる。
「そうですわね。過ぎた願いかもしれませんが――大好きな方と、幸せな家庭を築けたら幸せですわ」
どこか恥ずかしそうに、でもどこか幸せそうに彼女は笑う。
「どんな方でもいいんです。私のことを好きだと言ってくれる、私にとっての王子様と巡り合って、結ばれて……その方のことを想いながら暮らせたらきっと幸せだと思うんですのよ」
彼女の願いはひどく純粋なものに聞こえた。
今まで出会ってきた女性の多くは打算的で、その言動の端々に欲を感じた。
アルベールのように地位も財力も外見も兼ね備えているいい男を手に入れたい。そして、アルベールの地位や財力を自身のものとしたい。あるいは優れた男を手に入れることで周囲に自分自身がどれだけ価値のある女のかをアピールしたい。そういった欲が見え隠れしていた。
しかし、本当にこの令嬢はそういったものはどうでもいいのだろう。
純粋に自身を愛してくれる人を求めている。そして、その相手を想い続けたいと思っている。
そんな未来に想いを馳せて微笑む少女が、何よりも誰よりも美しく見えて――アルベールは思ってしまった。
――欲しい。
この子が欲しい。
誰でもいいから好きと言ってくれる人を求めている彼女が。純粋に誰かを想うことを夢見る彼女が。――どうしようもなく欲しいと思った。
アルベールも想像する。
仕事を終えて屋敷に帰ると、今より大人になった彼女が今と同じ純粋な笑みを浮かべて出迎えてくれる。そして、その日会った出来事を楽しそうに語ってくれるのだ。夜は彼女を抱きしめて眠る。考えただけで胸が温かくなる気がした。
――絶対に彼女が欲しい。
――自分のものにしたい。
――誰にも渡したくない。
――自分だけを見てほしい。
――自分だけに微笑みかけてほしい。
――彼女の世界に自分以外はいらない。
それ以降の彼女とのやり取りの記憶は朧気だ。
部屋に戻った令嬢がおそらく侍女と思われる女に何か叱られている声も気にならない。脳裏を占めるのはどうすればあの子を手に入れられるのか。ただそれだけだ。
別れ際、なんとか名前を聞くことが出来た。
彼女はコルネイユ侯爵家のエレオノールと名乗った。現コルネイユ侯爵が前妻との間に設けた子だ。彼には結婚相手とは別に最愛の女性がおり、前妻亡き後はその女性が妻の座についている。
部屋に戻りたがらなかったことや侍女がきつい口調で叱っていたところを見ると、彼女が冷遇されているのは想像に難くない。
(どうにか彼女を婚約者に迎えたい)
まだ、彼女は社交界デビューを果たすには幼過ぎる。また、侯爵令嬢という点から呑気に構えていたら縁談が入ってきてもおかしくない。年齢差を考えても、まずは婚約者という形から入り、その後彼女の気持ちを自分に向けさせる。
アルベールの父はそろそろ跡取りである息子の結婚相手をどうにかしたいと考えている。
コルネイユ侯爵とも何度か顔を合わせたことがあるが、父に対してもアルベールに対しても胡麻をするような男だ。縁談を持ちかければ、喜んで話に乗ってくれるだろう。とても良い考えに思えた。
――このとき、浮足立っていたアルベールは決定的な問題を失念していた。
この後の試験の結果次第ではエレオノールが皇太子の婚約者に選ばれる可能性があることを、完全に忘れていたのだ。
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