三章:伯爵令嬢は侯爵令嬢の望みを叶える⑥
三日後。シャルロットに言われた通り、エレオノールは夜会に出席する為にドレスに着替えた。ドレスは藍色の落ち着いた意匠のものだ。この色はシャルロットに指定されたものだった。
シャルロットとのお茶会の後、アルベールから夜会への出席に関する手紙が来た。久しぶりの婚約者からの手紙だが、簡潔に用件だけが書かれたものだ。いつものようにエレオノールを気遣う言葉や、愛の言葉は書かれていない。手紙には「当日、屋敷に迎えに行く」と書かれていた。
約束どおり、アルベールはコルネイユ侯爵邸に馬車で迎えに来てくれた。夜会に出席するためにアルベールの服装も正装だ。
結局、彼とは三週間前に仲違いしたままだ。気まずい空気が流れる。
アルベールは馬車に乗る際にいつも通り手を貸してくれた。しかし、いつもなら隣に座るアルベールは向かいの席に座る。言葉数も圧倒的に少ない。
馬車で二人で出掛ける時はエレオノールが話題に困るといつもアルベールから話を振ってくれる。沈黙することなんてほとんどなかった。
(……どうすればいいんでしょうか)
アルベールとの付き合いは五年と長い。しかし、こんな風に喧嘩をしたのははじめてだ。
いつだってアルベールはエレオノールを尊重してくれて、意見がぶつかることはほとんどなかった。婚約の件で双方の意見が一致しなかったときも、お互いの主張を繰り返すだけの平行線だった。喧嘩にさえなってなかったのだ。
考えてみると、エレオノールは今まで誰かと喧嘩をしたことがない。
ジスランには一方的にあしらわれていたし、リディアーヌを階段から突き落としたときは一方的にエレオノールが怒っただけだ。もちろん、シャルロットとも喧嘩なんてしたことはない。だから、仲直りの仕方がよく分からない。
王宮までの時間は普段より何倍も長く感じた。
王宮に着くと、周囲には既に多くの人の姿があった。何台もの馬車がやって来る。
今夜開かれるのは隣国との同盟を祝した祝いだ。隣国との同盟は長年の国王の悲願であった。めったにない慶事に、多くの貴族が呼ばれたようだ。両親も招待されており、先に王宮にやって来ているはずだ。
エレオノールはアルベールと共に会場である大広間に向かう。しかし、アルベールは途中で「こっちだ」と言って、脇道に逸れた。
「どちらへ向かわれるんですか?」
アルベールは答えない。そのため、エレオノールもそれ以上は聞けなかった。
途中、警備の兵が至る所に立っていた。会場から離れた場所なのに妙に警備が厳重だと不思議に思う。
アルベールが足を止めたのは、とある一室の前だ。扉の両脇には兵士が立っている。誰の部屋だろう、と思っているとアルベールが扉をノックした。
「私だ。エリーを連れてきた」
扉の向こうから「どうぞ、入ってください」と聞き覚えのある少女の声が聞こえた。部屋の中に入り、エレオノールは驚いた。――控室のようなその部屋にいたのはシャルロットだ。
髪を綺麗に結い上げ、化粧を施された彼女はとても美しかった。青いドレスがよく似合っている。ティアラやイヤリングもとても素敵だ。
エレオノールは目を輝かせた。
「こんばんは、エリー様。アルベール様も」
「シャーリィ様、とってもお綺麗ですわ!」
「ありがとうございます。皆に頑張ってもらって、とってもおめかししたんです」
そう言って、シャルロットは傍の侍女たちに笑いかける。彼女たちも嬉しそうに笑っている。
しばらくエレオノールは綺麗なシャルロットのドレス姿に見とれていた。しかし、途中でふと気づく。
「ところで、その恰好はどうなされたんですか?」
彼女も夜会に出席するために着飾ったにしては妙に装いが豪華すぎないだろうか。そもそも控室が存在するのもおかしい。
それに気になるのが、シャルロットの衣装が妙に既視感があることだ。お姫様のようなティアラに、青空のような透き通った青色のドレス。それが何なのか思い出したとき、シャルロットがアルベールに視線を移した。
「アルベール様、少しだけエリー様と二人にしていただけませんか。――ドロテたちも。少しだけ外で待っていてちょうだい」
「分かった。終わったら、声をかけてくれ」
アルベールも侍女たちもシャルロットの言葉に従い、部屋を出ていく。一人残されたエレオノールは困惑する。助けを求めるようにシャルロットを見ると、彼女は微笑んだ。
「私を見て、どう思われますか?」
「王女様のようにお美しいですわ」
エレオノールは即答する。それから、遠慮がちに言葉を続けた。
「……まるで、レティシアみたいです」
そうなのだ。今のシャルロットの装いは『レティシアの物語』のクライマックスで描かれるレティシアのドレスによく似ている。
シャルロットは安堵しように「よかった」と息をもらす。
「そうです。今日の私はレティシアなんですよ。エリー様、クライマックスのシーンを覚えていますか?」
エレオノールは頷く。シャルロットは立ち上がった。
「王子様がレティシアを選ぶ舞踏会のシーン。レティシアと王子様が結ばれるシーンです」
何度も何十回も何百回も読み返したシーンだ。よく覚えている。
シャルロットはエレオノールの手を取った。
「とっても幸せなシーンですよね。あそこで多くのレティシアの友人や知人は二人を祝福してくれました」
誰もが王子とその妃となるレティシアに拍手を贈った。選ばれなかったアデールだけが「何故ですか」と王子に食ってかかったのだ。
――悪役である彼女だけが、王子とレティシアを祝福出来ない。
それはジスランとリディアーヌを祝福出来なかった自分自身の鏡だ。
エレオノールは俯く。
「私、エリー様はきっと悪い呪いがかけられてるんだと思うんです」
シャルロットの声が響く。その声は妙に明るい。
「悪い悪い呪いです。強力な呪いですよ。王子様にだって解けやしません。怖いですよね。恐ろしいですよね。私はずっとどうしたらその呪いが解けるのかなって考えたんです」
彼女の声は妙に心地よい。言っている意味はよく理解出来なかったが、エレオノールは黙って彼女の言葉を聞く。
「多分、この呪いは王子様のキスでだって解けないんです。だって、呪いをかけたのは悪い魔女じゃなくて、――その人自身なんですもの。この呪いは本人じゃないと解けません」
その人、というのはエレオノールのことだろう。――シャルロットは、エレオノールが自分で自分を呪ってると言っているのだ。
「でも、その人も自分じゃ呪いを解けないんです。呪いを解くにはお姫様が必要なんです。そういう風に自分自身を呪ったときに決めっちゃったんです。だから、私は今日エリー様だけのお姫様に――レティシアになります。だから、今日の私はレティシアであり、呪いを解くお手伝いをする魔法使いなんですよ」
それから、シャルロットは困ったように笑った。
「エリー様。ごめんなさい。やっぱり、私エリー様のお気持ちに応えられません。私はアルベール様とは結婚できません」
それは最初から一貫して変わらない彼女の主張。
ある種予想していた答えに落胆するのと同時に、安堵した。しかし、続く言葉には予想してもいないものだった。
「確かに顔も身分も申し分ないですが、――あんな人でなしの腹黒大魔王と一緒になるなんて御免です! お似合いなんて言われても全く嬉しくありません」
エレオノールは目を瞬かせる。
人でなしの腹黒大魔王とはどういうことだろう。確かにアルベールはシャルロットに冷たい態度をとるし、ここ二ヶ月の教育もスパルタだったかそこまで言われるほどのことはしていないはずだ。
エレオノールは疑問を口にする。
「あの、人でなしというのはどういう――」
「……あの人のことはちゃんとエリー様が手綱を握ってあげてくださいね。そうじゃないと私も困っちゃいます」
シャルロットはエレオノールの質問に答えず、部屋の時計を見ると「そろそろ時間ですね」と呟いた。それから、彼女は真剣な眼差しをエレオノールに向けた。
「忘れないでください。エリー様の望み通り、私はレティシアになります。だから、ちゃんと、呪いを解いてくださいね」
彼女の言いたいことはそれで全てだったらしい。
シャルロットは部屋の外のアルベール達に声をかける。アルベールと侍女たちが部屋に戻り、アルベールはそのままエレオノールを部屋から連れ出した。
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