四章:侯爵令嬢は異母妹と再会する③


 部屋の中には先ほどの侍女を含めた数人の使用人と、リディアーヌの姿があった。椅子に腰かけた異母妹の手には手紙が――エレオノールが封筒に入れた白紙の紙が握られている。


「お姉様」


「何をしているんですの、リディ」


 ノックもなしに異母姉が現れたことにリディアーヌはひどく驚いた様子だった。


「なぜ貴方がその手紙を開けているんですの。説明してくださいますか」


 異母妹は視線を彷徨わせる。それからやっとのことで口を開いた。


「……ノックもしないで部屋に入るのは良くないって仰ったのはお姉様じゃなかったかしら」


「ええ。ですが、人の手紙を勝手に読むのも良くないと思いませんか?」


「これは手紙じゃないわ。ただの白紙じゃない」


 屁理屈を言われ、エレオノールは溜息を吐く。


「手紙ですわ。――あぶり出しです。砂糖水で手紙を書きましたの」


 この手紙がどうなるか分からない。しかし、アルベールの手元に届く可能性もある。様々な可能性を考え、エレオノールは手紙を書くのに砂糖水を使うことにした。手紙は一見ただの白紙だが、火にあぶれば書いてある文章が読める。アルベールならあぶり出しくらいは知っているだろう。そう思って、その手法をとった。


 リディアーヌはこの方法を知らなかったらしい「あぶり出し?」と首を傾げている。


「火であぶると文字が浮き出てくるんですのよ」


「そんな話知らないわ」


 あぶり出しの技術自体はそれほど珍しいものではない。一般庶民でも遊びとして使われることがある。それを知らないというリディアーヌに、それ以上エレオノールは説明するのをやめた。


「それより、なぜ貴方がアルベール様への手紙を持っているんですか。私はアルベール様に手紙を届けるように言いましたわよね。私の命令を無視したんですのね」


 前半はリディアーヌに、後半は先ほどの侍女を見て言った。エレオノールに睨まれた侍女は驚いたように息を呑む。まさか、普段大人しいエレオノールがこんな風に怒りを向けてくるとは思っていなかったのだろう。


 一方のリディアーヌは微笑んだ。


「なぜって、アルベールのものは全部私のものだからよ」


 その言葉にエレオノールは苛立ちを感じた。傲慢な発言をしたからではない。アルベールを呼び捨てで呼んだためだ。


「アルベールは私のものなんだもの。そう言っても構わないでしょう?」


「違います」


 エレオノールは即答する。


「アルベール様は貴方のものではありません」


 その言葉にリディアーヌは本当に驚いた様子だった。


 目を見開いたまま、動かない。数秒経ってからようやく、誤魔化すような笑みを浮かべる。


「なんだか、今日のお姉様は変だわ。私、いつもの優しいお姉様が好きなの。そんなに怒らないでちょうだい」


 確かに今のエレオノールは普段のエレオノールを知るリディアーヌからすればおかしいだろう。


 エレオノールも不思議だった。いつもならエレオノールはこうも強気に出ることが出来ない。自分自身の考えに自信が持てないんのだ。なのに今は普段から想像できないほど自分の行動に自信が持てた。


 あの日。シャルロットが側室になると発表された日。あれ以来、エレオノールは何故か以前より何をするにも勇気が湧いてくるようになった。


 以前の自分であればリディアーヌの部屋に突入しようなんて思いもしなかっただろう。これはもしかしたらシャルロットのおかげかもしれない。あの日からエレオノールは妙に視野が広くなったような気がする。世界を見る目が変わった。夢から覚めたような心地がするのだ。


「ねえ、お姉様。アルベールが私のものでないなら、誰のものなの? まさか、自分のものとでも言うつもりかしら」


 その言葉にエレオノールは何も言えなかった。


 さすがにアルベールのことをそんな風には言えない。彼は誰のものでもない、と思う。


 リディアーヌは真っすぐな瞳をこちらに向けてきた。


「お姉様に本当のことを教えてあげる。――アルベールはね、私のものなの。私のことを愛しているの。私のことを何よりも一番に想ってくれているのよ」


「……そう、アルベール様が仰ったんですの?」


 リディアーヌは自信満々に「そうよ」と微笑んだ。


「この世界で一番リディアーヌが綺麗だって、リディアーヌを愛しているって言ってくれたのよ。手紙もたくさんくれたわ。いろんな所に連れて行ってくれた」


「……アルベール様は私にも愛していると仰ってくださいましたわ。手紙もくださいましたし、一緒にお出かけましました」


 彼女の主張はエレオノールがされたことと全く同じだ。


 リディアーヌはどこか哀れみを含んだ目でこちらを見る。


「本当に分かってないのね。お姉様を愛しているなんてアルベールの嘘に決まっているでしょう?」


 ――ずっと、エレオノールもそう信じてきた。


「私が皇太子妃になっても愛は変わらないって言ってくれたわ。お姉様を婚約者に迎えたのはきっと、私と親族関係になるためよ。そうじゃなきゃ、私に会いに来づらいでしょう? お姉様には親愛の情は抱いているでしょうけど、異性としてアルベールが本当に愛しているのは私だけよ」


 リディアーヌの言葉は以前エレオノールが信じていたことそのものだ。


 異母妹は美しい笑顔で微笑んだ。


「ジスランとのことは私もちょっと反省したわ。軽はずみな行動のせいであんなことになるとは思っていなかった。私が全部悪いみたいに王宮を追い出されたのはちょっと腹が立つけど、結果的に良かったと思うわ。私、今回のことで分かったの。やっぱり、生きる上で一番重要なのは愛よ。相手を愛し、自分が愛されることなの」


 だから、と彼女は続ける。


「私は一番アルベールを愛している。彼も私のことを愛してくれているわ。だから、あの人と結婚して、今度こそ私は幸せになるわ」


 あまりの発言にエレオノールは目を瞬くばかりで何も言えなかった。


 眩暈がする。エレオノールは自身の腕をギュっと握った。


「……アルベール様と婚約をしているのは私ですのよ」


「ええ。だから、アルベールに言ってお姉様との婚約は破棄してもらうわ。お姉様はジスランと結婚すればいいわ。お姉様の婚約が破談になったのは私が嫁いだせいでしょう? 私が皇太子妃じゃなくなったのだから、お姉様が皇太子妃になっても問題ないでしょう?」


 短い期間とはいえ皇太子妃であったというのに、リディアーヌは政が何も分かっていない。コルネイユ侯爵家の娘が不貞を働いて、離縁されたのだ。また同じ侯爵家の娘を皇太子妃に据えられるわけがない。


 黙り込んで何も答えない異母姉をリディアーヌは不思議そうに見つめる。


「どうかしたの? お姉様も大好きなジスランと結ばれれば幸せになれるのよ。嬉しくないの?」


 リディアーヌは今もエレオノールがジスランを愛していると思っているのだろう。誤解を解いたほうがいいだろうかと考える。――だが、同時に誤解を解いてどうするとも思う。


 もうジスランに未練はない。新しい婚約者であるアルベールに惹かれつつある、と真実を伝えてどうするというのだ。


 どう誤魔化そうか。そう思い悩んでいると、突然リディアーヌの顔から表情が消えた。


「お姉様。もしかして、お姉様もアルベールのことが好きになっちゃったの?」

 

 正確な指摘に、エレオノールは何も答えられなかった。


 リディアーヌは突然立ち上がる。そして、勢いよくエレオノールの腕を掴んだ。


「ダメよ! ダメ!」


 まるで子供の癇癪のようにリディアーヌは必死に叫ぶ。その表情は必死そのものだった。


 異母妹の様子にエレオノールは戸惑うばかりだ。


「アルベールは私のものなんだから! お姉様にだってあげない!」


「……リディ。アルベール様はものではないんですのよ。あげる、あげないという言葉の使い方はよくありませんわ」


 姉としてエレオノールは諫めるような言葉をかける。しかし、リディアーヌはその言葉に耳を貸さない。


「今婚約しているのがお姉様だからって何だって言うの! あの人のことを最初に好きになったのは私なのよ! アルベールだって私を愛してくれている! 私がアルベールと結婚するのに何で賛成してくれないの!」


 リディアーヌは縋るような眼でこちらを見上げている。その瞳に涙が浮かぶ。


「ねえ、お姉様。お姉様はいつも、何だって私に譲ってくれたじゃない。ぬいぐるみだってお菓子だって絵本だって――ジスランだって私に譲ってくれたじゃない。今回も一緒よ。私のこと大好きでしょう? アルベールのことも私に譲ってちょうだいよ。最後のお願いよ。もうこれからは我儘なんて言わないから。お願い」


 彼女の言うとおりだ。いつだって、エレオノールは最愛の妹に何でも譲ってきた。リディアーヌはアルベールと愛し合っているという。愛し合う二人が結ばれる。それが一番だとエレオノールはずっと思っていた。


 でも、もう今のエレオノールはリディアーヌの嘆願に頷くことができない。だって、エレオノールは目が覚めてしまったから。呪いが解けてしまったから。


 この世界は物語とは違う。

 リディアーヌはレティシアによく似ているし、エレオノールもアデールによく似ている。しかし、それは外見上の話だ。確かに境遇も似ているかもしれない。でも、それでも、エレオノールはアデールではないし、リディアーヌもレティシアではないのだ。


 もうエレオノールはそのことを見誤ったりしない。

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