四章:侯爵令嬢は異母妹と再会する⑦


 アルベールは目を瞠る。


「私はずっと、アルベール様のことを信じておりましたわ。ジスラン様との関係に苦しむ私にいつも優しくしてくれて、誠実で優しい方だと信じていたんです」


 だから、ジスランとの婚約が解消され、アルベールと婚約を結ぶことになって、一度はエレオノールも彼との未来を信じた。


「アルベール様は私を昔から好きだったと仰ってくださいましたわ。ですが、アルベール様は以前、リディと仲良くしていらっしゃったそうですわね。頻繁に出かけ、手紙のやり取りもしていらっしゃった。リディもアルベール様に愛していると言われたと言っていました。……手紙については、私も拝見しました」


 エレオノールが知った情報の多くが、アルベールの言葉が嘘であることを示していた。だから、エレオノールはアルベールが嘘をついていると思った。ただ、それ以上に彼がなぜ嘘をついたのかを考えることはしなかった。考えたくなかったのだ。


 アルベールは数少ないエレオノールに優しくしてくれる人だ。そのアルベールが嘘をついた理由が、エレオノールの信じるアルベールの人物像を崩すものであったなら――間違いなく、エレオノールは心を閉ざしただろう。もう、誰も信じられなくなった。場合によって、絶望して命を絶ったかもしれない。


 だから、エレオノールはそのことを考えないようにした。蓋をした。アルベールが実際にどう思っているのか、知ろうとしなかったのだ。


 ――だが、もう見て見ないふりをするのは終わりだ。


 アルベールが時折見せる態度はリディアーヌに好意を抱いているようには見えない。


 今、エレオノールは本当にアルベールは自分を愛してくれているんじゃないかと期待している。そうあってほしいと願っている。だが、期待はあくまで期待だ。もしかしたら、アルベールの真意はエレオノールが望むものではないかもしれない。しかし、エレオノールは覚悟を決めた。

 

「教えてくださいませんか。本当のアルベール様のお気持ちを。嘘をつかないとおっしゃってくださいましたわよね。私、本当のことを知りたいです。どんなお答えでも私は受け入れますわ。だから、思っていらっしゃることを教えてください」


 アルベールは無表情のまま、しばらく何も言わなかった。どう、答えるべきか悩んでいるのだろうか。


 ――もしかしたら、エレオノールを傷つけない言葉を探しているのかもしれない。


 嫌な考えが脳裏をよぎる。エレオノールはそれを無理やり打ち消す。本当のことは彼が答えてくれるまで分からない。エレオノールはアルベールが口を開くのをじっと待ち続けた。


 長い沈黙が流れる。聞こえるのは馬の足音、そして馬車の車輪の音だけだ。


「私が愛しているのはエリーだけだよ」


 ようやくアルベールが口にしたのは、いつも彼が言う言葉だった。しかし、続く言葉は少しだけ違った。


「昔から君のことが好きだった。はじめて会ったあの日から」


 はじめて会った日とは、いつのことだろうか。記憶を辿る。


 彼とはじめて会ったのは確かジスランの婚約者を決める試験の日。エレオノールがはじめて王宮を訪れた日だ。そう、その試験のあと――いや、その前だ。試験が始まる前に偶然、アルベールと出会った。


 エレオノールは戸惑う。


「それは……」


「冗談だと思う?」


 エレオノールが濁そうとした言葉を、代わりにアルベールが口にする。


「まあ、そう思うのも当然だろうね。あのとき、君はまだ十二歳で、私は十八歳だった。今以上に歳の差を大きく感じる年齢だ。六歳も年上の男に懸想されるなんて、怖く感じてもおかしくない。だから、私はずっとこのことを君に黙っていたんだ」


 彼の言葉はいつものように嘘をついているようには思えない。いや、取り繕っていない分、いつも以上に真実を口にしているように見える。同盟祝賀の夜会のときと同じだ。


「初恋だった。はじめて、人を好きだと思った。はじめて誰かを自分のものにしたいと思ったんだ」


 初恋が何歳かは個人差が大きいだろう。


 しかし、十八歳で誰かをはじめて好きになるというのは遅いほうだろう。それまで、アルベールは沢山の令嬢から好意を寄せられていただろうから、余計に不思議に思う。


 ――なぜ私なんかを。


 ふと、アルベールがエレオノールの頬に手を伸ばした。


「エリーの目に、私はどう映ってるんだろうね」


 淡褐ヘーゼル色の瞳が真っすぐにエレオノールの瞳を見つめている。アルベールの手が頬から離れる。


「誠実で優しい、ね。あとは紳士的とか、かな? 争いごとを好まない平和主義のように見えるのかな」


 アルベールは膝に肘をつき、指を組む。


 彼の言葉にエレオノールは何も返せなかった。ただ、彼の言う通りだ。そういった印象をエレオノールはアルベールに抱いている。


 否定しないことを肯定と受け取ったのだろう。アルベールはどこか自虐的な笑みを浮かべた。


「私はね、君が思うよりよっぽど醜い人間だよ。利己的で、欲望に忠実だ。自分の望みのためなら何だってやれる。人の良さそうな態度もただの仮面だよ。人当たりがいいほうが王宮でも社交界でも優位に働くことが多い。必要と思えばいくらでも嘘をつくし、人を陥れもする。――私は、君やシャルロット嬢のように清く正しい人間じゃない」


 周囲からのアルベールの評価は高い。とても、彼が言うことが事実とは思い難い。だが、エレオノールは黙って、彼の話に耳を傾ける。


「君は私に相応しい人間じゃないと思っているようだけど、本当は逆なんだよ。私は君に相応しくない。――きっと、本当に君に相応しいのは皇太子殿下みたいな人なんだろうね。……私のせいでちょっと歪んでしまったけど、生来は真っすぐな人だから」


 エレオノールは瞬きをする。


 まさか、今更ジスランのことを言われるとは思ってなかった。皇太子とのことはとっくに終わったことだ。リディアーヌが皇太子妃になった経緯には何か裏がありそうとはいえ、元々エレオノールとジスランの関係は上手くいっていなかった。いずれ、何かしらの形で破綻していただろう。


「私たちが良い関係を築けなかったことはアルベール様もよくご存じでしょう? 何故、そんなことをおっしゃるんですか?」


 だから、エレオノールはこう答えた。しかし、続くアルベールの返答は思ってもみないものだった。


「違うよ」


 明確に、強い口調で、アルベールは否定した。


「何もなければ君たちは良い関係を築けていたよ。皇太子殿下はエリーのことを気に入っていた。私さえいなければ、君はジスランと想いを通じ合わせた上で皇太子妃になれた」


「――何を、おっしゃってるんですか」


 彼の言うことは明らかにおかしい。


 だって、エレオノールはジスランに嫌われていた。どんな誘いをしても断られ、目を合わせてももらえなかったのに。

 そんなことを言うのはおかしい。

 

「渇望、というのはああいうことを指すんだろうね」


 アルベールはどこか遠くを見る。


「私はどうしても君を自分のものにしたかった。どんな手段を使っても、その結果エリーがどれだけ苦しんだとしても、私は君が欲しかったんだ。使えるものは何でも使おうと思った。だから、皇太子殿下を脅迫したし、リディアーヌを利用した」


 同盟祝賀の夜会。エレオノールはあのときの感覚を思い出す。

 リディアーヌが激怒する姿を嗤った男。いつもの優しい婚約者とは全く違う横顔。――今、あのときの彼と同じ誰かがここにいる。

 淡褐ヘーゼル色の瞳がこちらを射抜く。

 


「殿下が君を冷遇したのも、君たちが婚約解消をすることになったのも――全部、私が仕組んだって言っても、君はまだ本当のことを知りたいって言えるのかな?」

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