五章:侯爵令嬢は真実を知る①
昔からアルベールは何でも出来た。勉強も、運動も人並み以上。人の顔色を読むのが得意で、どう振舞えば相手に好感を抱いてもらえるのかもすぐに分かった。
父はラルカンジュ公爵。嫡男であるアルベールはいずれ、父の爵位を継ぐ。広大な領地と富、地位が約束されているのだ。文武両道で、将来も明るい。誰もが羨むものをアルベールは何でも持っている。
それでも、アルベールは退屈で仕方なかった。
勉強も運動も得意だが、好きなわけではない。苦労したこともないから、成功する喜びを感じたこともない。何をするのもラルカンジュ公爵家嫡男として求められているからやっているだけ。あるのは義務感だけだ。
何かを欲しいと思ったこともない。だって、何かを欲しがる前に全て与えられた。友人たちが何かを欲しかる心理にアルベールは同調することはできなかった。
ある程度年齢が大きくなり、社交界に顔を出すようになるとたくさん令嬢たちが寄ってくるようになった。友人たちは「羨ましい」と言っていたが、アルベールはちっとも嬉しいと感じたことがない。
彼女たちの相手をするのは面倒だ。
確かに表面上は可愛らしく美しいが、その内面は醜い。アルベールの外見と地位、そして表面的な性格に惹かれて寄って来ただけの蛾だ。興味本位で実際に手を出したこともあるが、つまらなくてすぐに捨てた。もちろん、そうとは悟られないように、だ。
つまらない。本当に世の中はつまらないことだらけ。
退屈が和らいだキッカケは友人に連れていかれた賭博場だ。金銭を賭けてゲームをする。ただそれだけのこと。それだけのことに、多くの人間が熱中していた。利益を得ようと人を騙し、陥れようとする。そして、逆に自身が陥れられれば、絶望する。醜い人間の謀略と感情が渦巻く世界だ。
しかし、思いのほか、賭け事の世界はアルベールの性に合っていた。
金銭を得ること自体にはそれほど興味はない。賭博場全ての金貨を集めても、ラルカンジュ公爵家の財力には敵わない。
アルベールが気に入ったのは、人と人との駆け引き自体だ。
王宮や社交界と違い、この場所では相手の胸の内がどす黒いことは分かりきっている。それを隠す必要なく、相手を出し抜こうと頭を働かせる。
貴族社会では表面的にはそういった腹黒さは見せてはならない。さも善人や聖人のように振舞わないといけない。そのことをアルベールは多少窮屈に感じていた。
ここではアルベールは無害な青年の仮面をかぶる必要がない。ある種、本来の自分をさらけだせる。アルベールにとって賭博場は自由になれる場所だった。
しかし、公爵家嫡男が賭博場に通うのは外聞が悪い。アルベールは自身の素性がバレないように細心の注意を払いながらも、時折賭け事に興じるようになった。
その関係で裏社会にも知人が出来ることになった。しかし、その伝手を頼るつもりは一切ない。誰にも話すこともしなかった。
そんな風に二年ほど過ごし、アルベールは十八歳になった。
その頃、十三歳になった皇太子の婚約者を選定することが決まった。
厳格な国王は公正に令嬢の能力から婚約者を選ぶつもりらしい。数人の侯爵家以上の令嬢が王宮に集まり、試験を課されることになった。
試験の日、アルベールも王宮のジスランの自室にいた。婚約者が決まるということで緊張しているだろうジスランの話し相手になるためだ。
「アルベール。どんな奴が僕の婚約者に選ばれるんだろうか」
五つ下の皇太子のことは、彼が生まれた頃から知っている。
臣下であるアルベールが友人と名乗るのはおこがましいだろう。しかし、アルベールはジスランに対して――アルベールにとっては非常に珍しいことなのだが――親愛の気持ちを抱いていた。
ジスランは非常に真面目な少年だった。
彼はアルベールほどは要領がよくない。苦手分野も存在する。それを熱意と時間をかけることで克服する努力の人だった。
性格も根は優しい。人の上に立つためか、多少偉そうな物言いをすることもあるし、捻くれた態度をとることもあるが、子供が背伸びしているだけだ。腹の立ちようがない。
いずれ国王になる彼はアルベールにとって将来の主君である。仲良くしておいて損はないし、彼自身の性分をアルベールはそれなりに気に入っている。アルベールはジスランと仲良くしていきたいと思っていたし、実際に上手く関係は作れていると自負していた。
椅子に緊張した様子で座るジスランに、アルベールは微笑む。
「殿下はどんなご令嬢がお相手だったら嬉しいですか」
今回の婚約者選定にはジスランの意志は関わらない。国王はまだ幼い皇太子の自由意志で大事な皇太子妃を決めるつもりはなかった。ジスランもその点については了承していると聞く。
ただ、国王の意向に従うべきというのはただの理屈だ。感情はまた別である。だから、アルベールはジスランの考えを訊ねた。
ジスランはアルベールから視線を逸らす。――照れたときの皇太子の癖だ。よくよく見れば耳が赤く染まっているのが分かる。
社交界デビューを果たしていない皇太子の周りには同世代の少女はいない。侍女はいるが、多くが三十代以降の女性だ。
恋愛対象を周囲から排除されているジスランにどういう相手がいいのかという話を振るのははじめてだ。返事が返ってくるのには時間がかかった。
「穏やかな奴がいい。あんまり我儘を言う奴は面倒だ。僕の言うことを聞いてくれて――ただ、間違いは窘めてくれるような、そんな子がいい」
同世代の貴族子息と異性の話をするときには真っ先に外見の話になることが多い。やれ美人がいいだ、やれ背は低い方がいいだ、やれ胸は大きい方がいいだ。そんなことを言われることが多い。ジスランは外見については全く触れず、性格について言及するあたり、外見で人を判断しない人の良さが感じられる。
「陛下の試験に合格した令嬢が選ばれるんです。きっと、殿下が望むような子が婚約者になりますよ」
「そ、そうだろうか」
皇太子は緊張が増したのか、落ち着きなく身動ぎをする。
「なあ、アルベール。お前は試験に参加する令嬢のことは知っているのか?」
「そうですね。名前は知っていますが、実際に会ったことはありませんよ。殿下と同世代のご令嬢です。社交界デビューもまだですから、顔を合わせる機会なんてありませんよ」
アルベールがそう答えると、何か決心したように皇太子が頷いた。
「頼む。僕の代わりに試験の様子を見てきてくれないか」
「――私が、ですか?」
嫌なわけではないが、正直驚いた。まさか、そんなことを頼まれるとは思っていなかったからだ。
ジスランは真剣な表情で再び頷く。
「事前に、どういった奴が参加しているのか知りたい。お前なら試験会場に近づくことも出来るだろう」
「ええ、それぐらいは出来ますが……」
試験を行う広間周辺は人払いをしている。しかし、アルベールならそれらしい理由をつけて試験の様子を見に行くことはできるだろう。
アルベールは思案する。
ジスランは真面目だ。彼にとっては一生のパートナーが決まるのだ。大事なことだろう。そして、特に頼みを断る理由もない。
アルベールは「分かりました」と微笑んだ。
「殿下の御命令ですからね。逆らうわけにはいきません。少し待っててくださいね」
そう言って、アルベールは皇太子の部屋を退出した。それから皇太子の婚約者選定の会場へと向かう。
当然途中で警備の兵士や使用人と顔を合わせる。それを上手く言いくるめたり、嘘をついてアルベールは無事に会場近くまで来ることが出来た。
(さて、あとはどうしようか)
途中で会った使用人から聞き出した情報では候補者の令嬢たちはそれぞれ部屋を割り当てられ、そこで待機をしているらしい。
令嬢は誰かしら付き添いがいるだろうから、部屋に入って会話をするのは難しい。不審がられてしまうだろう。
もう少ししたら会場である広間に全員が集まる。そのときに物陰から様子を覗うのがいいだろうか。その場合、得られる情報は外見だったり、雰囲気だけにはなってしまうが仕方ない。少しでも情報を持って帰れれば、ジスランの不安も多少和らぐだろう。
そんなことを考えながら会場へ続く廊下を歩いているときだ。ふと、窓の外に視線を向けると、蹲る小柄な人影を見つけた。
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