三章:伯爵令嬢は侯爵令嬢の望みを叶える④


(……おかしいですわ、私)


 エレオノールはギュッと両手を握りしめる。


 二人が仲良くなるのはエレオノールが望んだことだ。どういう理由であれ、楽しそうに過ごすのはいいことではないだろうか。――なのに、シャルロットが本当に嬉しそうに笑い、アルベールも満更でない様子で踊っているのを見ているのはとてもムカムカしたのだ。


 シャルロットをコルネイユ侯爵邸に招いた日。エレオノールはシャルロットに、アルベールへ好意を抱きつつあることを伝えた。


 ずっと、目を逸らしていたことだ。


 それを認め、口にしてしまったのは間違いだったのだろうか。あれから、エレオノールは自分の気持ちを誤魔化すのが下手になっているような気がする。


(シャーリィ様は大切なお友達です。彼女に嫉妬するなんて絶対に間違っていますわ。今度こそ、何があっても絶対に祝福するんです。ジスラン様とリディのときとは違うんですのよ)


 あのとき、シャルロットのことなら祝福できると思った。なのに、今エレオノールの胸をいっぱいにしているのは醜い感情だ。


 ――本当にエレオノールは醜い。こんなだから、誰にも選ばれないのだ。


 自身の醜さに涙が零れそうになる。


「――エリー!」


 後ろからエレオノールを呼ぶ声がした。


 振り返らなくても誰の声か分かる。エレオノールは涙を拭い、何事もなかったかのように振り返る。


「アルベール様」


「すまなかった。エリーの気持ちも考えずに、無神経だったね。本当にごめん」


 アルベールはシャルロットの特訓より、エレオノールを優先した。


 ――その事実にエレオノールは昏い喜びを感じてしまう。


 アルベールはいつだってエレオノールを優先してくれる。その事に優越感を感じているもう一人の自分を必死に見ないふりをする。


 エレオノールは笑みを浮かべる。


「何のことでしょうか。私は少し疲れただけですわ」


「エリーが何考えてるかぐらい分かるさ」


 そう言って、アルベールは本当に嬉しそうに笑う。


「嫉妬してくれたんだよね」


 図星を突かれたエレオノールはとっさに「違います」と否定する。


「そういうことではありません。私は本当に疲れただけで――」


「うん、分かってるよ。本当にエリーは可愛いな。このまま部屋に閉じ込めたいくらいだ」


 分かっている、と言いながらアルベールは全然エレオノールの話を聞いてくれない。


「私に嘘なんてつかなくていいからね。本当のことだけ言ってくれればいい」


 その言葉に、――エレオノールはつい感情のまま、反論してしまった。


「嘘をついているのはアルベール様ではありませんか」


 声を荒げた瞬間、明らかにアルベールの表情が固まった。


 発言を後悔したときにはもう遅い。


「……私はエリーに嘘をついたことなんてないよ。何のことを言ってるのかな」


 アルベールは淡々と言葉を返す。エレオノールは唇を噛む。


 ――本当に、アルベールは嘘つきだ。


 取り繕おうなんて考えは頭から吹き飛んでいた。エレオノールはずっと胸に溜め込んでいた想いをそのまま吐き出した。


「いつも、私に愛してるとか、結婚したい相手は私だけとか――思ってもいない事をおっしゃるじゃありませんか」


 彼はきっと、エレオノールが何も知らないと思っている。だから、まるで真実を語るかのように愛の言葉を囁く。


 ――期待させるようなことばかりを言うアルベールは本当にひどい人だ。


「嘘つきはアルベール様のほうですわ」


 エレオノールの言葉に、アルベールは何も返答をしなかった。


 痛いぐらいの沈黙が流れる。アルベールは動かない。


 エレオノールは婚約者の顔が見れず、床を見つめていた。


「――――そう」


 怖いぐらいに低い声だった。


 今までも何度か、彼が淡々と話す声を聞いたことがあるが、こんなに恐ろしい声音は聞いたことがなかった。


「私の言葉を真っ当に受け取ってくれないとは思っていたけど。……そうか、エリーは私のことを嘘つきだと思ってたわけか」


 エレオノールは俯いたまま、黙る。


「それは流石に私でも堪えるな」


 その言葉にエレオノールを顔をあげた。


 アルベールの表情は怖いほど冷たく見えた。――だが、同時にその瞳は確かに傷ついているようにも見えた。


 謝らなければ、と思った。――同時に謝ったところでどうなるのだろうとも思った。


 先ほど彼に言った言葉はエレオノールの本心だ。今まで、エレオノールは彼を慮って本音の一部を隠してきた。


 しかし、アルベールとの婚約を解消しようと考えているエレオノールにとってはこのほうがいいのかもしれない。二人の仲が険悪になれば、その分婚約解消の理由は出来るのだから。


「どちらにせよ、今日のダンスのレッスンはシャルロット嬢の実力の確認だけにするつもりだった。少し休憩したら、また歴史の授業に戻る。シャルロット嬢を呼んでくるから、君は先に書庫で待っていなさい」


「……分かりましたわ」


 アルベールはホールに戻っていく。エレオノールは一人書庫に向かった。


 少しするとアルベールとシャルロットが戻って来た。シャルロットは気まずそうにアルベールとエレオノールを見比べる。


 その後の空気は最悪だった。


 アルベールはいつも以上にピリピリしているし、エレオノールは何も話さない。その二人に囲まれたシャルロットは明らかに集中力に欠けていた。


 夕方になり、エレオノールとシャルロットはラルカンジュ公爵邸を後にする時間になる。別れ際までエレオノールは誰とも一言も口を利かなかった。


 帰りの馬車もシャルロットとエレオノールは別々だ。シャルロットは最近ラルカンジュ公爵家の馬車を使っている。


「エリー」


 馬車に乗る直前、アルベールが声をかけてきた。エレオノールは振り向かなかったが、足を止めた。


「もう、シャルロット嬢の特訓も後半だ。あとは君が教えたことをしっかり身につけることと、私の授業の詰め込みをするだけだ」


 アルベールが二ヶ月という期限を決めてから一ヶ月と少し経った。ここ数日の授業はほとんどアルベールが主導で行っている。


 苦戦している刺繍についてもエレオノールは伝えられることは全て伝えた。今日もほとんど隣でシャルロットを見守ることしか出来なかった。


「だから、明日からエリーは来なくていいよ。あとは私でどうにかする」


 ――それはつまり、エレオノールは不要という事なのだろう。


 ここまでハッキリとアルベールに冷たい言葉をかけられたのははじめてだった。


 苛立ちと共に胸が痛いと感じるのはきっと、おかしなことだ。


 エレオノールは「分かりました」とアルベールを見ないまま答えると、馬車に乗り込んだ。



 それから残りの期間、エレオノールがラルカンジュ公爵邸を訪れることはなかった。

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