四章:侯爵令嬢は異母妹と再会する④


「……その件については、一度アルベール様を交えて三人でお話ししましょう」


 エレオノールは笑みを作る。話し方も穏やかに聞こえるように努めた。


 大事なのは物語をなぞることではない。それぞれがどう思っているかだ。今まで、エレオノールは相手が何を思っているのかを確認するということを怠ってきた。


「私たち、三人の問題ですもの。どうするのが一番いいか、三人で話し合うべきですわ。アルベール様のお気持ちも確認しなくてはなりませんし」


 リディアーヌは目を見開いている。


「アルベールは私のことを愛しているのよ。私が嘘をついてるとでも思っているの?」


「そういうわけではありませんけれど」


 エレオノールは眉尻を下げる。


「でも、アルベール様が私にも愛しているとおっしゃってくださったのも事実です。今、アルベール様のお気持ちがどこにあるのか、直接聞いてみないといけませんわ」


 アルベールの真意をいまだに分からない。


 エレオノールは彼に愛の言葉を告げられている。しかし、その一方で、以前にリディアーヌと逢瀬を重ねていたのも事実だ。異母妹の言葉を信じるなら、やはりアルベールはリディアーヌを愛していたことになる。


 彼は誠実な人だと信じたい。しかし、不審点は多い。エレオノールとリディアーヌが一緒に相対すれば、アルベールの本当の気持ちも知ることが出来るだろう。三人一緒に考えればいい案も浮かぶかもしれない。


 リディアーヌは信じられないものを見るように異母姉を見つめる。


「やっぱり、今日のお姉様は変よ。昔のお姉様ならそんなこと言わなかった」


「……リディも少し変ですわ」


 屋敷に戻ってからのリディアーヌは本当におかしい。


 たしかに昔から少し我儘な部分はあった。しかし、優しさも持ち合わせている少女だった。


 それが今、他人への配慮を完全に忘れてしまっている。自身の我儘ばかり口にする。まるで自分勝手な部分だけが助長されているように思えるのだ。


「私は変じゃないわ。変なのはお姉様のほうよ」


 リディアーヌは同じ主張を繰り返した。彼女は必死に異母姉に縋りつく。腕を掴む力が強くなる。

 

「ねえ、どうして変わってしまったの。お姉様は私のことを愛してくれていたはずでしょう? 言って。『リディのことが大好きよ』って」


「…………リディ」


 もう、エレオノールに嘘でもその言葉は言えない。代わりに気遣う言葉を口にする。


「きっと、リディは疲れてしまっているんですわ。王宮での生活は不慣れなこともありましたでしょう? 少し、ゆっくりする時間が必要ですわ」


 リディアーヌは俯いてしまう。多少はエレオノールの言葉に耳を貸してくれているのだろうか。そのことに少しだけ安堵する。


「少しの間別荘で過ごすなんてどうでしょう? 小さい頃のリディは別荘の生活はつまらないと言っていましたけれど、今のリディには静かな場所で過ごすのも大事だと思いますわ。お父様にも、そう――」


「もう、いい」


 冷たい声が響く。


「もう、いいわ。もういらない」


 突然、エレオノールは体を押された。ろくに反応も出来ないまま、その場に倒れ込む。エレオノールは自身を突き飛ばした異母妹を見上げる。


 彼女の顔からは一切の表情が失われていた。冷たい、怒りをはらんだ青い瞳がこちらを見下ろしていた。


 エレオノールの背筋を冷たい汗が流れる。


「私の言う事を聞いてくれない、私のことを大好きって言ってくれないお姉様は、もういらない」


 リディアーヌが手を伸ばしてくる。彼女は乱暴にエレオノールの髪を引っ張り、頭をあげさせる。


 エレオノールは悲鳴をあげる。腕を掴まれ、無理やり身体を引きずられる。そして、部屋の奥のクローゼットにエレオノールを押し込める。


 侍女たちの中には主人の突然の乱心に怯えた様子を見せる者もいる。しかし、誰もエレオノールを助けようとはしない。


 異母妹の豹変にエレオノールは恐怖するばかりだ。体は震え、抵抗することも出来ない。


 リディアーヌは扉の前に立ち、異母姉を見下ろした。そして、振り返ることなく、近くの侍女に命令をする。


「――鋏をちょうだい」


「で、ですが、リディアーヌ様」


「いいから、取ってよ! 私の言う事が聞けないの!」


 癇癪を起こすリディアーヌに、別の侍女が無言でハサミを渡した。


 リディアーヌは笑っていた。


「私、お姉様のこと大好きだったのよ。美人で優しいお姉様。年上の姉妹に憧れていたから、お姉様と仲良くなれたときは本当に嬉しかった」

 

 エレオノールはなんとかリディアーヌから距離を取ろうと這いずくばる。


 リディアーヌの部屋に取りつけられたクローゼットは人が五、六人は入れるほど広い。しかし、出入り口が扉一つしか存在しないクローゼットは袋小路だ。すぐにエレオノールの体は奥の壁にぶつかってしまった。


「リディ……!」


「でも、アルベールを奪おうとするお姉様はもう嫌い。大嫌いよ」

 

 リディアーヌが手を伸ばす。彼女の手がエレオノールの長い黒髪を掴んだ。


「夢見がちなお姉様でも、――さすがにキズモノになったら、アルベールに嫁げるなんて思わないでしょう?」


 こちらを見下ろす異母妹の瞳は、昏く輝いていた。



 ✧



 ずっと、忘れようとしたことがある。


 それはリディアーヌが皇太子妃として王宮に行ってしまった数日後のことだ。エレオノールはリディアーヌが置いていったもので必要なものがあるか確認するために部屋を訪れた。


 正直、異母妹のお古なんてこれっぽっちも欲しくない。しかし、リディアーヌの言葉を聞いた継母が「そろそろ見に行ってちょうだい」と言ったのだ。セヴリーヌの言葉に従い、エレオノールはリディアーヌの置いていった私物を確認していた。


 両親に愛され、知り合いから沢山の贈り物をもらうリディアーヌの部屋にはたくさんのものが置いてあった。ドレスやアクセサリーはもちろん、化粧品や香水。本当に様々なものが置かれていた。


 彼女の部屋を一通り見たエレオノールは今度は奥のクローゼットも確認しに行った。そこには衣装がたくさん並んでいる。しかし、どれも背の高いエレオノールには小さすぎるものだ。


 クローゼットの衣装を一通り確認したエレオノールは隅に置いてある箱に気づいた。


(これは何が入っているのでしょうか)


 気になったエレオノールは箱のふたを開ける。中には汚れた玩具や壊れたぬいぐるみがしまってあった。どれも見覚えがあるものだ。


(リディのお気に入りだったぬいぐるみですわね)


 幼い頃、異母妹に「可愛いでしょう」「素敵でしょう」と自慢された記憶がある。しかし、飽き性なリディアーヌのお気に入りは頻繁に変わる。


 いつも肌身離さず持っていたぬいぐるみが別の人形に変わったとき、エレオノールは前のぬいぐるみはどうしたのかと訊ねた。そのとき、リディアーヌは「新しい人形をもらったからあれはもう要らなくなったの」と言っていた。似たようなやり取りを何度も繰り返した記憶がある。


 箱にしまってあるのはリディがもう要らなくなったと言っていたものばかりだ。どれもこれも無残な姿になってしまっている。


(リディが壊してしまったのかしら)


 異母妹がうっかり落として壊してしまったり、汚してしまったのだろうか。少し意外な面を発見した気分になる。


 エレオノールは箱に入っていた猫のぬいぐるみを取り出す。これもリディアーヌが大切にしていたものだったはずだ。


(縫って直しておこうかしら)


 幼い頃の遊び道具に今更リディアーヌは興味を持たないだろう。それでも、あれほど彼女が大事にしていた宝物がこうもボロボロであるのは忍びない。


 エレオノールは猫のぬいぐるみだけ一旦自室へ持ち帰ろうと思い、立ち上がろうとする。しかし、その前に猫のぬいぐるみがあった場所の下、――箱の底に見覚えのある絵を見つけた。


 ――嘘。


 エレオノールはぬいぐるみを床に落としてしまう。しかし、そのことに気づかず、エレオノールはその本の上に乗っている荷物を全て箱から取り出す。


 箱の底から出てきたのは見覚えのある絵本だ。幼い頃に異母妹に譲ったエレオノールの宝物――『レティシアの物語』の本だ。


「嘘」


 エレオノールはあの本を大事に大事に扱っていた。汚さないように、破れたりしないように丁寧に扱っていた。リディアーヌに譲ったとき、『レティシアの物語』はとても綺麗な状態だった。


 なのに、今、目の前にある本はボロボロになっていた。ところどころに染みや汚れがつき、破れている個所もあった。とてもひどい状態だ。


「嘘」


 エレオノールは『大切にしてね』と、リディアーヌに言った。彼女も『分かった』と言ってくれた。


 ――それが彼女が要らなくなったと言ったものと一緒に、ボロボロになって箱にしまわれている。


 エレオノールはショックだった。


 大好きなリディアーヌが本を大事に扱わなかったことも。宝物だった本がこんな無惨な状態になっていることも。エレオノールの宝物を、彼女が大事にしてくれなかったことも。全部全部ショックだった。


 だから、エレオノールはこのことを忘れることにした。思い出さないように記憶にふたをした。


 リディアーヌは最愛の人をエレオノールから奪った。でも、これ以上大好きな異母妹のことが嫌いになりたくなかった。だから、エレオノールは何もなかったことにして、大切な絵本だけ部屋に持ち帰ったのだ。


 ――そのことを今、エレオノールは絵本を見つけたリディアーヌの部屋のクローゼットの中で思い出している。

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