五章:侯爵令嬢は真実を知る②


(――あの子は)


 壁の近くに蹲るのは黒髪の令嬢だった。後ろ姿しか見えないが、着ているドレスからどう見ても使用人ではない。人払いをしていることを考えると、おそらく皇太子の婚約者候補の一人だろう。


 アルベールは少し考えて、彼女に話しかけることにした。


 普段であれば向こうも気づいていないし、周囲に人影もないので放っておいただろう。ただ、今は少しでもジスランに持って帰る情報が欲しい。そんな打算の下、アルベールはその令嬢に話しかけたのだ。


 アルベールは令嬢に近づく。彼女がこちらに気づく様子がない。


「どうかしたのかい?」


 アルベールが声をかけると、令嬢は肩をびくりと震わせた。それからゆっくりとこちらを振り返った。


 綺麗な少女だと思った。


 社交界でも、賭博場を通じて知り合った裏社会の人間に連れていってもらった高級娼館でも、なかなかお目にかかれないほどの美貌だ。あと数年もすれば多くの男性を魅了するような女性になるだろう。


 ただ、そう思ったのは事実としてだけ。アルベールはただの外見のにそれほど興味を抱くことはない。特に見惚れることも、感情が揺れることもなかった。


 令嬢は困惑した様子だった。困り顔でこちらを見上げてくる。


 見知らぬ相手に話しかけられたのだ。当然の反応だろう。

 アルベールはどう警戒を解くか考えると、令嬢がポツリと呟いた。


「雛が」


「ひな?」


「ツバメの雛が巣から落ちてしまったんです」


 そう呟く少女の両手には生まれて間もない鳥の雛が乗っている。雛は身動きする様子もなく、体全体から力が抜けている。死んでいるのだ。


 アルベールは目の前の壁を見上げる。


 二階の窓の下に鳥の巣が作られている。巣には三羽の雛が元気に鳴いており、親鳥が餌を与えている。あそこから落ちてしまったことは推測出来た。


 アルベールは再び令嬢に視線を戻す。彼女は俯いたまま何も言わない。


 ――何を言うべきだろうか。


 自身の優しさをアピールするために動物へ親愛の情を示したり、傷ついた姿に涙するタイプの女性もいる。そういうときは「君は優しいね」と一言かければ、相手は満足するだろう。


 しかし、アルベールはこの令嬢の真意を図りかねていた。


 会場の周辺は人払いがされている。彼女が慈悲を示したところでそれを目にする人間はいない。偶然、誰かが通りかかる可能性はゼロではないが、賢いやり方とは思えない。それよりは試験会場で他の令嬢に優しく接するなどして、慈悲深さを見せるほうが効果的だろう。


 脳裏に思い浮かぶのは皇太子の姿だ。


 まだ、幼い彼には大人にあるようなずる賢さはない。この令嬢も同様に純粋に雛を心配しているのかもしれない。


 アルベールは考えた結果、優しい大人を装うことにした。


「可哀想に。お墓は作ってあげようか」


 悲しそうな表情を作って言うと、令嬢は目を見開く。


「…………この子、死んでしまっているんですの?」


「うん。動かないだろう? あの高さから落ちたんじゃ、仕方ないね」


 彼女はひどくショックを受けた様子だった。


 視線が虚空を彷徨う。それから――彼女の金色の瞳からポロポロと涙が零れた。


 アルベールは驚く。まさか突然泣かれるとは思っていなかったからだ。


 令嬢は泣き声どころか、嗚咽さえも漏らさず、静かに泣いていた。


(子供の慰め方なんて知らないぞ)


 女性の慰め方なら知っている。抱き寄せて、優しい言葉でもかけてあげればいい。だが、まだ幼さの残る少女を女性として扱うのには抵抗があるし、相手もそれを望んでいるわけではないだろう。


 結局、アルベールは彼女が泣き止むまで黙って横にいることしか出来なかった。


「見苦しいところをお見せしました。申し訳ございません」


 令嬢は少し落ち着きと取り戻すと、アルベールに謝罪してきた。アルベールは安心させるように笑みを浮かべる。


「いや、気にしないで。……じゃあ、その子のお墓を作ってあげよう。ほら、その子を渡して」


 いまだ雛の亡骸は令嬢の手の上だ。アルベールが手を差し出すが、彼女は不思議そうにアルベールの顔と手を見比べるばかりだ。


「どうしてでしょうか?」


「どうしてって」


 訊ねたいのはこちらだ。

 

「後のことは私に任せてくれればいい。君は皇太子殿下の婚約者候補だろう? 部屋に戻らないと侍女が心配してるんじゃないのか」


 アルベールが彼女を見つけてからすでに十分は時間が経っている。彼女がいつからここに居たのかは知らないが、早く戻らないと付き添いの侍女が探しにきてもおかしくない。


 城で働く使用人や兵士はアルベールの顔を知っている。彼らが相手ならいくらでも誤魔化す方法は思いつくが、令嬢が連れてきている使用人はアルベールのことを知らないだろう。人払いがされているはずのこの場所にアルベールがいることを国王にでも告げ口されたら面倒でたまらない。


 アルベールとしても雛の亡骸の始末・・はこちらに任せてもらって、彼女には部屋に戻ってもらった方が都合がいい。


 しかし、令嬢は困ったような表情をする。


「試験までは時間がありますわよね。もう、部屋に戻らないといけませんの?」


「いけないってことはないだろうけど、君も部屋で座って待っている方がいいだろう?」


 なんだか話が嚙み合っていない気がする。


「外にいる方が落ち着きます。立っているのも、慣れているので大丈夫ですわ」


 アルベールはそれ以上追求するのはやめた。


 おそらく、この令嬢は何かしらの事情を抱えている。だが、アルベールは彼女の境遇に興味がない。こちらから踏み入るつもりはなかった。


「私にもこの子のお墓を作るのを手伝わせてくださいませんか」


 彼女のその申し出に、アルベールは「うん。一緒に作ろうか」と作り笑みを返した。

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