四章:侯爵令嬢は異母妹と再会する⑥
「お坊ちゃま。エレオノール様を保護しましたよ」
馬車の中にはいたのはアルベールだ。彼の姿を見た瞬間、ひどく懐かしい気持ちが込み上げてくる。
アルベールは眉間に皺をよせ、険しい表情をしていた。しかし、エレオノールの姿を視界に捉えると、途端に安堵したように表情が和らいだ。
「エリー」
馬車に乗りこんだエレオノールの手をアルベールが掴む。気づくと、アルベールに抱きしめられていた。
「よかった、無事で」
耳元で心底安心したような声音が響く。――アルベールが本当にエレオノールを心配してくれていたというのが伝わってくる。
知らず、エレオノールの目には涙が浮かんでいた。身体の力を抜き、アルベールに身を委ねた。
「アルベール様」
扉が閉まり、馬車がゆっくりと走り出す。しばらく二人は何も言わず抱き合っていたが、エレオノールの頭を撫でていたアルベールが突然体を離した。
「エリー。この髪はどうしたんだい」
髪は結んでも、以前よりかなり短いことは分かってしまうだろう。エレオノールはそのことを誤魔化そうと微笑む。
「何でもありませんのよ」
しかし、アルベールは誤魔化されてはくれなかった。
「……リディアーヌか」
忌々しそうにアルベールは吐き捨てた。
(――やはり)
その様子にエレオノールは以前から抱いていた疑念を強める。しかし、エレオノールが口にしたのは別の疑問だった。
「あの、これは一体どういうことなのでしょうか?」
「それはどういう意味かな」
「ルシールは何者ですか? どうしてこのタイミングでアルベール様がいらっしゃったんですか」
アルベールは逡巡する様子を見せる。そして、諦めたように言った。
「ルシールは元々うちで働いてたんだよ。私の命令でコルネイユ侯爵邸で働かせてた。エリーの様子を見守らせてたんだ。君に何かあったらすぐ連絡を寄こすように命じていた」
「ですが、彼女は昔から我が家で働いていましたわ。元々というのは」
「うん。だから、ルシールがコルネイユ侯爵邸で働き始める前からだよ」
エレオノールは目を瞬かせる。
記憶する限り、ルシールを屋敷で見るようになったのは最近の話ではない。四、五年は昔だ。
なぜ、アルベールはそんな昔から自身の部下をコルネイユ侯爵邸で働かせていたのかが分からない。しかし、そのことを訊ねる前にアルベールが続きを話し始めたため、エレオノールはそのことを聞く機会を失ってしまった。
「本当はリディアーヌが戻って来る前にエリーをあの屋敷から連れ出したかった。だけど、さすがに婚約者相手でも父親の許可もなく、私の屋敷に連れ帰るのは問題が多すぎるからね。あの段階ではまだコルネイユ侯爵を敵に回したくなかったし、しかたなく様子を覗うことにしたんだ。リディアーヌは屋敷で大人しく過ごしていて、エリーとの接触もほとんどないようだったから油断してたよ。君がリディアーヌに閉じ込められたと聞いたときは本当に肝が冷えた」
確かにこの二週間、エレオノールとリディアーヌは交流もなく、お互い静かに生活していた。その均衡を崩したのはエレオノールだ。そもそもエレオノールがリディアーヌの部屋に乗り込むキッカケとなったのは、リディアーヌがアルベールへの手紙を出さないように邪魔していたことだが――エレオノールにも非はある。申し訳ない気持ちになる。
「本当はある程度事前に事情を伝えておこうと思ってたんだ。でも、まさかこんなに早くリディアーヌが王宮を追い出されることになるとは思っていなかった。エリーに何も教えることが出来なくなってしまって、本当にすまなかった」
「いいえ、来てくださって助かりましたわ。本当にありがとうございます、アルベール様」
アルベールが屋敷にルシールを置いていたおかげでエレオノールは助かった。異変に気づいたルシールがアルベールに連絡を取り、囮のために手紙を書いた。その手紙を信じてリディアーヌが屋敷を出てくれたおかげでエレオノールは物置を脱出することが出来た。――もし、ルシールがいなかったら、あの後きっとエレオノールは本当にキズモノにされていただろう。
「……これから、私はどうすればいいのでしょうか」
エレオノールは膝の上の手を握り締める。
コルネイユ侯爵邸を逃げだしてしまった。あの屋敷にはエレオノールの味方がいない以上、ルシールとともに屋敷を出たことは間違いだったとは思わない。しかし、頼るあてがほとんどないのも事実だ。唯一、頼れそうなのは目の前にいる婚約者だが、迷いはまだある。
アルベールは笑みを浮かべた。
「エリーは何も心配しなくていいよ。ラルカンジュ公爵邸に来ればいい。一緒に暮らそう」
ある意味当然ともいえる提案だが、エレオノールにとっては困惑が強い。
「でも、アルベール様。私たちは結婚前です。結婚誓約書も書いていませんし、式も挙げていませんわ。その前から、その、一緒に生活を始めるというのは……よくありません」
結婚前の男女が一緒に生活を始めるのはどう考えても非常識だ。一般市民ならまだしも、公爵家嫡男や侯爵家令嬢がするような振舞いではない。
「エリーは真面目だね。でも、大丈夫。状況的にやむを得ないだろう? 父さんは私が説得するし、コルネイユ侯爵にも事情は説明しておく。公にしなければいいだけさ」
「……ですが」
「今更、コルネイユ侯爵邸に戻るわけにはいかないだろう? エリーだって他に身を寄せる場所はないだろう」
正直なところ、身を寄せる場所に全くの心当たりがないわけではない。シャルロットに助けを求めれば、きっと彼女は手を差し伸べてくれるだろう。しかし、彼女に迷惑をかける可能性が高い以上、積極的にその選択肢はとれない。
おそらく、今がアルベールの真意を確認する機会だ。
本当はリディアーヌを含めて、三人が顔を合わせた状態がエレオノールとしては望ましかった。しかし、リディアーヌがエレオノールに危害を加える気を持ってしまった以上、その状況を作り出すのは難しくなってしまった。こうなったら、エレオノールだけでアルベールに訊ねるしかない。覚悟を決める。
「アルベール様にお伺いしたいことがありますの」
エレオノールの緊張が伝わったのだろう。笑みを浮かべていたアルベールの表情がわずかに強張る。
「何かな」
「私たちの婚約についてです」
アルベールの顔から笑みが消える。
「リディはアルベール様と結婚したいと言っていましたの」
「――そう」
彼の声音は妙に冷たい。
「それで?」
続きを促され、エレオノールは口を開く。
「アルベール様に言って、私とアルベール様の婚約は破棄させると言っていました。……アルベール様が愛しているのは自分だとも」
「なるほど」
アルベールはどこか嘲笑するような笑みを浮かべる。
「それで、エリーはその言葉を信じたの? シャルロット嬢の次は、リディアーヌと結婚しろとでも言うつもりかい?」
彼は怒っている。その怒りの矛先はリディアーヌであり、――エレオノール自身だ。
エレオノールは首を振った。
「いいえ。そうではありませんわ。私はアルベール様のお気持ちをお伺いしたいと思ったんです」
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