四章:侯爵令嬢は異母妹と再会する②


 自室へ向かう途中、エレオノールはリディアーヌに出くわした。


 彼女も部屋に戻ろうとしていたのだろう。侍女も一緒だ。エレオノールは久しぶりに顔を合わす異母妹に何と言えばいいのか迷い、何事もなかったかのように接することに決めた。


「お帰りなさい、リディ。会いたかったですわ」


 正直、会いたかったは嘘になるが、「元気にしてた?」「戻ってきて嬉しい」は嫌味に聞こえかねない。一番差し障りないだろうと思い、その言い回しを選んだ。しかし、結局リディアーヌの気に障る発言になってしまったらしい。


 彼女は不機嫌そうにこちらを睨みつけた。異母妹のそんな表情を見るのがはじめてで、エレオノールは息を呑んだ。


「……いい気味って、思ってるんでしょう」


「そんなことありませんわ。心配していましたのよ」


 心配していたのは本当のことだ。ジスランの件で色々あったとはいえ、リディアーヌは妹である事実は変わらない。彼女の境遇は不憫に思うところもある。


「嘘。大好きなジスランを奪っておいて、王宮を追い出されるなんて惨めだって思ってるんでしょう」


 本当にエレオノールはそんなことは思っていない。


 しかし、ふと、気になってエレオノールはリディアーヌに訊ねた。


「ねえ、リディ。貴方と皇太子殿下はお互い、愛し合っていたんですのよね?」


 エレオノールがジスランとの婚約を解消した日、彼女は『私の方が愛されている』と言った。なのに、先日見たジスランの態度は明らかにおかしかった。


 リディアーヌもジスランを選んだ以上、彼を愛しているのだろうが――なんだか、違和感がぬぐえない。


 瞬間、リディアーヌが鬼の形相になった。異母妹が近づいていたと思ったら、頬に衝撃が走った。体のバランスを崩し、エレオノールはその場に倒れこむ。リディアーヌに頬を叩かれた、と気づいたのは数秒経ってのことだった。


「そんなわけないじゃない! あんなつまらない男、私が愛するわけないでしょう!」


 エレオノールは茫然とリディアーヌを見上げる。


 そこにいたのはエレオノールがよく知る明るくて優しくて可愛い自慢の異母妹ではなかった。怒りに震え、顔を真っ赤にした女だ。女は声を荒げる。


「口を開けば『皇太子妃らしく振舞え』『エレオノールを見習え』ってグチグチグチグチ――私がわざわざ結婚してあげたのよ! 皇太子妃に迎えたことを感謝するべきじゃない! 何でいちいちやること全部に文句を言われなきゃならないの! この国で一番偉くて、顔も悪くないから結婚してあげたのに、本当にムカつく男だわ!」


 ――衝撃だった。


 全てがショックだった。リディアーヌがジスランを愛していないと言ったことも。皇太子と、その妻である皇太子妃の立場を軽んじていることも。まるで自身が誰よりも立場が上なのだとでも言いたげな口ぶりも。


 まるで足元が崩れていくかのようだ。今までエレオノールが見てきたものは一体何だったんだろう。


 ジスランとリディアーヌが愛し合っている。だから、エレオノールは皇太子妃になれなかったのだ。ずっと、エレオノールはそう信じていた。


「私が愛してるのは――!」


 リディアーヌはそこまで叫んで、悔しそうに唇を噛む。口を閉じてしまった異母妹にエレオノールは訊ねる。


「……ジスラン様は、貴方を愛していたわけじゃありませんの?」


「いいえ、違うわ! あの人は私を愛しているもの!」


 リディアーヌはそう主張するが、夜会でのジスランの態度を見る限り、彼の心がリディアーヌにないのは明らかだ。


「だって、私は皆から愛されてるのよ。誰からも愛される存在だって、一番になる資格があるんだって――ジスランだって素直じゃないだけで、本当は私のことを愛しているに決まっているわ」


 確かに、彼女は多くの人間に愛されていた。両親に。使用人に。沢山の友人に。男性に。だが、異性全員が彼女を愛するわけではない。


 リディアーヌには興味も持たず、別の令嬢と婚約や結婚した男性も少なからずいた。いくらリディアーヌがどれほど美しくとも、全員に愛されるわけではないことはエレオノールにも分かる。


「きっと、ジスランもすぐ離縁したことを後悔するわ。すぐに戻ってきてほしいって泣きついてくるはずだわ」


 ――そんなことがあるとは思えない。


 しかし、エレオノールはそう主張することも出来ず、その場を逃げるように立ち去った。



 ✧



 リディアーヌがコルネイユ侯爵邸に帰ってきて、半月が経った。


 未だ屋敷内の空気は暗い。両親はリディアーヌのことで言い争う事も増え、エレオノールはマルセルにその様子を見せないために彼を庭に連れ出すことも度々あった。極力、リディアーヌとは顔を合わせないようにしている。


 しかし、エレオノールの気がかりは別にある。それまで頻繁にやり取りをしていたアルベールから一切の連絡が来なくなったことだ。


 最後に手紙のやり取りをしたのはリディアーヌが帰ってくる前のこと。リディアーヌの離縁の件で屋敷が慌ただしいから会えない、と伝えた手紙が最後だ。その返事がいくら待っても帰ってこないのだ。


(絶対におかしいですわ)


 アルベールはまめな人だ。手紙の返事は必ず翌日には届いていた。それが使用人に訊ねても「手紙は来ていない」の一点張りだ。


 不審に思い、一週間前に改めて手紙を書いた。しかし、やはりその返事は届かない。


 今までのエレオノールであれば、アルベールが心変わり――アルベールの本心が分からないため、心変わりという表現があっているかは不明だが――したと思っただろう。しかし、今、エレオノールは自分の考えを信じられなくなっている。ただ、少なくともエレオノールに対して不誠実な真似はしないと思っている。


 そうなると、疑うべきは使用人かもしれない。しかし、どうすればいいのか分からない。エレオノールは必死に考えて、もう一度手紙を出すことにした。


「アルベール様のお手紙は来ていませんか?」


 翌日、エレオノールは部屋にやって来た侍女に訊ねた。彼女は普段エレオノールの部屋の掃除や身の周りのことをしてくれている。


「いいえ、来ていませんよ」


「……そうなんですのね」

 

 観劇は良くするが、自身が演技をした経験は一切ない。それでも、エレオノールは出来るだけ落ち込んでいるように見せるために暗い声で返事をした。そして、机の引き出しから手紙を取り出す。


「また、手紙を書きましたの。アルベール様に届けてください」


 侍女は「分かりました」とそっけなく手紙を受け取ると、部屋を出ていった。


 エレオノールは少し待ってから部屋の扉を少し開ける。廊下の角を侍女が曲がるのが見えた。エレオノールはバレないように侍女の後を追った。


 ラルカンジュ公爵邸に手紙を届けるのは従僕の仕事だ。そのために、侍女は従僕に手紙を預ける。その姿を確認しようとエレオノールは後をつけたのだが――侍女は手紙を持ったままリディアーヌの部屋に入っていった。


 エレオノールの推測は的中した。屋敷内にアルベールの手紙を握りつぶしている人物がいる。そして、エレオノールが出した手紙もアルベールに届いていない。


 あの侍女がリディアーヌを慕っているのはエレオノールも知っている。彼女の行動はなんとなく予想はできた。しかし、当たってほしくなかった。


 エレオノールは考えが的中したことに頭が痛くなるのを感じる。周囲に人影がないことを確かめると、リディアーヌの部屋の扉に耳を当てる。


「また、手紙を書いたの? しょうがない人ね、お姉様も」


 扉越しでは中で何が起きているかは分からない。しかし、暫くして「何これ」とリディアーヌの怪訝そうな声が響く。エレオノールはその瞬間、扉を勢いよく開けた。

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