三章:伯爵令嬢は侯爵令嬢の望みを叶える⑤
こうも退屈な日々を過ごすのは一体、いつぶりのことだろう。
皇太子との婚約が解消された後、エレオノールは頻繁にアルベールと会っていた。会わない日も手紙のやり取りはしていたし、最近はシャルロットが新しい文通相手となっていた。
それ以前もエレオノールは勉学に励んでいた。ジスランに会うため頻繁に王宮を訪れていた。未来の皇太子妃として、慈善事業として孤児院や病院の訪問も頻繁にしていた。
それが今、エレオノールがやることが本当に何もない。
アルベールとシャルロットには会えない。もう勉学に励む必要はない。孤児院や病院の訪問もする必要がない。
暇をつぶすため、新しい本を何冊か取り寄せた。
大好きな恋愛小説だ。――しかし、頁を捲っても、全く頭に入ってこない。
庭先に出て、花を眺めていたら庭師に邪魔そうな目で見られた。
継母や使用人はエレオノールが必要以上に外に出ることを嫌う。アルベールに会いに行けない以上、外出することも難しかった。
そんな退屈な日々を過ごしていたある日、エレオノールの下にシャルロットからの手紙が届いた。
エライユ伯爵邸でお茶会を開く。是非、参加してほしいという内容だ。
参加者はシャルロットとエレオノールの二人だけと書いてあった。
(まだ、期限まで一週間ありますのに)
アルベールの授業はどうなったのだろう。
エレオノールがいない今、アルベールとシャルロットは二人きりで書庫に籠っているはずだ。
二人は一体どんな話をしているのだろう。この間のダンスのようにシャルロットが成果を出したら、アルベールは笑みを浮かべて彼女を褒めるのだろうか。
そこまで考えて、無理やり考えるのをやめる。
二人がどんな風に過ごそうが構わないじゃないか。
最初、二人きりの状況を嫌った二人が一緒に過ごしている。それを望んでいたのはエレオノール自身だ。
エレオノールはシャルロットにお茶会参加の返事を送った。
その日、エレオノールははじめてエライユ伯爵邸を訪れた。
執事に出迎えられ、エレオノールは屋敷に足を踏み入れる。案内されたのは応接間だ。そこには既にシャルロットがいた。
シャルロットはいつもと違い、髪を結い上げていた。ドレスも普段彼女が着ているものより大人びた意匠のものだ。背筋をピンと伸ばし、柔らかな笑みを浮かべた彼女はいつもより大人びて見えた。
「ようこそいらっしゃいました、エレオノール様」
彼女はそう言って、エレオノールを歓迎した。
テーブルにはお茶会の用意がすんでいた。ティースタンドにはスコーンやケーキがいくつも並べられている。
エレオノールが席に座ると、侍女が紅茶を淹れてくれた。
紅茶を飲もうとティーカップを顔に近づけて、気づく。
(王宮でも出されている、ボドワン産の紅茶だわ)
口に広がるのは爽やかな風味とほどよい渋みだ。一口飲めば、明らかに茶葉が最高級品であることが分かる。
エレオノールはティーカップを置く。シャルロットは微笑む。
「お口に合いましたか?」
「ええ。この茶葉はどちらが原産のものなのでしょうか?」
その答えをエレオノールは知っているが、あえて訊ねてみた。
――おそらく、これはテストだ。
シャルロットが淑女らしく振舞えているのか。エレオノールが確認をするためのもの。
その証拠にシャルロットの笑い方も喋り方も、いつもの彼女に比べると落ち着いたものだ。
「ボドワン産の春摘みのものです」
「道理で素敵な香りですのね」
それからエレオノールは会話の中に時折教養を求められる話題を混ぜる。
最初、ヴァロワ公爵夫人のお茶会でシャルロットは自領に関わる話題でも返答に迷うことがあった。
しかし、今は他の領地についてはもちろん、隣国の話題を振っても話についていけなくなることはない。エレオノールがそこまで難しい話題を出さなかったとはいえ、二ヶ月前までの彼女とは見違えるほどであった。
紅茶の飲み方。ケーキの食べ方。気の配り方。どの点をとっても今のシャルロットを淑女ではないと言う人物はいないだろう。
エレオノールは感動した。
「本当に素晴らしいですわ、シャーリィ様」
もうこれ以上の確認は不要だろう。
そう思ったエレオノールは素直な感想を口にした。
「立派な一人前の淑女ですわ。本当にお疲れ様でした」
エレオノールがそう言うと、途端にシャルロットの体から緊張が消える。安堵したような笑みを浮かべた彼女はいつものシャルロットだった。
「ホントですか? 変なところはありませんでした?」
「ええ、一つも」
「あー、良かったです! エリー様の目を気にしなくていいからアルベール様余計に厳しくって、もう本当に大変だったんですよ」
シャルロットは苦笑いをする。
しかし、その言葉に逆にエレオノールは沈んだ気持ちになった。エレオノールの表情が暗くなったのにシャルロットも気づいたようだ。申し訳なさそうに謝罪をしてきた。
「この間はご不快な思いをさせてしまって、すみませんでした」
「いえ、そんな。シャーリィ様が謝るようなことは何も」
シャルロットが謝ることは何もない。
二人を引き合わせたのはエレオノールだ。そして、二人に結婚してほしいと思っているのもエレオノールだ。
――なのに、二人の関係に嫉妬するなんて絶対に間違っている。
口ごもるエレオノールにシャルロットは優しく微笑む。
「エリー様。今もエリー様は私とアルベール様に結婚してほしいと思っていらっしゃいますか?」
その質問にエレオノールは即答出来なかった。
「…………はい」
それでも、エレオノールは肯定した。
エレオノールとアルベールは結婚するべきじゃない。その考えは今も変わらない。
例え、どれほどエレオノールがアルベールに惹かれても、結婚前までならまだ間に合う。
「それはなぜですか?」
シャルロットは重ねて訊ねてくる。
「以前、エレオノールはわたしがアルベール様の好みだって仰いました。アルベール様はリディアーヌ様がお好きだって仰ってましたよね。私がリディアーヌ様に似てると思ってらっしゃるんでしょうか?」
確かに最初、エレオノールはシャルロットにリディアーヌとの共通点を見いだした。きっと、リディアーヌのことをアルベールは好きになると思った。
――だが、今は違う。
「確かに最初にシャーリィ様はリディに似てると思いました。でも、今私がそう望んでいるのは違う理由です」
脳裏に思い浮かぶのは、大好きだった絵本の主人公だ。
「シャーリィ様が、レティシアに似ているからです」
幼い頃に憧れた物語の主人公。
描かれている身体的特徴を言えば、レティシアはリディアーヌとよく似ている。金髪碧眼。可愛らしい顔立ち。
でも、エレオノールはシャルロットの方がレティシアに似ていると思う。
レティシアは優しい女の子だった。誰にでも優しく、誰が困っていると自分のことより相手を優先した。
その姿は子供たちのために勉強を教えたり、エレオノールに我儘に付き合ってくれるシャルロットに重なった。――決して、優しい笑顔の裏でエレオノールを裏切り、自分だけ幸せになったリディアーヌとは重ならない。
「幼い頃の私にとってレティシアは憧れの女の子でした。優しくて、明るくて、誰からも愛されていて、私はレティシアのことが大好きだったんです」
エレオノールがシャルロットに抱いた感情は親愛と――憧憬だ。
明るく社交的で行動力もあるシャルロットはエレオノールが持っていないものをたくさん持っている。かつて憧れた物語のヒロインと同じものを持つ彼女に、エレオノールは確かに憧れたのだ。
「シャーリィ様はレティシアそっくりです。私が憧れたレティシアそのものだと思います。私、レティシアが王子さまと結ばれるのがとっても嬉しかったんです。……だから、シャーリィ様がアルベール様と結ばれても、私はお二人を祝福できると思ったんです。そしたら、私はアデールじゃないって自分自身を納得させることが出来ます」
本当に自分勝手な願いだ。
自分自身が二人を祝福できたという事実を作るために、エレオノールはアルベールとシャルロットが結ばれることを願っている。
アルベールとシャルロットの気持ちを蔑ろにしているのだ。本当に、エレオノールは自分勝手だ。
シャルロットは視線を手元のティーカップに落とす。
「『レティシアの物語』、とっても素敵なお話でしたね。レティシアが大好きな王子様と幸せになるために頑張る物語。皆もレティシアのことが大好きで、応援してくれて――愛と優しさに溢れた素敵なお話でした」
シャルロットはティーカップのふちをなぞる。一口紅茶を飲むと、シャルロットは真っ直ぐエレオノールを見つめた。
「私は私自身がレティシアに似てるなんて思いません。あんなに女の子らしくありませんし、誰にでも寛大じゃありません」
はっきりと、シャルロットは否定の言葉を口にした。そして、「でも」と言葉を続ける。
「エリー様が望むなら、貴方の望みを叶えます」
エレオノールは目を瞠る。
それはどういう意味だろう。
「三日後、王宮で隣国と同盟を結んだことを祝して夜会が開かれるんです。アルベール様とお二人で、この夜会に参加してください」
困惑しているエレオノールにシャルロットは微笑んだ。
「絶対ですよ」
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